雑感:古代の騎槍(コントゥス)をめぐる鐙と操法の問題について
【本文】
1〜2世紀、サルマタイ人の騎兵は3.6m、時に4.5mにもなる長槍を主に両手で持って使用しました。
強い印象を受けたローマ人はこの騎槍(コントゥスcontus)を導入し、トラヤヌス帝の頃には槍騎兵部隊が編制されていたことが確認されています。
パルティア人やササン朝ペルシアなどを含めた装甲騎兵の装備としても普及していました。
M. Mielczarek(pp.44-47)は、装甲騎兵の騎槍の持ち方として2種類を推測しています。
まず、対騎兵用として、馬首を横切って左に槍先を向けて敵騎手を突く姿勢です。
槍柄が身体の前で支えられるため、鐙がない時代でも騎手と馬の体重を乗せた打突が可能だとします。
次に、対歩兵用として、馬の右脇腹に沿って槍先を下げる姿勢です。
Mielczarekは右片手持ちもあるとし、装甲騎兵がマケドニア式ファランクスに対する東方の応答だったという仮説を取り上げて、地面と水平に保持すれば、地面に石突を刺して斜め上に向ける歩兵の長槍に対して有利だったとしています。
↓パルティア騎兵
サルマタイ騎兵について、S. M. Perevalov(p.15)は、A. M. Khazanovの左手を伸ばして槍柄を支え右手で突くという見解を修正しつつ、両手で吊り下げるのではなく槍柄を膝(腰)に挟むことで騎馬全体の体重を打撃にのせたのだとしています。
M. P. Speidelは、ハドリアヌス帝時代のアッリアノスの槍騎兵訓練法の描写やランバエシス碑文から、馬首の左上方へ槍先を向けた矢玉防御の姿勢や、槍先を下ろして逃げる敵を追撃する姿勢などを読み解いています。
騎槍の両手持ちの難点は矢玉などの防御に重要な盾を持ちにくいことですが、アッリアノスには槍騎兵が盾を使用したり背中にまわしたりする記述があり、後代にはサルマタイ騎兵も盾を使用したようです。
手をふさがないように、左前腕に装着する小盾だったのかもしれません。
cf. Perevalov, p.16; Junkelmann, p.169
また、ユスティニアヌス帝時代の装甲騎兵は肩に小盾を装着することがあったようです。
cf. Procop. Pers. 1
10世紀のビザンツ帝国の装甲騎兵は、負紐やアーム・ストラップで円盾を携行しました。
cf. Anderson, kindle ed., p.188
さて、図像史料などから上記のような推測がなされているわけですが、史料解釈に疑問を呈する見解もありました。
鐙のない時代ですので、両手が武器でふさがった状態では体勢が不安定で馬を操るのが難しいのではないか、といった理由です。
cf. 議論については、Perevalov; Bachrach
また、この鐙の有無が武器の操作性に影響するという発想は、両手で持たざるをえないのは中世のcouched lanceのように片手で脇下に抱えて衝撃に耐えうる堅固な姿勢をとれないからだろうという逆の見解も生んでいました。
cf. Dixon, kindle ed., p.49
しかし、近年では、いわゆる「鐙革命論」のような鐙の有無で騎兵の能力を説明する論調は下火となり、サルマタイ式の騎槍が両手持ちだったことを受け入れる趨勢になっています。
1990年代、ローマ時代の鞍や馬具の再現実験を行ったM. Junkelmann(pp.100-19)は、鐙で騎兵の武器使用パフォーマンスが革命的に変化することはないと結論づけています。
鐙は、馬上で立ち上がりやすいため騎射や斬撃には役立つにせよ、搭乗や長距離の乗馬行旅を楽にする効用のほうが主だと言います。cf. Alofs
また、槍の打突による衝撃に耐えるためには深鞍や背もたれのほうが重要だとしました。
Junkelmannは、中世の騎槍突撃を描いた図像は鐙で衝撃に耐えようとする場合とは逆方向である斜め前方に脚を伸ばした姿勢で描かれているとも指摘しています。
中世のcouched lanceと鐙の普及時期がずれていることからも、鐙が導入のための「十分条件」とは考えられません。
cf. Gassmann, 89f.
また、couched lanceの威力を計測する実験から、槍の打撃力には従来考えられてきたほど鐙は関係しないと結論したA. Williams等の研究などもあります。
https://twitter.com/cuniculicavum00/status/1492086193483575296?s=20&t=dGjvWZhstWNXvBQSnQNqRQ
もちろん、古代の鞍に関しては不明点が多く、復元方法などによって衝撃耐性・武器使用の安定性についての見解には差異があります。
また、後代の馬具と比べた性能の優劣を明確に判断できるものでもありません。
↓(参考)
https://exarc.net/issue-2021-1/ea/reconstruction-roman-cavalry-saddle
https://twitter.com/cuniculicavum00/status/1385545338447024132?s=20&t=TvmxKkj4IZ1x8_WFLCniNg
しかし、鐙が普及した後代であってもマムルーク朝の騎兵のように騎槍を両手で操るスタイルが存在したことからも分かるように、馬具の進歩が騎乗戦闘をより容易にする効果があったにせよ、それのみで騎兵戦術の変容や軍事的消長を説明するのは無理があるでしょう。
cf. Bachrach, p.52
鐙の普及との関連では、ササン朝ペルシアにおける騎槍の操法が気になるところです。
従来、地中海世界における鐙の導入については、アヴァール人からローマ帝国へ伝わったと考えられてきました。
しかし、バルカン半島だけではなく小アジアなどからも考古学的な発見があり、ササン朝を含めた広範囲での鐙の伝播経路が想定されるようになりました。
cf. Penn et al., p.137; Alofs, I, 431ff.
