とろける湯豆腐と、父との思い出
ピリピリとした寒さで、からだの芯まで冷える夜。
とろ〜りとろけた柔らかい湯豆腐を愉しみました。
嬉野温泉の本物の湯豆腐にはかなわないけれど、
それに近い味わいをうちで再現します。
ラクチンなので、
お疲れの時などにぜひ(^▽^;)
豆腐の角が鍋の中にとろけてゆき、次第にとろんとした仕上がりに。
鍋に振りかけた重曹のアルカリ性で水が柔らかくなり、豆腐のタンパク質を少しずつ分解していく仕組みです。
始めは水に豆腐、好みでささみや鱈などを入れて、
鰹節を入れたポン酢の器とともにゆっくり温めます。
食用の重曹で、という他には特にコツはありませんが、昆布を入れるとカルシウム分でアルカリ性が中和されて、とろけにくくなります。
入れるなら小さいもので、沸騰前に除くなどご注意を。
最初はこんな風。
ふつふつとわいてきたら、
お湯の1%の量の重曹をスプーンで加えます。
みるみるシュワ~と泡が立って
お鍋のなかが、重曹炭酸泉になっているような感じ。
何分かそのまま弱火で温めていると、
次第に白濁してくるとともに、
豆腐も角からとろけていきます。
お安い豆腐でも、嘘のように濃厚でクリーミーな味わい。
豆腐だけでも満足感いっぱいで、
追加の豆腐を買いに走ることも。
ひとり1.5丁~2丁いけてしまいます。
具が少ない分、
冷蔵庫の中で、豆腐に合いそうなものを薬味にして並べ、
色々のせて頂くのが、とても楽しいです。
今夜は、
カリカリに焼いたじゃこ、梅肉、ゆずこしょう、レモン、刻みわけぎ、キムチ。
シンプルですが、じんわりしみわたる味でした。
豆腐を食べた後の鍋に、翌朝味噌を溶いて豆乳スープ風味噌汁も、寒い朝のおなかに染み渡ります。
少し重たい話になりますが、
この鍋を食べるたび、
父との別れの頃を思い出します。
この柔らかさと温かさに、よく支えてもらい
幾度となくこしらえていました。
6年近く闘病し、
重い病気が見つかってからは、あっという間。
新幹線で1時間半の距離だったため、急変に間に合いませんでした。
最後、しばらくは病院から自宅に戻ること叶い、
たまたま大学が休みで訪ねていた愛しい初孫ともふれあえたことが
せめてもの救いになったかもしれません。
火葬を終え、
まだ温かいお骨を膝に抱いて
斎場に戻るマイクロバスに座っていたら…
お嫁に行く朝、神社に向かうマイクロバスで、
同じ席、運転席の後ろに父と並んで座ったこと
父がずっと私の手首をつかんで離さなかったことまで、思い出してしまいました。
亡くなって初めて、
父が高校で演劇部にいたことや、
大学では漢詩が得意で自ら詠んでいたことなど、
友人のみなさんから、いくつも教えて頂いて…
親についての知らないことは、思いのほか沢山あるものです。
80歳になっても、学友の皆さんにあんなに泣いてもらえる父をいささか誇らしくも感じ、
また、
自分の時間のすべてを費やして
父の看護に向き合った母の姿を見ながら、
子供はいくつになっても、親から学ぶことがある、といまさら気づいたりしていました。
同じようにできるかは、皆目わからないけれど…。
近くで支え合ってくれていた叔母、
いつの間にか、頼りになる大人になった弟、
実の息子のように、酒に釣りにと楽しく父と付き合ってくれていた夫、
葬儀の前後、にぎやかに母を元気づけてくれた母の姉弟たち、
微力ながら私や子供たちも。
みんなに力をもらい
母が徐々に乗り越えてくれてみるみる時が経ち、
この秋で10年になります。
昨年夏、母はようやく思い切って
父との思い出溢れる家を手離し
私の近くに転居してくれました。
今がとても幸せだ、とよく言うようになって、
活動的に日々を楽しんでいます。
私たちを安心させてくれる母を近くで見ながら、
子供に心配をかけないように頑張る背中に
まだ学ぶべきことを見つけたようです。
私もこのような歳の重ね方ができたらいいのだけれど…
我が行く末は殊のほか、想像がつきません。
こうありたい、と心を留め置きながらも、
まだまだ失敗を重ねては学んで行くしかなさそうです。