パンと給養② 〜クレフェルトとクラウゼヴィッツのパンの現地調達見積の差異について〜


本編

クレフェルトは『補給戦』の「第一章十六〜十七世紀の略奪戦争」(中公文庫版63f.)において、糧食の現地調達見込みについて概算しています。

この計算の想定は、1平方マイルの人口密度が45人である1地域が小麦を自給自足しており、備蓄量6か月分を保有するというものです。

そして、6万人の軍隊が1日あたり10マイル行軍しているとして、幅10マイルにわたる地域で徴発するならば、住民が供出しなければならない小麦は備蓄量の10%以下であり、十分に負担できると見込んでいます。

つまり、1日あたりに換算すると、人口4,500人(45人×10マイル×10マイル)の地域が6万人の軍隊が必要とする量の小麦を供出できることになります。

しかし、前回「パンと給養① 〜戦地でパンを得るのは難しい〜」の冒頭で挙げさせていただいた研究記事によると、この計算に対しては批判があるそうです。

麦粉が入手できたとしても、パンを焼くために必要な時間や収集・輸送に要する課題を考慮すると「現地調達」はそう上手くはいかないというのです。

その土地の住民が日々の需要を満たすために有しているパン焼き窯は、1日で人口の2倍に給食できる量を焼いたとしても9,000人分しか賄えないと言います。

この批判は説得力があると思います。

19世紀の軍事文献を読んでいると、原理的には似たような見積が必要であったことに変わりはないことに気づきます。

明治21年訳の『仏国陸軍制度教程書』第3編 巻之1(pp.133-135)は、人口1,000人〜1,200人の村落には小規模なパン焼き窯が2戸あるとして24時間で最大3,500人量しか製造できないとしています。

軍隊若し露營或は幕營を布くときは小麥裸麥の別なく挽粉の精粗に係らず唯だ蒸餅粉を調理するを勉むべし。然れども其調理は屡々困難のことあるべし。何となれば穀物多產の國たりとも多量の麥粉を買収し得るは至難にして進行中に在ては其地方の挽臼を以て麥粉を製するの暇あらざればなり。故に葡萄蓁菜及び米穀を多く耕作して小麥裸麥等を耕さざる邦國に在ては殊に麥粉を得るに至難なること論を待たずして明なり。
(中略)
如何なる場合に會うも日日蒸餅の製造は行進軍に在ては毎に困難なるものとす。是れ麥粉調聚の困難、殊に製造器具の備わらざるによるべし。就令へば人員一萬三千の一師團一千乃至一千二百の人口ある一村落に宿陣するときは該村落に小なる蒸餅舍二戶あるを通常とす。而して二十四時間に最上限の製造額は三千五百人量を超えず。是れ一萬三千の軍隊に比すれば甚だ少量なるべし。況や進行中に在ては此の數量をも得難し。故に第一線の事務をして蒸餅を製造せしむるには此の如き大困難あるを以て住民をして每戶製造する蒸餅を以て軍隊を給養せしむるを緊要とす。 

24時間焼いても人口の約3倍分です。

加えて住民の各戸において焼かせることができたとしても、クレフェルトが想定する近世のケースのように徴発隊が訪れて徴集する場合、1日の間に兵士が持ち帰ることのできるパンは製造量をかなり下回ることでしょう。

こうした問題を念頭においたうえで、クラウゼヴィッツの「給養」(Unterhalt)に関する有名な記述を読むと、細かい実務的な着眼点が見えてくるような気がします。

クラウゼヴィッツ(『戦争論』岩波文庫版 中巻222f.)は、宿舎の舎主による給養(Die Ernährung durch den Wirt oder die Gemeinde)について述べたくだりにおいて、次のように記しています。

市町村の住民が、大都市におけるようにすべて消費者であるにしても、必ず数日分の食糧を貯蔵しているに違いないから、人口の極めて稠密な都市なら、その人口数に近い兵数の部隊に一日分の食糧を給することができるし、また兵数がもっと少なければ数日の給養に堪えるだろう、しかもこの場合になんら特別の準備を必要としないのである。この給養方式は、大都市では頗る満足な結果を生じる、一都市だけで、かなりの大部隊に食糧を給することができるからである。しかし小さな町や、また特に村では、恐らく満足な結果は得られないだろう、一平方マイルの地域に居住する三千ないし四千の人口は、それ自体としては緻密であるが、しかしかかる町村が食糧を給し得るのは、三千ないし四千の兵員にすぎないからである。
(中略)
ところで農耕地の多い田舎では、小さな町でも戦争で消費される食糧は、都会にくらべて遙かに豊富である。世帯主としての農民ひとりの貯えているパン用小麦粉※は、どこの家でも家族全体を一週間ないし二週間養うに十分だし、肉は毎日調達できる、また野菜は、次の収穫期までの分が貯蔵されているというふうである。それだから軍隊がまだ宿営したことのない新奇な舎営地では、そこの人口の三倍ないし四倍の兵員に糧食を給することはいささかも困難でない、するとこれまた満足すべき結果であると言ってよい。

