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『たとえ目には見えなくとも』からし種とパン種のたとえ

イエスのたとえ話シリーズ No.17「からし種とパン種」

2024年10月20日

マタイによる福音書13:31‐33
13:31 イエスは、また別のたとえを彼らに示して言われた。「天の御国は、からし種のようなものです。それを取って、畑に蒔くと、
13:32 どんな種よりも小さいのですが、生長すると、どの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て、その枝に巣を作るほどの木になります。」
13:33 イエスは、また別のたとえを話された。「天の御国は、パン種のようなものです。女が、パン種を取って、三サトンの粉の中に入れると、全体がふくらんで来ます。」

マルコによる福音書4:30-32 
4:30 また言われた。「神の国は、どのようなものと言えばよいでしょう。何にたとえたらよいでしょう。
4:31 それはからし種のようなものです。地に蒔かれるときには、地に蒔かれる種の中で、一番小さいのですが、
4:32 それが蒔かれると、生長してどんな野菜よりも大きくなり、大きな枝を張り、その陰に空の鳥が巣を作れるほどになります。」

ルカによる福音書13:18‐21
13:18 そこで、イエスはこう言われた。「神の国は、何に似ているでしょう。何に比べたらよいでしょう。
13:19 それは、からし種のようなものです。それを取って庭に蒔いたところ、生長して木になり、空の鳥が枝に巣を作りました。」
13:20 またこう言われた。「神の国を何に比べましょう。
13:21 パン種のようなものです。女がパン種を取って、三サトンの粉に混ぜたところ、全体がふくれました。」


新改訳改訂第3版 © 一般社団法人 新日本聖書刊行会(SNSK)

タイトル画像:ボウヤー聖書の物語を描いたヤン・ルイケンのエッチングcommons.wikimedia.org


はじめに


あなたは今、人生の小さな種を握っているかもしれません。それは、からし種のように微小で、取るに足らないものに見えるでしょう。あるいは、パン種のように、ほんの少量で何の変化も起こせないように思えるかもしれません。しかし、イエス・キリストは私たちに、これらの小さな始まりにこそ、驚くべき可能性が秘められていると教えています。

人生の中で、あなたの夢や目標、信仰や希望が、時に取るに足らないものに思えることはありませんか?

しかし、からし種とパン種のたとえは、私たちに重要な真理を示しています。小さな始まりが、想像を超える大きな結果をもたらすことがあるのです。

今日、私たちはこの意味のある教えについて考えてみましょう。あなたの人生にある「小さな種」は、どのように成長し、周りの世界に影響を与える可能性があるでしょうか?

からし種とパン種


ある日、イエスはガリラヤ湖畔で多くの人々に教えを説いていました。群衆が岸辺に押し寄せてきたので、イエスは舟に乗り、少し岸から離れたところに座って語り始めました。

イエスは言われました。「天の御国は、からし種のようなものです。人がそれを取って畑に蒔くと、それはどんな種よりも小さいのですが、成長すると、どの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来てその枝に巣を作るほどの木になります。」

群衆は静かにイエスの言葉に耳を傾けていました。イエスは続けて別のたとえを語りました。「天の御国は、パン種のようなものです。女がそれを取り、三サトン(約40リットル)の粉の中に混ぜると、やがて全体が発酵するのです。」

イエスはこのように、多くのたとえを用いて群衆に語られました。たとえによらずには何も語られませんでした。これは預言者を通して言われていたことが実現するためでした。「わたしは口を開いてたとえで語り、世界の始まりから隠されていたことを告げよう。」

その日の夕方、イエスは弟子たちと共に舟で対岸に渡られました。弟子たちは、語られたたとえの意味について尋ねました。イエスは答えられました。「あなたがたには天の御国の奥義を知ることが許されているのです。しかし、他の人々にはそうではありません。」

イエスは弟子たちに、これらのたとえが神の国の性質を表していることを説明されました。小さな始まりから大きな影響力が生まれること、目に見えない形で徐々に広がっていくこと、そしてその成長が確実であることを教えられたのです。

弟子たちはイエスの言葉を心に留め、後にこの教えを世界中に広めていきました。こうして、小さな始まりから、キリストの教えは全世界に広がっていったのです。

三つの福音書に見るたとえ


イエス・キリストによって語られたからし種とパン種のたとえは、マタイ、マルコ、ルカの3つの共観福音書に記録されています。これらの記述には微妙な違いがあり、それぞれの著者の視点や意図、対象読者の違いを反映しています。以下、各福音書の特徴と背景について見ていきたいと思います。

