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ドイツ人たちに移民・難民問題について聞いてみた

ドイツ人同僚
「私の家の近くに難民キャンプができることになったの。うちは親戚がむかしから移民・難民に対するボランティア活動をしていて、私もなにか力になれないかなって思って。だから自分の服や夫の靴を寄付するために、いま選り分けているところ。あの小さな街に難民が600人も入ってくるから、街の雰囲気は間違いなく変わるわねー。でも地元では前向きに考えている人が多いと思う」

さて、みなさんはドイツでの移民・難民問題について、現地の人々が実際にどのように考えているのか、聞いたことはあるでしょうか。

冒頭の会話は2015年の秋のこと。この時を起点に、移民・難民にまつわる大きな社会のうねりが生まれていった。最初はドイツから、そして後には世界の歴史に影響を与えることになる流れ。この会話は、今から振り返るとその入り口地点だった。

僕がドイツに住んでいた当時、この移民・難民問題について人々から山のようにいろんな話や想いを聞いたので、今回はそれらについて整理してみる。

ちと長い記事だけれど、ニュートラルに大きなポイントだけを挙げるようにしたので、全体像がつかみやすい記事になっていることを願っている。

なお、僕としては移民や難民問題について良いとか悪いとか、こうするべきだとかの政治的な主張は持っておらず、何かや誰かを擁護したり非難したりする意図は全くないこと、ご理解いただければ幸いです。

ポイント

この記事では、以下の4つをポイントとして挙げてみた。

(1) 前提にある人々の意識
(2) 昔から続く問題
(3) 既に国の一部
(4) 2015年の転機

では、以降でそれぞれをみていく。

(1) 前提にある人々の意識

「戦う人たち」

ドイツ人たちのスタンスを日本人が理解するには、まずスタート地点となる彼ら/彼女らの「意識」を理解することが不可欠だと思っている。そのために、第二次世界大戦の時代まで立ち戻ってみる。

第二次世界大戦においてナチス・ドイツ政府は、ユダヤ人のホロコーストを実行した。その後、総統のヒトラーが死亡して降伏したわけだけど、降伏とともに「ナチス・ドイツ政府は消滅した」という位置づけになっている。

そのため、戦後のドイツ政府(正確には西ドイツ/東ドイツの政府)は、ナチスドイツとは「別もの」という扱いになっている。(なお、日本の場合は戦時・戦後も含めて政府は継続して現代まで繋がっている)

上記の経緯から、戦後のドイツ政府やドイツ国民の立ち位置には、ある特徴が生まれた。

特徴とは何か?戦後のドイツは「ナチス・ドイツの行いは絶対的な悪だった」と位置付けることになった。このように国を挙げてスタンスを明確にできた理由の一つは、自分たちとは直接つながっていない存在だからだと思う。「ホロコーストは、過去に存在していた一部の悪の組織が実行した、一片の疑いもない過ち」と切り捨てることが可能になった。

それによって、戦後のドイツ政府やドイツ国民は、過去の自分たちの行いに責任を負って「償う人たち」ではなくなる。

そうではなく、過去のナチス・ドイツが起こした過ちを、別の立場から回復させるという前向きな努力をしている志の高い人たち、と位置付けることが理屈上は可能になった。少し言い方を変えると、現代の自分たちは「過去の一部の人たちが行った民族差別という悪事を容認せず、異なる民族に助けの手を差し伸べて、世界の融和に貢献する人たち」といった立場に自分たちを置くことができる。

たしかに現実問題として、現代に生きるドイツ人たちは、直接ナチス・ドイツの行いに影響を与えられたわけではない。だって生まれてきた時には、既に終わっていた歴史的な事実だから。それなのに外国からは「ドイツ人が起こした戦争や虐殺によって・・・」と非難の目を向けられる。どうしようもないことではあるものの、そう言われると、どこか苦しさを感じるのが人間。近代になって生まれた「国民国家」という人工的な概念は、時にこのように作用する。

そのため、過去の国家や一部の国民の行為を切り捨てるのは、一つの知恵と言えなくもない。それによって、責めを負うというよりは、前向きな行動の原動力を生む側面がある。現代のドイツでは、良いか悪いか分からないが、そういう意識が浸透していると僕は感じる。

そのため多くのドイツ人たちの気持ちとしては、戦争によって国を追われた難民が発生したときには、ドイツが難民を積極的に受け入れることで「理想の社会に貢献する」という心持ちだった。さらにいえば「自分たちは理想の社会をつくるために戦う人たち」という前向きな使命感が感じられた。

