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あまりに美しい「東方正教会」

今回は、五感に訴えかけてくる、あまりに美しい「東方正教会」について紹介してみたい。

もし教会や宗教に苦手意識がある人であっても、人間の営みの場として写真だけでも軽く見ていってもらえれば。

さて、みなさんは「東方正教会」をご存じでしょうか?

東方正教会とは、キリスト教の一つの教派。以前、キリスト教の概要についてまとめた記事を書いた中で「東方正教会」という教派について簡単に触れた。三大教派のうち、カトリック・プロテスタントと並ぶ立ち位置。

最近は耳にする人も増えたかも知れない。というのも、ウクライナ戦争に関連するニュースの中で、「ロシア正教会」「ウクライナ正教会」といった単語が出てくることもあるから。

今回はそういった東方正教会についてまとめてみる。なお、僕はキリスト教徒ではないので、あくまでも部外者として感じたことや調べたことを書いています。

どこで?

「東方」と名付けられているとおり、主に東の方でメジャーなキリスト教。

「東」って起点はどこやねん、って思われるでしょうが、キリスト教・カトリックの中心地といえばバチカン(≒イタリア)のある西欧。それに対して東方なので、ロシア・ウクライナ・セルビア・ブルガリアといった東欧諸国では正教が多い。

・・・って、日本人にとっては馴染みの薄い国が多いけれど、要はヨーロッパの東の方の国で信仰されている。

いつできたの?なぜ?

11世紀頃にカトリックから東方正教会が分離して成立した。

分離した要因は色々とあったとされている。教義の解釈の違い、東西の文化的な違い、政治的な影響など。ただ、カトリックと東方正教会の違いは、信者でない人の目からみると、それほど根本的で大きな違いには感じないかも知れない。

僕の個人的な印象では、カトリックと東方正教会の違いは、兄弟姉妹くらい程度の違いに感じる。かなり近い印象。一方、この両者をプロテスタントと比べると、もう少し離れていて親戚関係くらいの違いを感じる。

どんな?

東方正教会の教会やミサは、とにかく美しい、の一言に尽きる。

たとえば、教会の中には荘厳なイコン(聖画像)が飾られている。

このイコンには、聖者や、キリスト、マリアが描かれている。聖者とは、模範的な信仰の生活を送った歴史上の人物だったり、奇跡を起こした人たち。キリストやマリアのイコンには、人々がカバーガラスの上から接吻をしていくことも。

このイコンをみると東方正教会らしさを感じる

また、ミサの時間には朗々とした声で祈りが唱えられ、が焚かれる。

教会の中は神々しい雰囲気で包まれており、その中で人々は、熱心に祈りを捧げる。そして時おり、堂に入った動きで体の前で十字を切る。

その空間の中にいると、視覚・聴覚・嗅覚といった五感や感情に強く訴えかける要素が揃っている。

教会で僕はいつも想像してしまう。数百年前のむかしむかしの時代、メディアがなくて、自分の身の回りの世界しか知らない人たちが、都会の大きな教会にやってくる。そこで壮麗なミサが行われ、みんなと一緒にお祈りをする。

その状況って、感覚として圧倒されるはず。

僕も大きな教会で東方正教会のミサに参加すると、その美しさや荘厳さに、いつも感覚的にただただ圧倒されてしまう。

さて、それでは僕が旅行先で訪れた東方正教会の教会の写真をみていこう。

各国の東方正教会

ウクライナ正教会

首都・キーフの聖ミハイル黄金ドーム修道院

セルビア

ロシアと関係の深いセルビアでは正教の教会が街でたくさん見られる。

首都・ベオグラードの聖サワ大聖堂
聖サワ大聖堂の地下
地方都市・ノビサドでフラッと入った街の中の教会

エストニア

旧ソ連時代からロシア人が多く住むエストニア。ロシア正教の教会がある。

首都・タリンのアレクサンドル ネフスキー大聖堂

ラトビア

首都・リガの教会

ボスニア・ヘルツェゴビナ

歴史が複雑でモザイク国家のボスニア・ヘルツェゴビナでは、イスラム教・セルビア正教・カトリックの3つの宗教が混在する。僕はここで初めて正教の教会に入って、それまで知らなかった世界を知った。

首都・サラエボの教会

コソボ

コソボの中にあるセルビア正教会。って、これの意味するところは数千文字の記事にしないと説明できないので、またの機会に記事を書きます。

コソボの中にあるセルビア正教の教会

北マケドニア

自称パーティー好きの北マケドニア人たち。であっても、もちろん信仰心ある人もいる。

首都・スコピエの教会

ジョージア

ジョージアの国土は山が険しい場所に位置しているからか、人々の信仰も敬虔な印象だった。

首都・トビリシの教会
ロシアとの国境まで数キロメートルの山あいの地域に建っているゲルゲティ・三位一体教会

ベラルーシ

「欧州最後の独裁国家」と呼ばれるベラルーシ。宗教を否定する社会主義国家が長らく続いていても、それでも教会は残されている。

首都・ミンスクの聖霊大聖堂

トルコ

トルコは現在、イスラム教の国家。なのに、なぜ東方正教会の記事に出てくるのか?

それは、東方正教会は元々はトルコの首都・イスタンブールが発祥の地だったから。コンスタンティノープルと呼ばれていた当時の話。

下の写真は、アヤ・ソフィア。元々は東方正教会の主たる大聖堂の一つだったけれど、後世にオスマン帝国が奪取し、東方正教会をモスクとして改築。つまりイスラム教のモスクではあるけれど、原型は東方正教会の建築物だったという数奇な運命を持つ建物。圧巻の迫力だった。

アヤ・ソフィアの内部

まとめ

如何だったでしょうか、あまりに美しい東方正教会。

僕は大学時代に、「科学」と「哲学」と「宗教」のこれら3つの違いとは何か?について授業で考える機会があった。

まず、科学はあくまでも物質など自然界に関わる事実を扱うものだと思う。

では、哲学と宗教の違いは?

その当時に僕が考えた結論としては、哲学とは、感情を排除した上で概念に関わる普遍性や論理性を追求した事実を扱うもの。

という哲学に対して、宗教は人の感情を扱うものだと整理した。

例えば、
■ 何らかの道を示してくれる物語や指針を与えてほしいという、人々の願いに応えてくれる存在
■ より良い生き方をしたいといった人々の望みに力を貸してくれる存在
■ 理屈があろうがなかろうが感情を受け止めてくれる存在

そういった「人々が感情面から求めるもの」そして「感情を通して人に影響力を持つもの」が宗教ではないだろうか、と考えた。もちろんこれは僕の個人的な考えに過ぎないけど。

という僕からみると、東方正教会は感情面からしっかりと人々を惹きつける王道の宗教だと思う。

これまで人間が紡いできた長い人類の歴史の中で、東方正教会は人々の営みを構成してきた重要な一つの要素。人間とは何だろうか?の一面に答えてくれる厚みを持った存在だと僕は思う。

現代でも人々から求められ、生活の中に息づいている東方正教会

by 世界の人に聞いてみた

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