パンと給養① 〜戦地でパンを得るのは難しい〜



欧米人の食卓に欠かせないパンは、戦地の兵士にとっても主食であるべき存在でした。

ところが、パンというのは調理に手間のかかる食物であり、現代的な機械文明以前の軍隊においては、戦地での安定供給が難しい、やっかいな食物でもあります。

かつて、マーチン・ファン・クレフェルトは著書『補給戦』において、近世の軍隊が食糧として十分な量の小麦を進軍先の土地から徴発により確保できるという計算を示しました。

しかし、この計算に対しては、製粉、パン焼きや輸送に必要な時間や困難を考慮しておらず、兵士が食べることのできる形で実際に供給するのは難しいという批判があると言います。

この批判の内容を紹介しつつクレフェルトの「補給戦」のイメージを乗り越える道筋を示していただいた以下のお二人の研究記事を拝見して、大変に感銘を受けました。

戦史の探究 様
「クレフェルト著『補給戦』への各専門家からの批判」

旗代太田 様
「近世ヨーロッパにおける兵站術についての一考察」

日頃、なんとなく読んでいた書物の内容が繋がったように思い興味が沸きましたので、備忘を兼ねて雑感を記してみたいと思います。

パンの調弁は概して甚だ困難なるものなり


19世紀から20世紀初頭、第一次世界大戦頃までの軍関係の文献を眺めていると、戦地でパンを調達することの困難さを強調する記述に出くわします。

例えば、ドイツの野戦軍における勤務マニュアルである野外要務令(Felddienstordnung)は、次のように述べています。

【1900年版 448】
麵包は最緊要の糧食なり。然るに麵包は通常唯住民日々の需要高に應じて存在するが故に、之れを調達すること比較的非常に困難なり。
故に時宜に據りては糧食の調達を麥粉にも及ぼすべし、是れ必要の際には軍隊は自己の麵包手をして其の需要の麵包を製造せしむるためなり。
【1908年版 468】
麵包は最も重要なる食品なり。然れども麵包の調辨は概して甚だ困難なるものなり。是れ麵包は通常居民の日々需用する額の外現在せざるものなればなり。
通常野戰製麵包縦列をして麵包を製造せしむるものとす。而して十分其製造力を利用する爲め同縦列をして數日間一地に留りて麵包製造に従事せしめ然る後躍進的に前進せしむるを可とす。
軍隊も亦爲し得る限り自ら麵包を製造するものとす。之が爲め常に豫備酵母※を携行するを要す。其他軍隊の製麵包手をして民間の麵包製造者を補助せしむるを可とすることあり。

※Sauerteig サワー種のこと。東條英教(p.116)は酸洩粉と訳している。
cf.後述 「陣中製麺包長の勤務教令」(17f.)には「酸種」の製造法の記述あり。

1905年刊のシェルレンドルフ(息子)の『参謀要務』(明治43年邦訳 後篇446f.)は、その困難を次のように説明しています。

然れども自ら麵包を製造することは軍隊の爲め頗る困難にして要するに運動の休止間にあらざれば能はざるべく而も極めて僅少の數量に過ぎざるべし。必要なる麥粉を地方より調辨することは大兵團の爲め全く不可能にして殊に製粒及製粉しめる穀物の多量を貯藏することは殆んど絕無なり。然るに所在の穀物を製粒且製粉して急需に應用せんとすることは到底困難なり。但季節に依り時として麵包製造用穀物の多量を有することあるときは此の限にあらず。
故に麥粉の需要は概ね追送に依りて之を充たさざるべからす。然るに所在の麵包竈及燃料の十分なるや又麵包を製造すべき時間及熟練の作業者あるや否やをも考慮せざるべからず。而して多くは之を必すべからざるに依り野戰麵包縱列をして急需に應ぜしむるを要す。其の業務は軍隊の附近に於て開始し速に(製造の二日後)麵包を交附し得べからしむ。新式移動性麵包竈の長所は頗る迅速に其の業を開始し又迅速に其の業終りて出發し得るにあり(野戰麵包縱列の製造力に関しては第三部第二篇第一章の二参照)。
麵包需要に不足する時は重燒麵包を支給し或は肉類の量を適當に増加せざるべからず。

