スワロウ 異食症の彼女と神経性過食症の私の共通点
異食症という摂食障害を抱えた主人公のお話、スワロウという映画を観た。
そうなってしまった背景やら何やら、自分ととても似ている。
第三者の視点ではこんな風に見えているのだろうと思った。
どう考えても変わり者なのである。
世間でいう摂食障害
同じ摂食障害でも、私レベルまでなってしまった者は訳が違うと思っている。
自然と治ることがあるのか、と期待をしたい気持ちと
いくら環境が変われど変われない自分を知って
私は毎日絶望している。
すべてのお金と時間を過食嘔吐という行為に消費する。
ゾンビそのものな自分がわたしは大嫌いだ。
けど、手放すのもまた怖いと思ってしまう自分がいる。
過食嘔吐に救われてしまうこともあるから。
どうしようもない。
摂食障害を克服した人や寛解した人たちをSNSで目にするたびに心もまた痛む。
私はそちら側になれるのだろうか?
1ミリの期待も今は出来ないのである。
記憶を無くしてしまった主人公の映画やドラマを観るたびに思うのも、記憶がなくなってしまえばこの行為を手放せるのか?ということだったり
摂食障害を抱えた生活は
摂食障害を軸にまわり続ける。
囚われから抜け出せない。
べつに痩せていたい訳ではないけどやはり太りたくはない。
大量に詰め込んだ胃袋が空っぽになれば、安心する。
こんな風になってしまった原因とは何なのか?
そこに戻ってみれば良くはなるのか?
いま、抜け出せない原因は何なのか?
正直もう全てが分からない。
私はこれらを手放せば“普通”を手にできるのだろうか。
この映画のラストを観ても
私はまだ不安なままだった。