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靄の行先『日記:2024.9.11』

小さい頃から母と話す時間があった。なんでもかんでも話していると思われがちだがそうではなく、オチのない話、ちょっとだけ心に靄がかかった話、解決しない話、人に話さなくても良いけど一応言葉にしておきたい話。それらを話す時間が、いつも私の近くにあった。

この日から私はずっとモヤモヤしている。

友人と久し振りに会って飲み明かそうと意気込んでいた矢先に出会した地獄。
お前いくつだよ、バスが何本もあるこの時間からベロベロ酔っ払ってんじゃねえよ、その態度でその口調でその話題で貴方素敵ねもう少し話したいですってなるわけないだろ、小さな小さな丸椅子が意味もなくひっくり返ってしまえばいいのに。

そんなことを考えて、顔面や喋り方や内容が、結局友人との天国のような空間を切り裂くように脳内を埋め尽くしてしまった。

でもそんな時、いつも母親に話していた。
今日はこんなことがあってこういう奴がいて本当に最悪だった楽しい飲み会も楽しくないものになってしまった、と。
だけど私は今回、言わないことにしてみた。
なんでもかんでも言うことが間違っているわけではないけれど、言わなかった私はこの靄をどう対処するのだろうと考えたのだ。

まず日記に書いた。
だけどふわっと抽象的に苦言が吐出しないように書いている日記では私の前に光は訪れなかった。

SNSに書いてみた。
友人2人しかいないアカウントでありったけのポスティングをしてみた。いいねしてくれた。でも誰かが見ていると思うと面白く見て欲しいという願望が過ってしまいあまり効果が無かった。

放置してみた。
時間が解決する場合もあるかと思った。無口な人ってこの世にたくさんいるし。自分の思いを他人に話さずに過ごす人だっている。私は今回だけそれになってみようと思った。だが、この様である。

私は母に話すことで日頃のストレスや不満を発散させていたことに気付いた。友人や同僚に話せることは話して、他は母親との会談に持ち越していた。誰かに話すこと、共有することで自分の内臓から靄を引っ張り出すことにしていたのだ。私はストレスフリーの女だとたかを括っていたけれど、そうではなく常にストレスを発散する場所を人が作ってくれていたのだ。

さらに今は外出をしていないから全て母頼みだ。

私は人に話すこと以外に、靄をどう対処していくのだろうか。もし母に話せなくなる状況になってしまったら溜まったストレスはどうするのだろうか。

明日はストレス発散の方法を見てみよう。発散方法を増やして、母とは楽しい話がしたい。

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