小麦・ライ麦を自給している農村であっても、脱穀はしても、長期間保存する分としては主に製粉前の玄麦という形でしか貯蔵していません。

傷まないように、住民は必要に応じた分しか製粉していませんので、急に押しかけてきて徴発しようとしても、パンをすぐに焼ける状態の小麦粉・ライ麦粉が大量に手に入るわけではありません。

そして、少なくとも近代人が食べるようなパンは生地をつくり、焼くのにも手間がかかります。

しかも、いったん焼き上げたパンは日持ちしません。

ウィリアム・バルク『巴爾克戦術書』大改訂4版(大正2-3年邦訳 第12巻, pp.142-145)は、パンの消費期限を8日としています。また、焼いたパンは乾燥させる必要がありますし、配給の手間も考慮すると交付する頃には2日を経過しています。

製粉調達及燒餅の困難なるが爲め往々麺包を減少し肉定量を増加するに至ることあり。
(中略)
七年戰に於ては樽詰の製粉を四十年間使用したりと云う。一八二二年の戰役に於ては穀物を製粉するに大なる困難を有せり。而して佛軍は巴里に注文せる手挽製粉機を退却中初めて受領せり。穀物を煮或は熔りて多く使用せらりたりしは痢病の原因となれり。
麵包は日耳蔓及西部「スラウ」民族には殆んど缺くべからざる最重要の糧食にして同時に之を調達するには比較的最大の困難を有す。是れ麵包は通常住民の日々の需用にのみ充て其製造は毎に若干時を要するを以てなり。麵包は積載するの前二十四時間を經過し又之を軍隊に支給するの前四十八時間を經過しあらざるべからず。又古きに失する麵包は人體に適せずして搭載せる麵包の愈々新鮮なるに從い腐敗を生ずること益々早し。
九日を經たる麵包は最早交付するに適せず。裸麥及小麥粉製の混成麵包は早く食するも健康を害することなし。麵包の補充材料たる菓子麵包及重燒麵包は兵卒食するを好まず。重燒麵包を久きに亘りて食用する時は頑固性消化障害の原因を與う(佛軍は一八七七年巴爾幹半島に於て所謂ビスケット下痢を生ぜり)
普通の燒餅爐は間斷なく二十四時間使用し一米平方の爐積にて約二百五十人分の麵包を燒き農厦の使用する爐は僅に二百人分の麵包を繞くに過ぎず。「グロウ」式野戰燒餅爐は晝夜作業する時は二千人分の麵包を製造し又野戰燒餅爐十二個を有する野戰燒餅縱列は二十四時間內に各一、五吉瓦の麵包二萬四千個を製造す。若し日々位置を變更することあらば僅に一萬三千個を製造し得るに過ぎず。大兵群に要する麺包の爲めには一人一个月に付二十五吉瓦の麵包用穀物を要す。百吉瓦の製粉を用うれば百二十五吉瓦の小麥麵包或は百三十三吉瓦の裸麥麵包を燒くを得。製粉及食鹽を車輛に積載する時は腐敗すること少く又兵卒自身にて食料品を調製するの利を有す。故に糧食の調達は狀況に依り又廣く製粉に及ぼさざるべからず。是れ要すれば軍隊が隊附燒餅手をして需要の麵包を焼かしめ得んが爲めなり。〜

パンをつくる作業も大変です。

明治26年訳の『独逸戦時倉庫経理勤務規則』に収録されている「陣中製麺包長の勤務教令」(p.22)は、次のように工程ごとの必要時間を記しています。

第三十九 成規の兵麵包を燒くには凡左の時間を要す。
爐を温むるに 一時間
捏粉を調製するに 四十五分間 但爐を温むるの間に於てす
麵包を爐內に容るるに 三十分間
之を燒くに 一時三十分間
麵包を爐中より出すに 三十分間
合計 三時三十分間