マタイによる福音書の特徴

マタイの福音書は、主にユダヤ人キリスト教徒を対象に書かれたと考えられています。マタイは「天の御国」という表現を用い、からし種とパン種の両方のたとえを記録しています。

  1. 「天の御国」の表現
    マタイは一貫して「天の御国」という表現を使用しています。これは、ユダヤ人読者に配慮した表現で、神の名を直接用いることを避ける傾向があるユダヤ教の伝統を反映しています。

  2. 両方のたとえの記録
    マタイはからし種とパン種の両方のたとえを記録しています。これは、神の国の異なる側面を強調するためと考えられます。からし種のたとえは外的な成長を、パン種のたとえは内的な変化を表しており、マタイは両方の側面を重要視していたと言えます。

  3. 詳細な描写
    マタイは「空の鳥が来て、その枝に巣を作る」という詳細を加えています。これは、旧約聖書の預言(エゼキエル書17:23など)を想起させ、メシアの王国の到来を示しています。

マルコによる福音書の特徴

マルコの福音書は、主に異邦人の読者を対象に書かれたと考えられています。マルコは「神の国」という表現を用い、からし種のたとえのみを記録しています。

  1. 「神の国」の表現:
    マルコは「神の国」という直接的な表現を使用しています。これは、ユダヤ教の伝統に馴染みのない異邦人読者にとって理解しやすい表現です。

  2. からし種のたとえのみの記録:
    マルコはからし種のたとえのみを記録しています。これは、神の国の外的な成長と拡大に焦点を当てているためと考えられます。異邦人読者にとって、キリスト教の急速な拡大は重要な関心事だったでしょう。

  3. 簡潔な描写:
    マルコの描写は比較的簡潔です。これは、マルコの福音書全体の特徴でもあり、行動と出来事に焦点を当てる傾向を反映しています。

ルカによる福音書の特徴

ルカの福音書は、ヘレニズム文化の影響を受けた広範な読者層を対象に書かれたと考えられています。ルカもマルコと同様に「神の国」という表現を用い、からし種とパン種の両方のたとえを記録しています。

  1. 「神の国」の表現:
    ルカも「神の国」という表現を使用しています。これは、ルカの読者層の多様性を反映しており、ユダヤ人と異邦人の両方に理解しやすい表現を選んだと考えられます。

  2. 両方のたとえの記録:
    ルカはマタイと同様に、からし種とパン種の両方のたとえを記録しています。ただし、ルカはこれらのたとえを別々の文脈で提示しており、それぞれのたとえが独立した教えとして機能するようにしています。

  3. 社会的視点の強調:
    ルカは「庭に蒔いた」という表現を使用しています。これは、より日常的で身近な環境を描写しており、ルカの社会的関心を反映しています。また、パン種のたとえでは「女が」という主語を明確に記しており、ルカの福音書全体に見られる女性への注目を示しています。

それぞれの福音書の特徴

3つの福音書におけるからし種とパン種のたとえの記述の違いは、それぞれの著者の神学的強調点、対象読者、文化的背景を反映しています。

  • マタイは、ユダヤ人読者に向けて、旧約聖書の預言の成就としてのメシアの王国を強調しています。

  • マルコは、異邦人読者に向けて、神の国の急速な成長と拡大を簡潔に伝えています。

  • ルカは、多様な読者層に向けて、神の国の包括的な性質と日常生活における現実性を強調しています。

これらの違いは、初期キリスト教会の多様性と、異なる文化的背景を持つ人々に福音を伝える努力を反映しています。同時に、3つの福音書は、小さな始まりから大きな結果が生まれるという神の国の本質的な特徴を一貫して伝えており、この中心的なメッセージは変わらず保たれています。

神の国の到来としてのたとえ


神の国の到来は、私たちの目に具体的かつ明確に見えるような形では現れなかったのです。例えば、ローマ帝国の属国であったイスラエルに駐留していたローマの軍隊が撤退していくような、目に見える劇的な変化として現れるわけではありません。そのため、イエスの弟子たちは時として、自分たちの小さな働きが本当に神の国の到来に繋がっているのかと、疑問に思うことがあったでしょう。

そうした現状をふまえイエスは、この弟子たちの疑問に答えるために、二つの印象的なたとえを用いたようです。

一つ目は、からし種のたとえです。からし種は非常に小さく、百粒でわずか1グラムほどしかありません。そのため、「小さいもの」の代名詞として知られています。しかし、このごく小さな種がまかれると、驚くべき成長を遂げます。中には3メートルを超える高さにまで成長するものもあります。


