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韓国の詩的環境と張詩人のブックコンサート

 2016年初冬の光化門クァンファムン広場は、朴槿恵パククネ大統領を断罪せよとロウソクをかざす人々でにぎわっていた。広場中央の舞台には次々と、音楽の演奏や演説をする人たちが登った。
 一人の男性が「詩の朗読をする」とマイクを握ったとき、「この喧騒の中で」と、私は驚いた。ところが朗読が始まると、辺りは急に静かになった。皆が耳を傾けている。「ああ、韓国ではこんなふうに詩が受け入れられている」と感じ入った。
 
 私はこれまで10年余りにわたって韓国のベストセラーを注視してきたのだが、詩集が書店の売上ベストテンに入ってくることが幾度もあった。
 韓国では、詩はとても身近なところにある。ソウルに出かけると、公衆トイレの扉の内側や地下鉄のホームドアに、詩が書かれていることに気づく方もいるだろう。
 思い起こせば「日帝時代」にも多くの詩人が出て、今も読み継がれている作品は多い。70年代から80年代の民主化運動のころにも、複数の詩人の名前が私たちの脳裏に刻まれた。その後の時代にも、詩は読まれてきた。かつて日韓作家会議の席で、詩集が売れて車を買ったという韓国の詩人の話に、日本側から「韓国に移住したい」と羨望の声が挙がったことを思い出す。

 詩は、すべての文学の頂点にあると考える韓国人は多い。それほど、詩への信頼度、期待値が高い。
 私の周辺にも「自称詩人」が数多く存在し、詩の朗読会の案内もよく見かける。詩を声に出して読み、共感するという感性がある。そんな韓国の「詩的環境」はうらやましくもあり、かつ不思議でもある。
 詩をめぐる日韓の違いを、張碩チャンソク詩人に話してみた。張さんは、詩の持つ権威や栄誉など、虚像であり虚栄に過ぎないと苦笑した。それは、詩に対する張さん自身の心構えでもあるのだろうと、私は思った。

 ある日、ソウルの仁寺洞インサドンで開かれる音楽会への招待状が、張さんから届いた。張さんの詩も、そこで朗読されるという。おいしい食事にワイン飲み放題と聞いて、私は勇んで出かけた。張さんは「自分のどの詩が読まれるのかわからない」と言った。

 伝統音楽の歌手が無伴奏で幻想的な旋律を歌い上げ、ギターとキーボードが静かなメロディーを奏で、低音が魅力的な女性が詩を朗読した。張碩詩人の「海辺にうっぷしている子どもに」だった。シリア難民の幼児の死体が、トルコの海辺でうつぶせて死んでいる衝撃的な映像を見て、詠んだ詩だ。
 子どもの元に、ひたひたと寄せる波。大人の都合で幸せな日常を奪われた、残酷な理不尽さ。どうしてやることもできないもどかしさ……。
 一つ一つの詩句に、胸締めつけられる思いで聞き入る観客たちがいた。詩が詠み手の元を離れ、静かに、そして広く、宙に舞い踊る瞬間だった。ふと隣を見ると、張さんがそっとハンカチで目元をぬぐっていた。


第3作目の詩集『海辺にうっぷしている子どもに』

 昨秋(2023年秋)に4冊目の詩集『すすけた告白』を発表した張さんのブックコンサートが、龍仁市の自宅近くにある「宇宙少年」というブックカフェで行われた。詩人とは長年、家族ぐるみの付き合いだという人が大半で、皆が笑顔で詩集の刊行を祝った。
 こういう雰囲気のブックコンサートは初めてだと言う張さんは、少々緊張気味。司会者の紹介を受けてマイクを握ると、「自分は詩人と呼ばれることにまだ慣れていないが、今日は2時間だけ、詩人になろうと思う」と、はにかみながら切り出した。