農村であれば人口の3〜4倍の兵士に給食できるとすると、クレフェルトと同様の人口4,500人の地域の場合には兵士の数は13,500〜18,000人となります。

パンを焼かなければならない場合には大変ですが、農家は家族全体の1週間ないし2週間分のパンを蓄えているというクラウゼヴィッツの想定は、現地調達における、より実務的な感覚を伝えているように思われます。

ここで注目すべきことは、引用した岩波文庫版の邦訳では農家の備蓄を「パン用小麦粉」としていますが、ドイツ語の原文ではBrotvorrat(パン(Brot)の蓄え)であるという細かい言葉遣いの差異です。

cf. 『戦争論』のドイツ語テクストについては、
https://clausewitzstudies.org/readings/VomKriege1832/Book5.htm#5-14

つまり、毎日パンを焼くのは非効率ですから、まとめて焼いて保存したものを日々食べていくのが普通だったのであり、麦粉ではなく農家がパンの形で保存しているその分量を目当てにしているのではないでしょうか。

例えば、邦訳の別の箇所(中巻p.225)で輜重が「パン或はパン製造用の小麦粉」を携行するとありますが、この場合の原文はBrot oder Mehl(パン又は麦粉)であり、使用している単語が区別されています。

この感覚は、19世紀から20世紀初頭にかけて残っていたようです。

Carl von Martens『Handbuch der Militär-Verpflegung im Frieden und Krieg』(1864年)は、次のように記しています(第1部, 110f.)

一般に、まだ消耗していない中規模の人口(1平方ドイツマイル当たり住民2〜3,000人)の土地の場合、大きな町では少なくとも1〜2日、平野部の土地では、平均的に考えて、少なくとも8〜14日分のパンあるいは所要量の麦粉※が見出されると想定しうる。
したがって、まだ占領されたことのない舎営地では、人口の3〜4倍の部隊を1〜2日間養うことは難しくない。よって、3万人からなる一個軍団を1平方ドイツマイル当たり住民2〜3,000人の人口で給養するための範囲は約4平方ドイツマイルとなり、約12平方ドイツマイルの地域を通過する10万人の一個軍を維持できる。
革命戦争やボナパルトの下でのフランス軍の作戦行動はこの算段に依拠し、舎営以外の給養手段をほとんど持たずに中欧を通って進軍した。それゆえ、この基準は1 ~ 2 日の行軍舎営では適切に用いられる。
しかし、すでに攻撃を受けている土地、産物に乏しい土地、または人口の希薄な土地では事情が異なる。
このような場所では、信頼できる統計記録に基づく状況の正確な評価のみが、ある地方の負担力に対して適切な基準を提供できる。しかし、少なくとも、土地の扶助資源はたいてい見かけよりも大きいというあらゆる戦争で得られた経験は考慮されうる。
駐留地のように長期間の舎営が問題となる場合、上記で行った土地の平均的な負担力の考察は、住民数と同数の部隊なら4〜6日、半数なら8〜12日、ただし特に有利な状況なら3〜4週間かそれ以上長く養うことができるという見込みを明らかにしている。
この際、常に本質的に重要なのは季節である。最良なのはあらゆる納屋が一杯になる秋であり、最悪なのは収穫前の春と夏である。数日以上の期間にわたって住民により大軍を給養することは戦地では滅多に起こらない。なぜなら、部隊をあまりに広く分散することが前提だからだ。例えば、中規模の人口をもつ土地では、たった14日〜3週間の宿舎における持続的給養のために、1万人からなる一個師団は8〜10平方ドイツマイル、3万人からなる一個軍団は24〜30平方ドイツマイルの地域を必要とする。しかし、戦争のために行われる部隊の集中は大抵そのような分散を禁じている。そのため、敵対行為の開始前や長期休戦中のような平和的な状況においてのみ用いることができる。

1815年の戦役開始前、11万の兵力をもつプロイセン軍がフランス国境で配置についていた狭い駐留地は、人口が多い土地でおよそ52平方ドイツマイルの地域を囲っていた。その給養は、もっぱら舎営の担い手の側によって行われた。5月末から6月中旬まで負担するだけだったにもかかわらず、その負担は最終的に土地にとって非常に重いものとなった。

拙訳
※ auf 8-14 Tage der Brod-, beziehungsweise Mehl-Bedarf

給養に特化したハンドブックですので、記述はより詳細です。農家には自家消費用のパンだけでなく製粉後の麦粉のかたちでの貯蔵も想定していますが、人口の3〜4倍を給養可能だとの見積はクラウゼヴィッツと同様です。