「クロカラシナ」By Johann Georg Sturm (Painter: Jacob Sturm) - Deutschlands Flora in Abbildungen at commons.wikimedia.org

このたとえは、イエスと弟子たちの状況を巧みに表現しています。彼らは、当時の社会において富も権力も持たない、目立たない小さな集団でした。しかし、イエスは彼らに神の国が既に到来していると告げます。このたとえは、現在は目立たないこの小さな集団が、やがて驚くほど大きな神の民へと成長することを預言しているのです。

二つ目は、パン種のたとえです。パン種は、ごくわずかな量でも、3サトン(約40リットル)もの大量の粉全体を発酵させる力を持っています。この量は、一度に焼ける最大量のパンに相当し、約100人分のパンを作ることができます。

このたとえもまた、神の国の性質を見事に表現しています。神の国は、その始まりは小さく目立たないかもしれません。しかし、パン種がわずかな量で大量の粉を発酵させるように、神の国の影響力は想像を超えて大きなものとなります。

これら二つのたとえを通して、イエスは弟子たちに重要なメッセージを伝えています。すなわち、神の国は必ずしも目に見える形で劇的に現れるわけではありませんが、その影響力は確実に、そして驚くべき規模で広がっていくということです。小さな始まりや、一見取るに足らない働きであっても、それが神の国の一部であるなら、やがて驚くべき成果をもたらすのです。

I. 小さく始まり、大きな影響をもたらした

神の国の本質を理解する上で、その始まりの小ささと最終的な影響力の大きさのコントラストは非常に重要です。イエス・キリストは、この驚くべき真理を私たちに伝えるために、日常生活から二つの身近な例を用いました。

まず、パン種のたとえを考えてみましょう。ほんの少量のパン種が、大量の粉全体を発酵させる力を持っています。目に見えないほどの小さな存在が、やがて全体を変質させる驚くべき力を秘めているのです。これは、神の国の影響力がいかに強大であるかを示しています。

次に、からし種のたとえに目を向けてみましょう。パレスチナで最も小さな種の一つであるからし種が、やがて大きな木に成長し、鳥が巣を作れるほどになります。この驚異的な成長は、神の国の拡大を如実に表しています。

これら二つのたとえが教えてくれるのは、神の国の成長の特質です。その始まりは小さく、ほとんど目立たないものかもしれません。しかし、時間とともにその影響力は驚くべき速度で広がり、最終的には私たちの想像をはるかに超える規模にまで成長するのです。

II. 見えない力ではあるが、確実な変化を与えた

神の国の働きには、目に見えない不思議な力があります。それは、静かにしかし確実に変化をもたらす力です。イエス・キリストは、パン種とからし種のたとえを通して、この見えない力の本質を私たちに教えてくれています。

パン種の働きを考えてみましょう。パン種が粉に混ぜられた瞬間から、目に見えない変化が始まります。発酵のプロセスは、外からは観察できませんが、確実に粉全体に広がっていきます。この内的な変化は、最終的に粉の性質を完全に変えてしまいます。これは、神の国が人々の心の中で静かに、しかし力強く働いていることを示しています。

一方、からし種の成長過程も同様に目に見えにくいものです。種が地中に蒔かれた後、その成長の大部分は地下で、私たちの目には見えないところで進行します。芽が出て、茎が伸び、葉が開くまでの過程は緩やかで、日々の変化を感じ取ることは困難です。しかし、時が経つにつれ、その成長の結果は明らかになり、やがて大きな木となるのです。

これらのたとえが教えてくれるのは、神の国の働きの特質です。それは多くの場合、目に見える即時的な変化をもたらすものではありません。むしろ、静かに、忍耐強く、そして確実に進行していくのです。この真理は、私たちの信仰生活に重要な視点を与えてくれます。

III. 遍在性と普遍性を持つもの

神の国の特徴の中でも、その遍在性と普遍性は特筆すべきものです。イエス・キリストが語ったパン種とからし種のたとえは、この真理を鮮明に描き出しています。

パン種のたとえを考えてみましょう。少量のパン種が粉に混ぜられると、それは静かに、しかし確実に粉全体に広がっていきます。最終的には、粉のどの部分もパン種の影響を受けずにはいられません。これは、神の国が社会のあらゆる側面に浸透していく様子を象徴しています。政治、経済、文化、芸術、科学など、人間の活動のすべての領域に神の国が波及していくのです。