第4作目の詩集『煤けた告白』

 司会者は張さんを、20年来この地域に住む「トンネ詩人」であり、「宇宙を描く詩人」だと紹介した。
 1980年の登壇後、40年の沈黙を経て初詩集を発表した理由を尋ねられると、イウ学校との出会いが、詩との再会になったと説明した。学校の理事長という立場で、結婚式や卒業式の挨拶をする役割を担うことになり、「祝辞は短いに限る」と考えた末に、短い詩を読もうと詩作を再開したのだという。
 共に学校を作り、住居共同体を維持してきたメンバーたちは、張さんの話を頷きながら聞いている。互いの暮らしや悩みを共有した人たちだからこそ、張さんの作品への理解や共感も深いのだろう。「詩を読みながら、涙がこぼれることがある」と、朗読者は話す。詩人にとって、とても温かくて特別なブックコンサートだった。


2023年12月8日「宇宙少年」でのブックコンサート

 張さんの最近の詩に描かれるのは、トブロマウルに引っ越してからの風景が多い。最新作の表題詩「煤けた告白」も、その一つだ。
 「家を建ててからは、書斎の暖炉に火をくべる楽しみができた。去年(2022年)の11月、冬を迎えて初めて薪ストーブに火をくべたとき、ふと感じた恐怖。それはまるで、臨死体験のようだった。次の年の冬に火をくべるまでに、やり遂げたいと願ったことを実現できずにいることを、告白した」
 その詩を読んだ古い読者から、「煤けた告白」に登場する鳥と、40年前の登壇作に登場した鳥のイメージがつながっていることを指摘されたと、詩人は話した。詩人は若かりし日の苦悩が、長い旅路の果てまでずっとつながっていることを自覚したという。

  告白するが
  眠りから覚めた炎が立ちのぼったとき
  暖炉のなかで 鳥が鉄の壁にぶつかった音
  開くことのできない扉の向こう 恐ろしかった飛行
 
  消えてしまったことはとても多い
  昨日も 消えたばかりの火の葬礼に出かけていた
  わたしがくべて 焼いてしまった記憶
  冬のあいだじゅう 炉ばたで一枚一枚燃やした すぎ去った夢
  いつまた暖炉のなかに巣くったのか
  炎とともにしばし踊り 消えてしまった火の鳥
                   (「煤けた告白」部分)

 ブックコンサートの最後に司会者が、「詩人とは、質問する人だと思う」と話した。
 張さんはこう答えた。「自然の中で人間とは、どんな存在なのだろうか。それは、一度の質問と答えでは、決して終わらない問いだ。そして答えはいつも、変化を続けていく。だから私はこれからも、詩を書き続けようと思う」(戸田郁子)

張碩さんとは?
1957年生まれ。1980年に朝鮮日報の新春文芸で詩人としてデビューを果たした。その後40年の沈黙を経て、2020年に初詩集を刊行し、2023年に4作目となる詩集を発表した。この4冊の中から61編を選び、日本語版オリジナルの詩選集を制作中。2024年9月末頃刊行予定。

ヘッダー写真:張碩さんが営む水産物会社のInstagramより
@singsings_official

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戸田郁子
30年余り韓国に在住する作家、翻訳家、編集者。仁川の旧日本租界地に100年前に建てられた日本式木造家屋を再生し「仁川官洞ギャラリー」を運営中。図書出版土香トヒャンを営み、中国朝鮮族の古い写真を整理した間島カンド写真館シリーズとして『東柱トンジュの時代』『記憶の記録』を、資料集『モダン仁川』『80年前の修学旅行』、口承されてきた韓国民謡を伽倻琴カヤグム演奏用の楽譜として整理した『ソリの道を探して』シリーズなど、文化や歴史に関わる本作りを行っている。著書に『中国朝鮮族を生きる 旧満洲の記憶』(岩波書店)、『悩ましくて愛しいハングル』(講談社+α文庫)、『ふだん着のソウル案内』(晶文社)など、翻訳書に『黒山』(金薫箸、クオン)など多数ある。朝日新聞GLOBE「ソウルの書店から」のコラムを2010年から連載中。


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