ドイツ人と日本人の思考回路の違い
日頃から僕のnoteの記事では、ドイツ人と日本人の文化の違いを切り口とした記事を書いている。この2つの国は、気候・風土や歴史・地理などが大きく違っていて、それゆえにそれぞれの国の文化が違ってくるのは当然のこと。
そして、思考回路も大きく違っている。
「思考回路が違う」と一言でいっても、果たしてどのように違うのか?
今回はそれを考えてみてみよう。
切り口はコロナへの政府の対応
思考回路の違いを考える切り口として、コロナへの政府の初期対応を題材にしたい。特に、まだ世界中がコロナへ暗中模索で対応していたパンデミックが始まってすぐの時期、つまり4年前の2020年春ごろの政府の対応。
当時、僕はドイツに住みながらパンデミックを経験して、その時のドイツ政府と日本政府の対応にかなりの違いを感じた。その両国の対応の違いについて考えていたら、それぞれの国民の思考回路がとても明確に表れているように感じたから、今回題材として取り上げてみる。
なお、ここではどちらが優れているとか効果的だ、とかを論じたいわけではない。あくまでも、それぞれの国には違いと特性がある、という点だけを取り上げたいこと、ご理解願います。
①ドイツ政府の対応
まずドイツ政府。極めてドイツ人っぽいロジックで対応したと思う。
思考回路
どう考えたかというと、
「今この時に最優先で達成すべきものを明確にして、それを達成するために最も効果的な方法を実行する。それに伴って発生する問題や解決できない課題は、分けて個別に対応する」
ということだった。
具体的には
■ 最優先事項を定める
いま最優先して達成すべきことは「新型コロナの感染拡大を止める」こと。経済活動は二の次。
■ 達成方法を絞り込む
それを達成するために最も効果的な方法は「各人が家にとどまって社会的な接触を最小限に抑える」。
その実行にあたって不可欠なことは「国民みんなの共感と理解を得て、一人一人が協力する」。
■ 付随する問題は別で対処
それによって、経済への打撃など付随する問題が発生するけど、「それは別次元の話なので個別に対策する」。
その思考回路の結果として出てきたものが、2020年3月18日のメルケル首相のスピーチだった。
スピーチの要旨としては、今回は第二次世界大戦以降で最も国民の一致団結が求められている。この事態の深刻さを、国民みんながきっちりと理解して、共有して、みんなで家にとどまる。いわゆる「ステイホーム」をしよう、というもの。それを情感豊かな表現で国民に訴えた。
この進め方の良い点は、「いま国として最優先すること」を明確にするわけだから、みんなにとって明快で分かりやすい。だから国民みんなが当事者意識を持てるし、自分も国や国民全体の動きに参加していると感じられる。いわゆる民主主義と相性の良い思考回路だと思う。
これを批判するなら
「理念は分かるけど、経済が止まるとか問題がいっぱい出てくる。それらの問題への対策が示されてなくて、中身がカラッぽだね。子どもでも考えつくよ」という批判になるだろうか。
けれど、僕の周りのドイツ人の思考からすると、経済の問題は最優先すべきものとは別次元の話だから、別途考えるべきもの。いろんな話を入れて混ぜ返して、最も大事な考え方の骨格を台無しにしてはいけない、というスタンスだった。また、そもそもこういった予測できない事態に備えて政府が財政出動して経済支援できるように、平素から健全財政を志向していたという背景もある。
このようなロジックで、当時のドイツ政府は対応していった。
さて、次は日本政府の対応について。
②日本政府の対応は
僕の見方が的を得ているか分からないけど、一つの切り口として。
思考回路
一般的に日本では、「問題があるから、それを避けるために対策が必要」というロジックが受け入れられやすいと思う。完ぺき主義のベースがあって、「完ぺきでないから、問題に対して対策して、解決する必要があるよね」という言い方が響く。
例えば、2020年4月7日の安倍首相スピーチは、「医療崩壊を避けなければいけない。避けるために役立つあらゆる対策を実行する」と説明された。ドイツでは「ステイホーム」という「やるべきこと」がキーワードになっているのに対し、日本は「三密を避ける」とか「問題を避ける」といった表現になっているのが、端的に思考回路を表していると思っている。
具体的には
当時、日本政府はいくつかの政策を提示した。日本人らしく先の先までよ~く考えて、将来的に発生する問題に対してまで芸術的な解決策が考えられた。例えば、
■ 和牛商品券