ササン朝ペルシアが滅亡まで鐙を使用しなかったというう旧説に対して、6世紀末〜7世紀初のものと見られる鉄製鐙の発見により、ホスロー2世の頃まで、あるいはより早くにも鐙が導入されていたとする見解が出てきています。
cf. Farrokh, p.205
ササン朝期において、騎槍の操法に変化は生じたのでしょうか?
パルティア時代、ヘレニズム期のような右手のみで下手(underarm)に提げる持ち方は両手持ちに変化したと考えられています。
cf. Skupniewicz, 2021, p.77
K. Farrokh(164f.)によると、パルティアに引き続き、ササン朝の操法は①片手で上手(overarm)に構えて下方向に突くか、②腰高で両手に持つかに大別されます。
↓ササン朝ペルシアとパルティアの装甲騎兵同士による騎槍戦闘場面
しかし、図像史料の解釈は難しい点もあります。
例えば、Skupniewicz(2015)は、ササン朝の騎槍戦闘を描いているとして有名なTabriz Azarbayjan博物館収蔵の皿が近代の模作ではないかとします。
左手を伸ばし右肘を鋭角に曲げて胸付近に構える姿はササン朝期としては特異だと指摘しています(p.196)
CC BY-SA 3.0
https://commons.m.wikimedia.org/wiki/File:Tabriz_Sasanian_Plate_2.jpg
注目されるのは、ホスロー2世を表しているとされるTaghe Bostanの浮彫です。
この図像は鐙を使用しているという考察もあり、Farrokh(p.165)は安定性の高い角鞍の進歩とともに鐙の導入なども片手持ちを容易にしたのかもしれないと推測しています。
しかし、円盾と併用している騎槍を右手のみで保持しているように見えるものの、持ち方は従来からある上手持ち(overarm)のままです。
cf. Farrokh, p.165; Mielczarek, p.129 図12
ランス・チャージというとヨーロッパ中世における片手の脇下構え(couched lance)を想像しますが、少なくとも、そうした持ち方への移行が必然的に発生することはなかったように思われます。
ビザンツや東方世界において、西欧の影響を受けるまでcouched lance式の構え方が知られていなかったのか、知識不足のため私には分かりません。
しかし、いずれにしても騎槍の操法という面だけが問題であるのならば、導入・模倣は容易だったように思います。
孫引きで恐縮ですが、M. Tsurtsumia(p.82 注15)によると、14世紀アラブの軍事文献『Nihayat al-Su’l』は騎槍の操法として次の3種類を挙げているそうです。
①Khurasani式 片手持ち(回転させる)
②古風の両手持ち
③シリア式攻撃(ルーミ(ビザンツ)式)
この③がcouched lanceを指すとのことです。
外来の方式だと見做されていたにせよ、操法は理解されていたのでしょう。
中世ジョージアにおけるcouched lanceと大規模な集団によるランス・チャージという戦術運用(Mounted Shock Combat)の導入と成功を考察したTsurtsumia(82ff.)による研究史の整理では、両者を分けたうえで、前者が後者と合わさったときの破壊的な威力は東方にはなかったものだとしています。
つまり、武器や道具の変化が必然的に軍事的優劣や戦争様式の変容をもたらすわけではないということではないでしょうか。
【参考文献】
Alofs, E. “Studies on Mounted Warfare in Asia I: Continuity and Change in Middle Eastern Warfare, c. CE 550-1350 — What Happened to the Horse Archer?” War in History, vol. 21, no. 4, Sage Publications, Ltd., 2014, pp. 423–44.
Anderson, E. B. Cataphracts : Knights of the Ancient Eastern Empires. Barnsley, 2016.
Bachrach, B. S. “TACITUS’ SARMATION CAVALRY LANCE: THE VICTORY OF ART OVER HISTORY.” Russian History, vol. 28, no. 1/4, 2001, pp. 47–61.
Dixon, K. R. & Southern, P. The Roman Cavalry : from the First to Third Century A.D. Batsford, 1992.
Farrokh, K. The Armies of Ancient Persia: The Sassanians. Barnsley, Pen & Sword., 2017.
Gassmann, J. "Combat Training for Horse and Rider in the Early Middle Ages." Acta Periodica Duellatorum, 6(1), 2018, pp.63–98.
Junkelmann, M. Die Reiter Roms, Teil III: Zubehör, Reitweise, Bewaffnung. Mainz, 1996.
Mielczarek, M. Cataphracti and Clibanarii. Studies on the Heavy Armoured Cavalry of the Ancient World, Łodz, 1993.
Penn, T., Russell, B. & Wilson, A. “On the Roman-Byzantine Adoption of the Stirrup Once More: a New Find from Seventh-Century Aphrodisias.” Anatolian Studies 71, 2021, pp.129–139.
Perevalov, S. M. “The Sarmatian Lance and the Sarmatian Horse-Riding Posture.” Anthropology & Archeology of Eurasia 40.4 (2002): pp.7–21.
Skupniewicz, P. “Mounted Combat Scenes on the Bronze Plaque from Sana'a, Amazonomachia in Yemen.” Tissaphernes Archaeological Research Group 2021.1, 2021, pp.69–86.
Skupniewicz, P. “Tabriz Museum battle dish. Formal considerations." 2015
https://www.academia.edu/19610407/TABRIZ_MUSEUM_BATTLE_DISH_FORMAL_CONSIDERATIONS
Speidel, M. P. "Hadrian's Lancers." In: Antiquités africaines, 42, 2006, pp. 117-123.
Tsurtsumia, M. “Couched Lance and Mounted Shock Combat in the East: The Georgian Experience.” Journal of Medieval Military History, vol. XII XII (2014), pp.81–108.
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