また、同「陳中製麵包爐の開設に係る教令」(82f.)によると、きちんとしたパン焼窯を築造する場合には、かなりの時間を必要としました。

故に始め鋤を以て地を穿つ時より麵包を燒爐より脫出するに至るの最下限の時間は二十時間とす。其爐に燃火する後凡二時間を經過せしめ然る後始めて燒製するに當り更に燃火するを良しとす。此時に當り窯の後部まで燃木容る可らず。而して二時間燃火せし後(爐の掃除も亦此時間中にあり)麵包を挿入す可し。
燒爐に燃火する毎には其燃火の終りに臨み凡○、二五方米突の松材を用う。且燃火の時間は一時間にして麵包の挿入脫出は各十五分間を要し燒製には一時三十分間を要す。
故に燒製每には凡三時間を要す。
間斷なく業務を爲すに當り一燒爐に付二十四時間に八回麵包を燒製するを得。而して毎回爐中に一、五吉魯「グラム」の麵包二百七拾個存するを以て一日間に二千百六十個の麵包を製するを得。
所要の燒製員即ち左の如し。
二乃至四燒爐に付 上等製麵包手 一名
十二時間を通し一爐に付 製麵包手 五名
(內插入手一名)其他割木荷水、麵包運搬等の爲め所要ノ助手

パンの調理や保存に関する基本的な条件は、19世紀を通じてさほど変化しなかったように思われます。

ヴュルテンベルク王国軍のCarl von Martensが著した『Handbuch der Militär-Verpflegung im Frieden und Krieg』(1864年)でも、パンの保存期限については次のように述べています(第1部, 105f.)。

パンは、最も欠かすことのできない主食と見なされるべきであり、その調達は常に管理上の第一の関心事でなければならない。
暑い季節には4〜5日、寒い季節には7〜8日間、食べることができる。焼かれた後、通常は24時間経って配給される。
乾パンは、普通のパンの定期的な配給が保証されそうにない、あらゆる場合に役に立つ。乾燥の度合いにより消費期限を10から40日まで延ばすことができるからだ。
ビスケットは、消費期限(最長1年)が長く輸送が容易なため、軍の戦時給養にとって非常に重要であり、特に要塞や長距離遠征に効力を発揮する。
しかし、兵士を常にそれだけで給養することは得策とは思われない。咀嚼が難しいため、すぐに胃がもたれ、よいスープにもならない。

拙訳

もっとも、当時の軍用パン(コミスブロート)は、国や地方によって材料や調理法がだいぶ異なっていたようです。

Martens(1864, pp.111-114)は、次のように記しています。

フランスでは、コミスブロートはふすまを含まない上質な小麦粉(※Weizenmehl)から作られる。ドイツのディンケル(※スペルト小麦)の産国ではライ麦とディンケルが混合されることがままあるが、ドイツのほとんどの地域、特にプロイセンでは、パンはもっぱらライ麦粉から焼かれている。このようなパンには、通常、麦粉、黒粉(※Schwarzmehl)、2等粉(※Nachmehl)など、より品質等級の低い麦粉を使用するが、麦粉が純粋で腐っておらず、パンがうまく焼かれていれば、完全に健康的で丈夫なパンに仕上がり、麦粉の品質等級が低い分、ふすまが含まれているため、非常に栄養価の高いグルテン成分が含まれている。しかし、通常、コミスブロートには過剰な水分が加えられている。これは、パンの調製におけるさまざまな操作に注意が払われていないためか、意図的に加えられている。パンの需要を請負で賄う方が便利で簡単ではあるが、ここでは官吏の詳細で包括的な知識と監督が最も重要である。

