【続いてる写経 1512日め】竹生島へ再び上陸、秘仏の大辨財天様ご開帳
宿泊は今津港近くのホテル。
夜は藤本宏人先生による、長年の研究がみっちり詰め込まれた講義を、23時まで受講。
藤本先生、ノンストップで何故これだけお話できるのか…。
先生を通じて、何かを伝えたい存在が後ろにいるのかも❓
地質学的にも、歴史的にも、宗教的にも、聴けば聴くほど不思議な島ですわな、竹生島。
普段食べない朝食ですが、釜炊きご飯ととりたて卵の絶品TKGを2杯。
出発前には、昨夜食べ損ねた白髭神社様(遥拝予定)のおみくじ付きどら焼きをいただきました。
今津港から竹生島へ。チャーター船のクルージングです。
島に近づくと、色々な角度からそのお姿を眺めることができました。
竹生島には、真言宗寺院・宝厳寺さまと、竹生島神社が祀られています。
神仏習合の痕跡を残すスタイルです。
まずは宝厳寺様へ向かい、急坂の階段を165段登りました。
今回の目玉は、宝厳寺開山1300年記念、ご本尊である秘仏「大辯才天像」の特別拝観。
通常は60年に1度、「丁巳(ひのとみ)」の年にしか公開していないもので、本来ならば次の公開は2037年だったとのこと。
たまたま、このツアーの参拝日程が公開最終日にあたっていたのです!!
なんともありがたいことです。
境内左側に特別拝観の入り口が設けられておりました。
授与品として、お数珠と御守りをいただきました。(ありがたし)
内陣に入ると、奉納された多数の弁天様像、四天王像、弁天様の脇侍である十五童子像などに囲まれ、ご本尊の大辯才天様は中央にお祀りされてました。
ご本尊は、境内の脇にある弁天様像と同様にお座りされている姿かと思いきや、立像で、着色のない黒いお姿でした。
なので、ちょっとお姿拝見しづらかったです。
秘仏なので、ほとんど見えないくらいに配慮されているようです。
参拝者は順番に、大辯才天に繋がった五鈷杵を握り、お願い事をしてご縁をいただきました。
内陣にいらしたご住職に教えていただいたところ、
弁天様については、仏教経典では「最勝王経」にお話があるそう。
水を司る女性神であることから、女性全般の守り神として崇められるようになったとこのと。
水=すべての根源という意味から、母性も司る神様でもあるので、子どもの守り神の信仰にも繋がり、ゆえに十五の童子が脇侍なのだそう。
大変お優しい慈悲に満ちた神様であるけれど、
曲がったことが大嫌い
なのだそうです。
よって、よろしくない行いの人には厳しい処罰をするそう。
この辺りを頭にいれてお願いするといいですよ、とアドバイスをいただきました。
三重塔、パワースポットとして有名らしいトチノキ、雨宝堂、観音菩薩様を経て、もう一つのご本尊がある観音堂方面へ。
観音堂の入り口は、修復されたばかりの唐門から。
彩色のきれいなこと。入り口にいらっしゃるびんずる様は皆さんに撫でられ、結構なハゲ方なんですけどね。
舟廊下には、製作者の筆文字サインらしきものがあったりと歴史を感じます。
舟廊下を通るとそこはもう竹生島神社の境内。
こちらのご祭神は、市杵島比売命(弁財天)、宇賀福神(白巳)、浅井比売命(産土神)、龍神の四柱の神様。
弁財天様を仏教の神様としても、日本の神様としてもお祀りされている格好となります。
八大龍王の遥拝所では、お願い事を込めた”かわらけ”ができます。
正直、このご境内で空海ファンとして重要なのは、弘法大師庵跡。
”明星が口に入った”伝説が残る場所。(この場所いくつかあるけど)
さきほど内陣でご住職にお尋ねしたところ、もっと奥の方にも、空海さんがお祈りした場所があるらしいのです。
経典が埋められているとかなんとか。
裏側に参道、あったわ確かに。
ただし、一般人には入れないそうです、残念ながら。
名残惜しく竹生島を後にし、琵琶湖をクルージング、白髭神社様に船上から遥拝。
このスタイル、平安貴族が好んだものだそうです。
平安貴族気分で、白髭神社様の主祭神・猿田彦大神様へご挨拶しました。
だんだんと靄が晴れてきた琵琶湖。
雲や鳥たちの様子も楽しい。
偶然にも、秘仏にたくさんお目にかかれた5月の旅でした。
ありがたいことです。
藤本先生、副社長さま、今回もお連れいただき本当にありがとうございました。
さて、10月は竹生島のもう一つの秘仏、千手千眼観音菩薩様もご開帳とのこと。
次お目にかかれるとしたら”2037年”なので、ここは千載一遇のチャンス。
今から計画しておこう。