一方、からし種のたとえは別の角度から普遍性を示しています。小さな種から成長した大きな木は、多くの鳥に宿りを提供します。これは、神の国がすべての人々に開かれていることを表しています。人種、民族、社会的地位、年齢、性別に関係なく、誰もが神の国に招かれているのです。

これらのたとえが教えてくれる遍在性と普遍性は、私たちの信仰生活と宣教の働きに重要な視点を与えてくれます。

まず、神の国は特定の場所や時間、あるいは特定の人々にのみ限定されるものではないということです。それは、私たちの生活のあらゆる面に関わるものであり、日常の些細な出来事から社会の大きな動きまで、すべてが神の国と無関係ではありません。

次に、神の国はすべての人々に開かれているという事実です。これは、私たちが誰に対しても差別なく福音を伝え、神の愛を示すべきであることを意味しています。神の国は、多様性を包含する包括的なものなのです。

さらに、この遍在性と普遍性は、私たちに大きな希望を与えてくれます。どんなに困難な状況にあっても、そこに神の国が及んでいないところはないのです。また、どんな人でも神の国に招かれているという事実は、誰一人として神の愛の範囲外にいる者はいないことを示しています。

IV. 変容の力をもたらす

神の国の最も驚くべき特徴の一つは、その変容の力です。イエス・キリストが語ったパン種とからし種のたとえは、この変容の力を異なる側面から鮮やかに描き出しています。

まず、パン種のたとえを考えてみましょう。パン種は粉に混ぜられると、その性質を根本的に変えてしまいます。発酵の過程を通じて、硬く食べられなかった粉が、柔らかく膨らんだパンへと変化します。これは、神の国が個人の内面に及ぼす変容の力を象徴しています。神の国は、人の心、思考、価値観を根本から変える力を持っているのです。かつて利己的だった人が愛に満ちた人へ、絶望していた人が希望に満ちた人へと変えられていきます。

一方、からし種のたとえは、より大きなスケールでの変容を示しています。小さな種が大きな木に成長することで、周囲の環境を一変させます。そして、その木は多くの鳥たちの住処となります。これは、神の国が社会全体に及ぼす変容の力を表しています。神の国の原理が社会に浸透することで、人々の関係性、社会構造、文化的価値観までもが変えられていくのです。

これらのたとえが教えてくれる変容の力は、私たちの信仰生活と宣教の働きに重要な意味を持っています。

まず、個人的な次元では、神の国との出会いが私たちの人生を根本から変える可能性を秘めているということです。私たちは、神の国の力によって、これまでの生き方や考え方から解放され、新しい創造物となることができるのです。この変容は、一瞬で完了するものではなく、パン種が粉全体に広がっていくように、徐々に私たちの全人格に及んでいきます。

次に、社会的な次元では、神の国の価値観が社会に浸透することで、世界を変える力があるということです。不公正、貧困、差別、環境破壊など、社会が直面する様々な問題に対して、神の国の原理は根本的な解決をもたらす可能性を持っています。からし種が大きな木となり、多くの鳥に住処を提供するように、神の国は社会全体を包み込み、すべての人々に希望と隠れ場を提供するのです。

この変容の力を認識することは、私たちに大きな希望と責任を与えます。私たちは、神の国の変容力を自らの人生で経験し、それを周囲の人々や社会全体に及ぼしていく使命を持っているのです。日々の小さな選択や行動が、パン種のように周囲に広がり、やがて大きな変化をもたらす可能性があることを覚えながら生きていく必要があります。

V. 忍耐には信仰が必要である

神の国の成長過程において、忍耐と信仰は不可欠な要素です。イエス・キリストが語ったパン種とからし種のたとえは、この真理を私たちに鮮明に示しています。

パン種の働きを考えてみましょう。パン種が粉に混ぜられてから、パン全体が発酵するまでには一定の時間が必要です。この過程は急がせることができません。同様に、からし種が蒔かれてから大きな木に成長するまでにも、相当の時間がかかります。これらのたとえは、神の国の成長が即座に目に見える形で実現するものではなく、時間をかけて徐々に進行することを教えています。

この真理は、私たちの信仰生活に重要な示唆を与えてくれるでしょう。神の国の働きは、私たちの期待や要求に即座に応えるものではありません。むしろ、神の時(タイミング)と方法に従って進行していくのです。この認識は、私たちに忍耐と信仰を求めます。