そのため、たとえば以下のような発言をしばしば耳にした。

ドイツ人同僚
「民族を問わず困った人は助ける。違う民族を受け入れることに困難が伴うのは百も承知の上だが、それでも困った人は助けるという原則に立ち返って実行するべきだ」

このように、多くのドイツ人たちは「理想のために戦う人たち」という気持ちを持っていると僕は思っている。

繰り返しになるけれど、上記は僕にはこうみえているという構図であって、それに対して良いとも悪いとも評価するものではない。

(2) 昔から続く問題

そういった高邁な考えや意識を人々の中に見い出すことができるんだけれど・・。

しかし、現実はそんな簡単なものではない。ドイツにおいて、移民・難民の受入はずっと昔からずっと続く永遠の課題のようなもの、と言う人は多い。

有名な事例はトルコからの移民の受け入れ。

戦後の高度成長期時代、具体的には1950年代には西ドイツで人手が不足。潤沢な炭鉱が広がる西部のルール工業地帯に、労働力不足を解消するためにトルコ人たちを招いた。

それによって西部にはトルコ人移民が多く居住することとなったが、やはり言語の違いや生活習慣の違いなどによって、地域での統合がなかなか進まないケースがみられた。その経験が影響して、「移民を受け入れるのは困難を伴う」という認識が静かに定着することになる。

なお、ここではドイツに住むトルコ人の意識を紹介しておきたい。トルコ系移民二世の同僚がいて、彼と移民に関する話をしたときに、いの一番に力説されたことがあった。

ドイツに住む二世のトルコ人
「トルコ移民について話をする時には、まず前提として最初にはっきりさせておきたいことがある。ドイツ人の中には、トルコ人が勝手にドイツに渡ってきて住み着いたみたいな言い方をする人もいるけれど、それは違うんだ。ドイツの炭鉱で働く労働者が足りないから、ドイツ政府がトルコ人に対して来てくださいと招いて、それに応じて来たんだ。トルコ人は招かれてやって来た、ということだけはハッキリさせておきたい」

(3) 既に国の一部

というように、移民は昔からそれなりの規模でドイツに居住している。

そして、移民やその他の外国人が一時的であってもドイツに居住していると、それが国の経済活動の一部に組み入れられていく。

最近は日本でも感じるところだけれど、外国人がいることではじめて日常が回っている。とりわけヨーロッパは地続きの大陸。周辺に様々な状態の国々が共存している国では、移民・難民として入ってきた人たちなしには、国が回らない。そして彼ら/彼女らは基本的に「ドイツ人がやりたくない仕事を担う安価な労働力」として組み入れられているケースが多い。

ちなみに、ドイツの国内でも地域によって結びつきの強い国と職業というのがある。

たとえばドイツの西部では、清掃業は東欧の人たちが担っているケースが多いとされている。一方で南部では、清掃業は南方のバルカン半島の人たちが担っているケースが多いとされている。というか、そのバルカン半島へ旅行したときに現地の人々に聞いたら、やっぱり僕の認識と同じく、たくさんのバルカンの人たちがドイツの南部へ清掃業で働きにいっているという話を聞いた。

他にも清掃業以外では、ルーマニア人は介護現場の職に強いとか、マクドナルドの店員はブルガリア人が入り込んでいる、とかの傾向があると言われている。

で、こういった移民や難民の労働力に頼ることについては、賛否がある。経済的に弱い立場の人たちをいいように使っているという見方もあるだろう。一方で逆にドイツ人からみると、母国で職がなくて経済的に困っている人たちを母国よりもずっと高い報酬で雇用して助けている、という見方もあるし。

どうとでも言おうと思えば、どうとでも言える構図。ここでは事実だけを述べて、評価はしないようにしたい。ヨーロッパで生活したり、経済的に貧しい国を旅行して現地の人の声を聞くと、世界はこうやって今日も回っている、ということだけは確かだ。

(4) 2015年の転機

長らく「腫れものに触る」のような扱いで、あまり大っぴらに言及することが憚られたドイツにおける移民・難民の存在。

その状態が大きく動いたのは、2015年の夏の終わり。その前にシリアにおいて大規模な内戦が発生しており、それに伴い大量のシリア人が国から脱出し、難民化していた。

多くの難民がハンガリーまでは到着したが、そこから行き場がなくて立ち往生。大規模な人道問題になった。

それに対して、メルケル首相が大量の難民を受け入れる方針を表明。その方針を受け、そのまま大量の難民が電車に乗って一気にドイツへなだれ込み、この年だけで100万人の難民がドイツへ流入した。