「今後は訪日客が減るから、先々に和牛が余ることになる」という問題が見えているので、国民に和牛商品券を配れば、国民への経済的補助と産業の活性化を包括的に一石二鳥で対策できる。
■ 全国旅行支援
同様に「今後は観光産業が苦しくなる」という問題に対しては、国民に旅行支援を行えば、同じく国民への経済的補助と産業の活性化を包括的に一石二鳥で対策できる。
■ 布マスク配布
医療機関のマスクが足りなくなる問題がある → 家庭に一世帯に二枚の布マスクを配る → それによって家庭のマスク消費を減らせる → 医療機関向けのマスク不足の問題が解決できる。
■ どっちの方が問題が小さいか
経済活動を止めると、それによって多くの人たちが経済的に困窮して、コロナによる死者以上に自殺する人が増えるという問題が発生するから、経済活動を止めないでおこう。その方が死者数を増やさず問題が小さい。
というような、先の先まで見通して芸術的な問題解決策を模索したように見える。
このアプローチの難点は
但し、この手のアプローチには難点がある。
■ 目的を見失いがち
現在の問題点や、今後発生が見込まれる問題点は分かるけど、全体像や目的意識を国民へしっかり伝えていない。だから往々にして手段が目的化してしまい、「そもそも何をしたいんだっけ?」と、目指していることを見失いがち。なんでパンデミックが始まったら政府は国民に和牛を食べてほしいのだったっけ?政府は国民を旅行させたいんだっけ、それとも家にいてほしいんだっけ?というように、結果的にロジックが分かりにくくなりがち。そうなると、国民の共感も得られにくい。
■ 対処療法
「そもそも、その個別の問題を解決することを本当に多くの国民が一番希望しているか」は、あまり考慮されていない。たしかに、和牛商品券は畜産業者を、そして旅行支援は観光産業で発生する問題への一定の対策になるだろう。ただ、それがパンデミック初期の時間や労力が足りない中で、国として高い優先度をもって取り組むべきと総合的に判断されたのだろうか。あくまで予想される様々な問題(マイナス)に対して、対処療法のアイデアが出てきたものから個別に打ち出した、と感じられた。
■ 状況変化に弱い
先の先を見通した目論見が話の前提になっているから、状況変化に対して非常に弱い。当初は重要な問題になるだろうと想定していたことが、状況変化によって全然問題にならなかったり、他にもっと大きな問題が起こったり。
■ お上としもじも
先の先まで見通して想定される問題に対して複雑な施策をうつから、国民としては「政府のすることは政治家や専門家が考えてくれればいい。私たち国民が考えることではない」と、当事者意識を失いがち。
一方で、これらの政策を考えた人からすると、「こんなによく考えられた包括的な問題解決策なのに、国民はなんで理解しないんだ。政府がカネを出します、家にいろ、といった単純なメッセージよりもずっと職人技だ」という感じなのかな。
まとめ
長くなったので、改めてもう一度振り返ってみる。
ドイツ人の場合は、「今この時に最優先で達成すべきものを明確にして、それを達成するために最も効果的な方法を実行する。それに伴って発生する問題や解決できない課題は、分けて個別に対応する」という思考回路を好む。
たしかに、ドイツ人たちは仕事でも頻繁にこの原理原則に立ち返る。単純といえば単純だけれども、これはこれで効果的な考え方のフレームワークだと思う。
他方で日本の場合は、「問題があるから、それを避けるために対策が必要」というロジックが受け入れられやすいと思う。完璧主義が根底にあるから。これはこれで、製造業やサービス業では有効な考え方のフレームワーク。問題への個別対策を繰り返し、ひたすら再発防止策を導入し、完璧さを極限まで突き詰める。
ちなみに、なぜ日本人は完璧主義を好むのか。僕が思うには、島国の中で鎖国などを経て独自のモノカルチャーを育んできたからではないだろうか。地理的に海によって外界と隔てられた場所に、ある程度の規模の民族が住んでいるため、国の中を完璧に統制することが可能、という世界でも特殊な世界観に立脚しているからとみている。
というわけで、今回は僕なりに両国の人たちの思考回路の違いと特徴を整理してみた。繰り返しになるけれど、どっちの国が優れているとか効果的だ、とかを主張したいわけではないこと、ご理解願います。
さて、みなさんは世界の中で日本人の思考回路の特徴を1つだけ挙げるとすれば、何だと思うでしょうか?
by 世界の人に聞いてみた
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