20世紀初頭のシェルレンドルフ(息子)『参謀要務』(明治43年邦訳 後篇451f.)に至っても、さほど変わりません。

各町村には一般に數日を支うるに足るべき食品あるを常とす。故に其の人口と同數の軍隊は困難なく一日間の給養を得べく軍隊の人員減少すれば其の比例に從い數日間に亘ることを得べし。之に依りて人口の多大なる大市府は大軍を宿營せしめ且給養するに適せり。是れ兵力(少くとも徒步部隊の主力)を比較的小地城に集合し得べきを以てなり。
郡村は此の點に関して稍不便なり。今若し五十乃至六十平方吉米(約一平方獨里)の人口を約三千乃至四千と計算し此の一地域內に於て僅々三千乃至四千人の軍隊をして一日の宿舎給養を得せしむるに過ぎざるときは頗る不良なる結果と謂わざるべからず。是れ村落には人口に比し市府に於けるよりも必ず多量の食品を貯蓄するを以て通常は遙に多數の人員を給養することを得べければなり。尙お市府は常に村落より食物の供給を受くるを以ても之を知るを得べし。
農家には通常一週間乃至二週間分の麵匏を備へ、蔬菜及蒭秣は次の収穫期に至る迄の需要全額を貯え、家畜は家族及雇人の爲め一年間に費消するより以上を飼養するを常とす。
故に軍隊の未だ宿營せず若は近く多數の軍隊を收容せざりし村落に於ては人口に比して三倍乃至四倍の人員を數日間給養し得ベし。

「農家には通常一週間乃至二週間分の麵匏を備へ」の部分は、原文では「Bei dem Landmann findet sich in der Regel sein Bedarf an Brot für 8-14 Tage」となっていますので、シェルレンドルフはクラウゼヴィッツと同じく麦粉ではなくパン(Brot)の形での存在を念頭においているように見受けられます。

この記述は改訂前の版であるシェルレンドルフ(父)の『独逸参謀要務』(明治14年邦訳版 6, p.10)から引き継いでおり、変わっていないようです。

これらの農家が自家消費のためのパンを一度に焼いて保存している期間に対する認識は、8日ほどとされる軍用パンの保存期限から考えても首肯できるように思います。

もちろん、現代の感覚では、このパンの保存期間は衛生面で長すぎるように思いますけれども…

また、宿舎給養では人口比3〜4倍の兵に給食が可能とする記述は、次のとおりウィリアム・バルク『巴爾克戦術書』大改訂4版(大正2-3年邦訳 第12巻, p.164)などにも見られます。

而して運動戰に於ける大團結の爲めには一時的にして地方の資源尙お未だ軍隊通過の爲めに吸盡しあらざる時に限る有利なる狀況に於ては地方に於ける住民の數より三倍乃至四倍の兵を若干日給養するを得

こうしてみると、パンを焼くだけではなく住戸が保存しているパンまで当てにしたとしても、人口比13倍(兵士60,000人÷住民4,500人)の兵士に対する糧食を徴発しつつ行軍するというクレフェルトの想定は、やはり楽観的であるように思われます。

この辺りは、クレフェルトが想定している時代との年代の隔たりを考慮するとさらに難しくなります。

例えば、クラウゼヴィッツ(『戦争論』岩波文庫版 中巻p.223)は、兵数3万人の縦隊は1平方ドイツマイル当たり2,000〜3,000人の人口を有する町ならば、ほぼ4平方ドイツマイルの舎営地で十分であるという計算を述べています。

クレフェルトの場合、人口密度の想定は1平方マイル45人ですから17人/㎢です。

※1平方マイル=2.6㎢(1.6㎞✖︎1.6㎞)

クラウゼヴィッツは1平方ドイツマイル2,000〜3,000人ですので35〜53人/㎢です。

※1平方ドイツマイル=56.3㎢(7.5㎞✖︎7.5㎞)

よって、クラウゼヴィッツの想定のほうが人口密度の高さによる上振れがあるでしょう。

ただし、クレフェルトは自身の1平方マイル45人という想定について西欧では低すぎるとしており(原著 注74)、プロイセンで約35人、ロンバルディアで110人という数字を挙げています。

人口密度の違いは本質的な問題とは言いがたいかもしれません。

クレフェルト(『補給戦』中公文庫版p.129)は、ナポレオンのフランス軍にそれ以前の軍隊が普通なしえなかったことが可能であった理由の1つとして「ヨーロッパが今や以前に比べて人口緻密になった事実」を挙げていますが、より重要なのは、給養の方法に関する差異です。

クレフェルトはナポレオン時代については現地調達に関するシミュレーションを記してはいませんが、同水準の調達が見込めると考えていたように見受けられます。

クレフェルトは上記のシミュレーションにおいて徴発隊(foraging parties)の行動範囲について触れていますから、軍の本体は集団で行動しており、徴発隊を派出して糧食を持ち帰るという想定だと思われます。