フランスの規則

フランスの規定では、塩もグリース(※挽割、粗挽粉)のふすまと同様、パンに必要かつ規定された材料となっている。普通のふすまが穀物のくずであるように、グリースのふすまはグリースのくずである。
パン生地をこねてからオーブンから焼き上がりを取り出すまで、いわゆるパン定量の完全な製造には2 1/2、長くて3時間12分かかるはずである。24時間以内に、このようなパン定量が10できる。普通のコミスブロートは丸いパンで供給され、1本は2レーションに相当する。24時間経過すると、その重量は15ヘクトグラム(1.5kg)になる。中心部の厚さは8~9センチ、直径は24~25センチである。
パン職人は、4人のパン職人からなる班(1人の班長、3人のパンこね職人とパンの長柄木べら係)で組織される。(96頁と103頁も参照)

プロイセンの規則

プロイセンの規定では、コミスブロートには純粋なライ麦粉が使用される。これは、30~32本の繊維でできた篩い布(78頁参照)を使用するか、いわゆるコプリン篩を3~4工程使用して得られる。1ウィスペル(※穀物の容積単位)、1,800ポンドの麦粉で6ポンドのパンが400個、小麦粉の品質に応じて、いわゆるプルスブロートが16~20個できる。製パンに使用される麦粉は、さまざまな製粉工程で倉庫内で事前に混合され、乾燥および冷却され、特に袋や樽に詰められている場合はふるいにかけられる。サワー種は常に新鮮に保たれなければならない。篩布でふるった麦粉と挽き割りの麦粉を一緒に焼く場合は、後者を発酵に、前者を捏ねに使う。1シェッフェル(※容積単位)の麦粉には平均37ポンドが必要である。焼き一回あたり、水は16シェッフェルにつき4アイマー(※昔の液量単位。約60-80リットル)で計算する。塩漬けパンの場合、6ポンドのパン1個につき1 1/2から2ロート(※昔の重量単位。約16g)の塩が使われる。塩水は発酵には使わず、捏ねるのに使い、塩が使用される分だけ麦粉の使用量は少なくなる。その後、サワー種からグルントザワー(焼成時に残った生地)を調製するが、その際に注意しなければならないのは、ぬるま湯を加えたときにグルントザワーが完全に溶けていること、かなり透明で固くなっていないことである。パン生地はハウプトザワーから作る。 6 3/4ポンドの生地から6ポンドのパンができる。コミスブロートは通常 2 時間で調理され、パンの耳の下を軽くたたくと、鈍くなく明るい音がすることがわかる。6ポンドのパンは最初の24時間で2~3ロート減り、3、4日目には5~6ロート減る。焼くのには時間がかかる。オーブンを温めるのに50分、パン生地の準備に45分、パンを焼くのに120分、パンを押し込むのに30分、パンを引き出すのに30分、合計4時間35分かかる。木材は乾燥している必要があり、麦粉は良質でなければならず、調理員は機敏でなければならない。

ヴュルテンベルクの規則

ヴュルテンベルク王国では、ウルムの要塞守備隊を除き、パンの供給は業者に委託されており、ライ麦1/3と穀粒小麦粉(※Kernenmehl)2/3を使って焼かれることになっている。ライ麦2シムリ(※穀物の容積単位)に対してディンケルを1シェッフェルの割合で焼く。パンはよく焼く必要があるが、通常は 1 回のみで、2 回を超えてはならない。皮が焦げたりパンの中身から焼けて剥がれたりしてはいけない。また、パンが油っこくてはいけない。パンは切ったときに心地よく、酸っぱすぎない香りがしなければならず、パンの中身は多数の目で確認されなければならない。風味が苦かったり酸っぱくてはいけない。食事の際、歯でギシギシしてはならない。パンは焼きたてでも古くてもならず、焼き上がってから 24 時間以内でも48 時間以後でも支給してはならない。24時間以上経過している場合、10ポンドの1定量は8ロート、多くて10ロートの不足があるが、24時間未満であれば不足は許されない。