最初は、冒頭のドイツ人同僚のように、ドイツの国と国民を挙げて難民を受け入れて、世界の困難を乗り越える役割を果たそう、という前向きなトーンで社会が覆われた。

しかし時が経つにつれ、ドイツにおいて目に見えていくつかの問題が起こった。

①行政のパンク

役所や学校の受け入れ能力を超えてしまった。

②不公平感

ドイツ人の税金が、難民への生活支援金や住居の資金へ使われることに対して、不公平感が生まれた。

③難民による犯罪

それまではドイツにおいてタブーとされて、公に語られることが避けられてきた難民による犯罪にスポットが当たり始めた。

①行政のパンク、②不公平感、あたりは、まだ人々の許容範囲だったと思う。

しかし、③難民による犯罪が、世論を一変させた。

移民や難民による犯罪は、それまで警察やマスコミがあえて黙殺してきた、いわゆる「公然の秘密」みたいなものだった。それが2015年の転機によって、ようやく公に語られるようになった。

特に世論の転換点になったのが、2015年の最終日である大みそかに起こった難民による大規模な性暴行事件。それによって世論は、それまでの「困っている難民に手を差し伸べよう、世界の困難を皆で乗り越えよう」というリベラルな雰囲気が急に勢いを失い、2016年の年初あたりから、保守的な論調が一気に力を持ち始めた。

ドイツ人
「ドイツ社会のルールは守ってもらう。守れない人は入ってくるべきでない。ドイツ政府は、入ってくるべきでない人を峻別して退去させて、コントロールする義務がある!」

この、「ルールは守る」「制御不能は良くない」という価値観は、多くのドイツ人にとって譲れない「琴線」みたいなもの。過去の移民による犯罪は、まだ局地的な個別事象と言えたのかも知れないが、今回の大規模な流入によって、ドイツ人たちは自分たちの社会全体が変質してしまうのでは、という恐怖を感じはじめたように見えた。

更にその後、2016年末のクリスマスマーケット襲撃テロ等を経て、メルケル首相の難民受入れ政策という判断への批判が高まっていった。

その批判の根っこにあるは、「自分たちと文化・価値観等が違う人たちへの拒否感」だったり。または「自分たちが努力して作り上げて良い状態を保っている社会が乱されることに対する理不尽な思い」だったり。他にも「本来は国民のために存在している政府なのに、自分たちではなく他国民のために便益を図っている不公平な感覚」だったり。

この移民・難民問題については、あるドイツ人同僚が言っていた表現が的を得ていると思った。

ドイツ人
「移民・難民の受入れ問題は、塩水みたいなもんだよ。ある程度の量までは混ざり合って溶け合うけれど、一定量を超えると、もはや混ざらなくなって分離してしまう」

この難民問題を契機にして、欧州政治の重しになっていたメルケル首相の退潮が鮮明になった。

並行して、ドイツの混乱をリアルタイムで眺めていた他国において、自国ファーストの主張が目に見えて力を得ていった。たとえば、イギリスではブレグジットへの流れができる。アメリカでは自国第一主義とトランプ大統領の誕生。ヨーロッパ各国における極右や保護主義の発言力の増大。

こうやって、第二次世界大戦後に一貫して世界が「みんなで仲良くして平和の恩恵を享受しよう」という方向に進んできた慣性が弱まって、歯車が逆回転をはじめた。

そして現在は、第一次世界大戦の前夜の雰囲気とも表現される。もちろん世論は一様ではなく、人によって立ち位置はさまざま。また、時と状況によって人々の立ち位置も大きな「うねり」をみせる。ただ少なくとも、僕は当時に政治レベルで「歴史が動いた」状況を目の当たりにした。

まとめ

どう感じられたでしょうか、ドイツにおける移民・難民問題。

とにかく、この問題を簡単に解決してくれる魔法の杖がないことはハッキリしている。

そしてもう一つ明白なこと。それは、人間の心の中には様々な気持ちが折り重なって渦巻いていること。

たとえば「貢献」「理想」といった高邁な気持ちを人は持っている。一方で「現実」「理不尽」「不公平」などのマイナスの感情も、間違いなく人々の心の中に同時に存在している。そう、「同時に」存在している。

人間というものには、これらの複雑な感情が同居していることが明確に浮かび上がってみえた。

一人ひとりの心の中でさえ、時と場合によってはこれらの感情の大きさや強さが刻々と変化している。人は時には理想を願い、時に理不尽さに直面して気持ちを掻き乱される。

それは、別にドイツ人だけではない。あらゆる人類が共通的に持っている心情ではないだろうか。

さて、みなさんはこれらの構図を読まれて、ドイツ人たちに共感を感じたでしょうか、反発を感じたでしょうか。それとも、その両方だったでしょうか?

by 世界の人に聞いてみた

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