餃子のルーツを学ぶvol2 餃子はどうやって日本にやってきた?
こんにちは。学ぶ餃子vol2です。
今回は、日本では焼き餃子が主流であるのはなぜか、そもそも、どうして餃子が日本でよく食べられるようになったのか、についてお話ししていきたいと思います。
それでは、ノートを机にペンは手元に、準備はいいですか?🥟
みなさんお馴染みであろう焼き餃子。しかし餃子発祥である中国では、餃子といえば、水餃子といった具合に、日中間でポピュラーな餃子の種類が異なっているようです。今回はわかりやすいように、戦後の日本に絞って、どうやって焼き餃子が普及していったのか、そして時代によって餃子の捉え方が変わっていったのか、を見ていく上で、謎を解き明かしていきたいなと思います。
戦後の日本。餃子が流行る。
そもそも、終戦直後、日本では食糧や生活必需品は引き続き配給制となり、飢饉や栄養失調を患う人が大量発生しました。かつ、1945年には、天候不順や労働力不足により、農作物が十分に摂れない最悪の不作の年を経験しました。そんな中、マッカーサー率いるGHQの日本統治が始まり、アメリカの小麦が安く大量に輸入されるようになりました。余談ですが、「所得に応じて、所得の少ない人は麦を多く食う、所得の多い人 は米を食う。」この大蔵大臣の池田勇人の発言からわかるように、戦後わずか1年で経済格差による栄養格差が生まれていました。小麦粉が手に入りやすくなりました。そこで、何が流行ったかというと。
餃子です。
なぜか?
味の視点から考えていきましょう。
当時流行っていた外食時の食べ物というと、ラーメンや焼きそばなど、味がしっかりついて脂っこいものだったそうです。もちろんそれらは、アメリカ小麦粉を原料としていましたし、 食欲をそそるニンニクも使われていたそうです。ん?餃子の持ち合わせている特徴と重なるな。勘の良い人は気づきましたね。餃子が流行る前から、日本人の需要に餃子が異常なまでにマッチしていました。そして、水餃子よりも焼き餃子の方が油っこいという点で、日本で焼き餃子がよりポピュラーな選択である理由がわかります。
次に、経済復興を果たした日本で、餃子が日本の食事にどう参入していったのか見ていきます。
ここでの経済復興とは、高度経済成長期に入り、1956年の経済白書で有名な「もはや戦後ではない」という一節が象徴しているように、1955-56年を指しています。この時期から、金銭的余裕、社会資源の増加、食糧の安定的な供給により、人々の「食事」が一変します。食事をグルメとして楽しむようになるのです。外食をするのはもちろんのこと、自宅でもより凝った料理や、より美味しい食事を作るようになるようです。ちなみに、餃子の皮の市販は1950年代から開始されていて、1959年、NHKの「きょうの料理」が初めて餃子の作り方を紹介 し、「皮も手作りしてこそ本当の餃子」と宣伝していたことからわかるよう、家で手作りを楽しむ人々がいるくらい、餃子は家庭料理の一員になっていたことがわかります。また、高度成長期に入った1955年頃、東京には約40軒の餃子屋があり、しかも毎月20軒ずつ増えていたとされているようです。
以上、餃子がどのように日本ではやったのか、なぜ焼き餃子が日本人にウケたのか、についてお話しました。餃子の普及の背景にはとても合理的な理由があることがわかりましたね。
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画面一面に餃子が広がります。いい気分になるはずです🥟。
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