【新曲「èləméntəri」の歌詞について(制作秘話・いじめ・ASD・強迫性障害・場面緘黙症・不登校についてなどの裏話)※暗い内容が含まれます】
はじめまして、ボカロPのCULT Pと申します。
先日新曲の「èləméntəri」を公開したので、そちらの裏話などしていきたいと思います。
※この作品を制作するに至るまでに、様々な体験をしてきたのでこの記事ではそれに触れます。作品自体は聴き手に不快感を感じさせないようポップに仕上げましたが、この記事には暗い内容が含まれるため閲覧注意です。
制作秘話
クレジットには記載していないのですが、撮影・編集をCULT Pが行っています。
動画の撮影は地元、名古屋市栄にて行いました。
所持金3000円。交通費900円。カツカツのまま気づいたら栄に動画を撮りに行ってました。
撮影中人が多くてパニックになったり、超大変だったのでもうしたくないかも。
夕方に撮影し、夜に編集し動画を完成させました。偉すぎる。褒めて下さい。
では、本題の歌詞についての裏話をしていきます。
テーマは自身の小学生時代
この楽曲は自身の小学生時代の実体験を元に作詞しました。
小学一年生〜三年生
友達がいて、放課後は公園で集まって3DSをして。至って普通の平成時代の小学生でした。が、この時から少し違和感が。二年生の時の担任がなぜだか自分にだけとても当たり方が酷く、誰かが掃除道具をしまっていなかったらなぜか僕だけ呼び出され怒られる(自分はしまっている)ことがあったり、クラスのテストの平均点が悪かったとき、僕だけ名指しで怒られる(自分は90点台をとっている)など理不尽な指導が多く、精神状態が不安定になっていました。でも、元から当たりが酷かったわけではなくて、確かなきっかけがありました。それは、自分が偏食で給食をよく残していたこと。それを見ていた担任が指導だったのか気に食わなかったのかわかりませんが、一度体罰がありそこから僕だけに対する当たりが酷くなっていきました。それを見ていたクラスメイトが僕のことを叩くようになり、いじめが始まりました。が、仲良くしてくれていた友達もいたのでその子となるべくいるようにし、放課後は公園などで遊んでいました。この頃からストレスの影響か強迫性障害の症状が現れ始め、漢字の宿題で文字が書けなくなる(書いて、消してを繰り返してしまい4時間ほどかかる)ようになります。そして三年生になり、一度体罰をされた担任は産休でいなくなり、僕のことを叩いていたクラスメイトも他のクラスになり、一年生の頃の友人達(事情を知らない)と同じクラスになりました。そのまま三年生は順調に終わり、地獄の四年生になります。
小学四年生〜小学六年生
二年生の頃に僕のことをいじめていたクラスメイトと同じクラスになり、地獄の毎日が始まります。
正直辛すぎてあまり記憶がないですが、上靴に画鋲を入れられたり放課後に殴られたりする毎日が続きました。この頃から学校で声が出なくなり、それもあっていじめは悪化しました。集団いじめではなく一人から受けていたのですが、そのクラスメイトは先生が来た途端暴力や罵詈雑言を辞め、先生の前では優等生でいたので成績がとてもよく自分は元々その子より成績が良かったのですが、どんどん落ちていきました。強迫性障害も悪化し、宿題が8時間かかるようになりました。クラスの子もこのことを先生に言ったら自分が標的になるのではないかと思っていたはずなので、結局このことは誰にも知られず小学五年生になりました。小学五年生、友人もいじめっ子もいないクラス、めちゃめちゃ優しい担任、知ってる人が一人もいず声も出せないので孤立はしていましたが、担任がケアしてくれたりみんな何気に仲良くしてくれたりで宿題が8時間かかっていること以外最高のクラスでした。教科書を何度も開き直したり手を何度も洗ったり机の中を何度も見たりして本当に落ち着きがなかったと思います。この頃のクラスメイトには謝りたい。小学六年生、いじめっ子とは違うクラスになりましたが、二年生の時の体罰担任が育休から戻ってきてまた自分の担任になりました。本当に失望しました。体罰などはそれ以降されてないのですが、当たりは酷いままで学校へ行けなくなり不登校になりました。
不登校〜精神科
親には自分の学校での事情を話していなくて、宿題に時間がかかりすぎていることだけ不審がられていました。最初は学校に行ったふりをして全然違う方向へ行き学校が終わるくらいの時間に家に帰ることをしていましたが、すぐに学校から連絡がいきバレました。朝、学校に行く支度をしなくなりずっと寝ていたら親に叩かれ、しばらくして精神科に連れて行かれました。最初は本当に小規模の精神科で、ASDと強迫性障害の疑いがあるので大きな病院で検査をしましょうということで大きな病院へ連れて行かれました。何をしたかほとんど覚えていませんが、絵を描かされたりした覚えがあります。凄く空覚え。診断書には強迫性障害・不眠症・自閉症スペクトラムの可能性ありみたいなことが書かれていました。曖昧すぎる。強迫性障害の薬と不眠症の薬、精神を良くする薬と言われた謎の薬を渡され、昼と夜に合計7錠ほど薬を飲み、あとは家で寝るだけの生活が始まりました。
卒業式
ミニ卒業式(不登校などで学校へ行けてなかった子が卒業式が終わったあとに校長室で卒業式を行うというもの)があり学校からそれに誘われたのですが、不登校をしていた間に躁鬱気味になってしまい、この頃の僕の頭は卒業式に行って全員殺してやるになっていました。そのため卒業式に行く決意はできており、暴れてやろうとしていましたがそんな勇気もなくただ卒業式に行った人になりました。行ったら仲の良かった友人数名に話しかけられ写真を撮ったり、なぜか密かに好きだった女の子にずっと好きでしたと言われました。人生のピークかも。行って本当に良かった。僕にも味方がいたのか、となりました。このおかげでいい人もいるんだな、となり中学校へ行く決意をしました。続きは来年の2月に出す新曲と共に公開します。ここまで読んで下さって本当にありがとうございました。新曲、自身の小学生時代の苦しみ・思い出などを上手くポップに消化できたので聴いてやって下さい。デジタルEPも販売しているので、是非支援よろしくお願いします。CULT Pでした。