トースト・パン

トーストされたパン(Soucharren)は糧食として用意され、コミス・ブロートの在庫が使用できないか、湿気で痛んでいる場合によく使われる。この場合、パンを横に切ってトーストする。6ポンドのプロイセンのコミス・ローフはトースト・パンにしても3 3/4ポンドの重さを保っている。フランスの行政は、倉庫品としてトーストしたパンを好んで作る。他のパンと同じく一度に焼き上げ、重さは同じだが体積は小さくなる。オーブンの火力を強め、焼く時間を通常のパンは35分から40分であるところを60分から80分とするのが好ましい。

ビスケット(※Zwieback)

ビスケットは通常、平たい、円又は四角の焼き菓子の形をしている。生地は、ふすまのない小麦粉(※Weizen)又はスペルト小麦粉に、できるだけ少ない水(粉の重量の1/10まで)を加えて練る。ほとんど膨らませず、水蒸気を逃がすために焼く前に切り開き、形成されたビスケットはやや低めの温度で多くて15分から25分焼く。非常に平らなドーム型オーブンでのみ上手く焼ける。オーブンから取り出された種なしパンは、乾燥室に入れられる。乾燥室はオーブンの煙突で加熱され、水分が完全に抜けるようになっている。ビスケットを長期保存するには、非常に注意深く準備し、乾燥した場所でよく梱包して保存しなければならない。そのため、発酵剤は使わず、塩も加えず、ふすまのない良質な小麦粉のみを使用する。生地のこね、丸め、切断、くりぬきは、イギリスとフランスの広大な海浜地域の機械設備を使用して、最高の完璧さで時間と労力を大幅に節約して行われる。そこには製粉、倉庫、パン焼きの固有の企業があり、ビスケットの製造のみを目的としている。イギリスのビスケットは、その耐久性で特に有名になった。良いビスケットは、乾燥してもろく、外皮はほぼ茶色にならず、ガラスのように崩れなければならない。中身は白く乾いていなければならない。水でやわらかくしたとき、ビスケットは底に沈んだり分散しすぎたりすることなく、かなり膨らんでいなければならない。

プロイセンの規則

メッサーシュミット※は、ビスケット生地は甘酸っぱく、プレッツェル生地のように非常に丈夫にして、薄い皿状の焼き菓子に成形し、60本の鉄釘がついた小木片で両面に突き通し、調理台に置くと言っている。生地の発酵が進みすぎないように注意する。さもないと、ビスケットが厚くなりすぎる。生地に使う小麦粉は、小麦粉1/3、ライ麦粉2/3を使うが、小麦粉1/4、ライ麦粉3/4を使うこともできる。 前者の混合では、1ポンドのビスケットに1ポンド24ロートを加え、75ポンドの小麦粉から66ポンドのビスケットを得る。 オーブンの火力は強すぎず弱すぎず、2度焼きできる、いわゆる炎熱でなければならない。 1回目は1時間、2回目は1時間半オーブンに入れ、24時間で重さ1ポンドのビスケットを1000個焼く。 これには、約90立方フィートの良質で乾燥したトウヒ材の薪が必要である。 オーブンから取り出したビスケットは完全に冷やされた後、麦粉の樽と同じ大きさの樽に詰められる。1つの樽には約170ポンドが入り、空いた隙間には乾燥した藁が詰められる。

ビスケットによる野戦給養

ビスケットは確かに良い食品だが、言葉の完全な意味でパンの代替品とは言えない。咀嚼が難しく、水分が少なすぎて胃液を消費するため、すぐにお腹を壊してしまう。そのため、食べる前にビスケットを柔らかくすることが推奨される。これはスープを作る優れた手段だが、いつまでも全てのパンを代用することはできない。パンは、できるだけ頻繁に部隊に配給しなければならない。 肉(1日3/4~1ポンド)又はベーコン(1日1/2ポンド)に加えて、3ポンド塊のパン、2ポンドのビスケット・パン及び1ポンドの米又はグラウペンが一度に詰められたものが、兵士にとっての非常に実用的な4日間の野戦糧食である。