一方、クラウゼヴィッツがこの箇所で説明しているのは、軍の兵士を民家に分宿させ、各戸の舎主から食事を提供させるという方法(宿舎給養)です。

クラウゼヴィッツの時代、すなわちナポレオン戦争以降においては、統制を保ったまま兵士が分散して舎営し、かつ集合して縦列を組み行軍することが可能な軍隊だったのでしょう。

クレフェルトもナポレオン軍のこうした宿舎給養に言及しています(『補給戦』中公文庫版 p.93)し、ナポレオン時代の軍隊における前代との差異の1つに「軍団制をとっていたため、各部隊を分散させ現地補給を容易にさせたこと」を挙げています。

しかし、クレフェルトは徴発隊による徴集と宿舎給養との細かい比較などは行っていません。

クラウゼヴィッツ(『戦争論』岩波文庫版 中巻226f.)は、クレフェルトの計算が想定しているような「軍隊自身の微発による給養(Verpflegung durch Beitreibung der Truppen)」方法におけるデメリットと給食可能な見積について、次のように述べています。

〜 一地点で野営する部隊がもっと大であれば、例えば旅団か師団であれば、必要物資を共同で近在の地区から徴発し、それからこれを各部隊に配給するよりほかに方法がない。
しかしこの方法では、大軍を賄うだけの糧食を調達できないことは、一見して明白である。軍自身が地方の物資を徴発してみたところで、その量はこの軍隊が同じ地区で舎営する場合よりも遥かに少ないだろう。三十名ないし四十名の兵が農家に舎営すれば、たとえ貧しい世帯でも、とっておきの食糧を出させることができる。ところが食糧を徴発するために数名の兵と共に派遣された将校は、農家の貯蔵物資を洗いざらい探し出す時間もなければ手立てもない。それにまた時には輸送手段を久く場合もある。するとこの将校は、農民の手持ち物資のうちの僅かな部分しか集めることができないだろう。それにまた大部隊の野営が一地点に集中した場合には、手早く食糧を徴発できる地域だけでは、全体の需要を充たすに足りないだろう。するとこういうことになる、ーー もし三万の軍が半径一マイルの円、換言すれば三ないし四平方マイルの面積を有する円内で糧食を徴発するとしても、必要に見合うだけを集めることはとうてい不可能であろう、最寄りの大方の村落には、すでに小部隊が宿営していて、糧食の引渡しに応じないからである。またこのような仕方では、糧食の浪費が甚だしくなる、部隊のなかには必要以上の量を集め、従ってまた大量の食が利用されずに捨てられるということにもなるからである。
すると結論はこういうことになる、ーー 徴発による給養が成功するのは、あまり大でない部隊、つまりせいぜい八千ないし一万の師団ぐらいに限られる、(後略)

そして、クラウゼヴィッツ(『戦争論』岩波文庫版 中巻227ff..)は、同じ徴発による給養であっても、軍の部隊が直接に行うのではなく、行軍地域の地方官庁の協力により供出させる「正規の徴発による給養(Durch regelmäßige Ausschreibungen)」方法のほうが優れているとしています。

こうしてみると、クラウゼヴィッツは徴発の種類における効率の違いを丁寧に捉えていることが分かります。

クレフェルトも、ナポレオン時代の軍隊における前代との差異において、「軍用行李がなかったこと」、「徴発担当の常設機関が存在したこと」を指摘しています。

そのような差異について否定しているわけではないのでしょう。

しかし、クレフェルトが16〜17世紀の戦争を「略奪戦争」と形容し、また、ナポレオン時代の現地調達のあり方の具体的な詳細について筆を割かなかったことは、『補給戦』の読者にとって注意をしておかなくてはならない問題を生じさせていると思います。

【参考文献】

クラウゼヴィッツ著; 篠田英雄 訳『戦争論 中』岩波文庫, 1968.

マーチン・ファン・クレフェルト著; 佐藤佐三郎 訳『補給戦ー何が勝敗を決定するのか』中公文庫, 2006.

陸軍文庫 訳『仏国陸軍制度教程書』第3編 巻之1,陸軍文庫,明21.8. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/843781

司馬亨太郎 訳『巴爾克戦術書』 第12巻,干城堂,大正2-3. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/951127

ブロンサルト・フォン・セルレンドルフ 著 ほか『独逸参謀要務』6,陸軍文庫,明14.6. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/844223

ブロンサルト・フォン・シェルレンドルフ 著 ほか『参謀要務』後篇,偕行社,明43.7. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/901732

Martens, Carl von. Handbuch der Militär-Verpflegung Im Frieden und Krieg. 2.Aufl, Stuttgart, 1864.


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