拙訳
※メッサーシュミットは、G. Messerschmidt『Die Verpflegung der Kriegsheere』(1854年)のこと。
上記に関連する記述としては同書61-64頁を参照。

フランスの小麦パンとプロイセンのライ麦パンでは、後者のほうが焼き時間が長い点が目を惹きます。

明治21年訳の『仏国陸軍制度教程書』第2編 巻之3(pp.60-62)でも、300度で45分から50分間焼き、昼夜間断なく操業すれば24時間で平均12回、頑張れば14回はパンを焼くことができるとしています。パン(蒸餅)は焼き上げてから10時間ないし十貝?時間乾燥させた後に配給し、保存期限は8日ないし10日間です。ただし、1時間10分焼く半乾蒸餅は20ないし30日間、乾蒸餅(乾パン)は1年だと言います。

ライ麦粉の場合はサワー種、小麦粉の場合はイーストを使用するのも違いの一つです。

サワー種はパン生地に水を加え、発酵させてつくります。cf. Martens,1864, pp.91-95

日々リフレッシュして新鮮に保つ必要がありますので、保管や輸送は大変そうです。

近代人のパンは軍用といえども、手間がかかります。
古代ローマ軍の兵士が戦地で焼いたパンは、色々と議論はありますが、全粒小麦粉の種なしパンで済ませることが多かったのではないかと思いますから、一口にパンと言っても難しいものですね。

小麦とライ麦、その混合に関する嗜好というのも各国でだいぶ異なったようで、調理などの実用性だけを問題とするわけにもいきません。

兵士から不評だったフランスの軍用パンを調査するためにヨーロッパ各国の軍用パンの化学分析を行ったM. Poggialeの調査報告書『Du pain du munition distribué aux troupes des puissances européennes, et de la composition chimique du son』(1854年)は、プロイセンのふすまを取り去らないライ麦パンを「非常に重く、褐色、コンパクトであり、不快な酸味がある」と評価しています(p.10)

一方、フランスの軍用パンを「黄色がかった色で、心地よい香りと味がした」とし、諸外国のものよりも疑いなく優れていることは容易に認識できるとしています(p.12)

ずいぶんと主観が混じっているように思いますが、食べ物への評価とは得てしてこう言うものなのでしょう。

かつて現地給養の利点を主張したギベールは次のように論じましたが、パンを現地調達せよと単に命令すればおしまいにはできません。

友好国であろうと敵国であろうと、倉庫はその国の人々の普段の食材で設置されることが望ましい。そうすれば、より安価かつ豊富に調達できるからだ。
したがって、住民がライ麦を食しているのであれば兵士もそれを食し、80年前の陸軍省規則が兵士に配給するパンの種類と形態を定めているからといって、その種類と形態でのみ届けるよう強いられることはない。

Guibert, Essai Général de Tactique. seconde partie. Paris, 1803, p.301
拙訳

こうしてみると、日々のパンを得るというのは思いのほか大変だったということが分かります。

引用した文献中にも散見されるように、パンよりも肉のほうが手に入りやすい場合さえあったのでしょう。

こうした話は、いつの時代にも通じるところがあるのかもしれません。

かつて、古代ローマ軍をベジタリアン・アーミーだと表現する誤解がありました。

20世紀前半まで、多くの歴史家が元首政期までのローマ軍団兵の日常食は穀物がほとんどで肉類が含まれていなかったと考えていたのです。

戦地において食糧が尽きたときに肉しか手に入らなかったため兵士が不満だった、という史料の記述などを「肉を好まない」と勘違いしたのだとも言われています。

飢餓状態に胃にもたれる肉ばかりの日々が続いたとか、塩もなく味付けがないのにとか、そういった文脈を無視した解釈でした。

cf. Davies, R. W. “The Roman Military Diet.” Britannia, vol. 2, 1971, pp. 122–142.

「パンがなければ、肉を食べればいい」と言われても、実際には難しいのでしょう。

軍隊の給養実務においては、こうした実際的な食物や調理に対する知識が必要となるのは洋の東西を問いません。

現地農家から米を徴発により取得することが可能かどうかという見積について、日本でも明治35年刊行の木村重行 編『監督演習旅行記事』(40f.)が面白い見解を記しています。

青森県に上陸する侵攻軍を想定した演習における師団の給養計画策定に関する答解への講評におけるものです。

米の収穫時期だから容易に徴発可能だろうと考えるのは間違いであり、農家は米を少ししか精米として貯蔵してはおらず、臼で搗いて精米させるにしても各家庭には臼が一つしかなく、住民も兵役に取られるか逃散しているだろうから労働力も確保しがたいという洞察を促しています。

また、副食の肉類についても、農家は牛を飼っているという考えは甘く、生きている牛は移動させやすく、隠されてしまうだろうとしています。

第二の徵發給養も亦同一の理なり。又第一、第二の給養法の施行し得べきとの判斷の主なる理由は米の収獲時に際するを以て其調辨容易なりと云うにあるも米は農家に於て精米として貯臓するもの少し故に之を搗精せざるべからず。搗精の事を願慮したる諸君も普通農家には一戶各一臼を有するを以て標準となせり。假令い搗精器は各戶に有すると雖も之れが作業に任ずるものは平時に於ても一戶一人を望む能わず。況んや敵國に於て壯丁は兵役に徴集せらるるか又は多く逃遁するを免がれざる場合に此の如き搗精力は到底望む能わざることなり。副食物肉類も一郡に有する生牛の数を以て給養に差支なしと判斷したるものあるも生牛は他に運搬し易きものなれば戰時は殊に隠惹するもの多き考慮をなさざるべからず。

この辺りは西洋でも同様で、例えば普仏戦争では、現地住民が運び去って隠匿しやすい生牛や荷馬車などを徴発するのは困難だという戦訓が語られています。
反対に、簡単には移動できない大規模なワイン貯蔵室などは確保できたので、ドイツ軍の給養に非常に貢献したのだとか。

cf. Wellenhof, p.61

戦地ではパンも肉も得るのはなかなか難しく、一見すると贅沢品のようなものが豊富であったりと、なかなか難しいものであったようですね。

【参考文献】

寺家村和介, 諸橋秀策 訳『独逸野外要務令 : 原訳対照』,金港堂書籍,明36.3. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/843731

参謀本部 訳『独逸野外要務令 : 千九百八年改正』,偕行社,1908.10. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/995057

東条英教 訳『独逸野外要務令訳解 : 日本野外要務令対照』第2巻,兵事雑誌社,明41-42. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/843733

ブロンサルト・フォン・シェルレンドルフ 著 ほか『参謀要務』後篇,偕行社,明43.7. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/901732

『独逸戦時倉庫経理勤務規則』,陸軍省,明26.6. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/900652

司馬亨太郎 訳『巴爾克戦術書』 第12巻,干城堂,大正2-3. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/951127

陸軍文庫 訳『仏国陸軍制度教程書』第2編 巻之3,陸軍文庫,明21.8. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/843779

木村重行 編『監督演習旅行記事』,[ ],明35.3序. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/843476

Martens, Carl von. Handbuch der Militär-Verpflegung Im Frieden und Krieg. 2.Aufl, Stuttgart, 1864.

Davies, R. W. “The Roman Military Diet.” Britannia, vol. 2, 1971, pp. 122–142.

Guibert, Essai Général de Tactique. seconde partie. Paris, 1803.

Poggiale, M. Du pain du munition distribué aux troupes des puissances européennes, et de la composition chimique du son, Paris, 1854.

Wellenhof, P. H. von. Die Feld-Verpflegung im deutschen Heere. Dargestellt nach den Erfahrungen im Feldzuge 1870/71 und im Vergleiche zu unseren Einrichtungen, Wien, 1878.


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