忍耐は、目に見える成果がすぐに現れない状況でも、希望を失わずに待ち続ける力です。パン生地が発酵するのを待つパン職人のように、あるいは種が芽吹き成長するのを待つ農夫のように、私たちも神の国の成長を忍耐強く待つ必要があります。この待つ時間は、決して無駄ではありません。むしろ、その間に神は私たちの内面を整え、より大きな実りのために準備してくださるのです。

一方、信仰は目に見えないものを確信する力です。パン種が粉の中で働いているのを直接目で見ることはできませんが、パン職人はその働きを信じて待ちます。同様に、からし種が地中で根を張り、芽吹く過程も目には見えませんが、農夫はその成長を信じて待ちます。私たちも、目に見える証拠がなくても、神の国が確実に成長していることを信じ続ける必要があります。

この忍耐と信仰の姿勢は、個人の信仰生活だけでなく、教会の働きや社会変革の努力においても重要です。即座の結果や目に見える成果を求めるのではなく、長期的な視点を持って神の国の成長に参与することが求められます。

時として、この待つ過程は困難に感じられるかもしれません。しかし、パン種やからし種のたとえが教えてくれるように、成長の過程そのものに価値があるのです。その過程を通じて、私たちの信仰は深められ、品性は形成され、より大きな実りへの準備がなされていくのです。

VI. 契約の成就としての神の国

神の国の本質を理解する上で、それが神の契約の成就であるという視点は非常に重要です。イエス・キリストが語ったパン種とからし種のたとえは、この真理を巧みに表現しています。

パン種のたとえは、神の恵みの遍在性を示しています。パン種が粉全体に行き渡るように、神の恵みは創造されたすべてのものに及びます。これは、神が古代イスラエルと結んだ契約が、単に一民族のためだけではなく、全人類に及ぶものであることを象徴しています。神の恵みは、あらゆる場所、あらゆる人々に行き渡り、全被造物を包み込むのです。

一方、からし種のたとえは、アブラハムへの約束の成就を象徴しています。神はアブラハムに、彼の子孫を通してすべての国々が祝福されると約束されました。小さな種から始まったイスラエルの民が、やがて全世界に祝福をもたらす大きな木となる。このたとえは、その約束の壮大な成就を描き出しています。大きく育った木に多くの鳥が宿るように、神の国はすべての民族を包含し、彼らに安息と希望を提供するのです。

これらのたとえが示す神の国の姿は、旧約聖書から新約聖書に至る神の救済計画の総仕上げとも言えるでしょう。神が人類と結んだ契約は、段階的に展開し、最終的に神の国の完成という形で成就します。エデンの園でのアダムとイブ、ノア、アブラハム、モーセ、ダビデと続く契約の歴史は、イエス・キリストによる新しい契約において頂点に達し、神の国の到来によって完全に実現するのです。

この視点は、私たちの信仰生活に深い意味を与えてくれます。私たちが今、神の国の一部として生きているということは、何千年にもわたる神の救済計画の最終段階に参与しているということなのです。私たちの日々の生活、信仰の歩み、宣教の働きは、この壮大な契約の成就過程の一部なのです。

同時に、この認識は私たちに大きな責任を与えます。神の契約の担い手として、私たちは神の恵みを世界中に広める使命を負っています。パン種のように周囲に良い影響を与え、からし種のように成長して多くの人々に祝福をもたらす。それが、契約の民としての私たちの召しなのです。

さらに、神の国が契約の成就であるという事実は、私たちに確かな希望を与えてくれます。神は必ず約束を守られる方です。ですから、神の国の完成も必ず実現するのです。現在の世界がどれほど混沌としていても、最終的には神の約束が成就し、神の国が完全に実現する日が来るのです。

現代への波及


キリストが弟子たちに語った福音の教えは、当初は単純なものでしたが、その後の2000年以上の歴史を通じて、驚くべき発展を遂げました。まさに、パン種が粉全体を発酵させ、からし種が大きな木に成長するように、キリストの教えは世界中に広がり、深く根付いていきました。

初期のキリスト教徒たちは、イエスの愛と赦しの教えを、ローマ帝国の隅々にまで広めていきました。そして、時代を経るにつれ、この教えは単なる宗教的な信念を超えて、社会のあらゆる側面に影響を及ぼすようになりました。

例えば、「神の前での平等」という教えは、人権と平等の概念の基礎となり、奴隷制度の廃止や公民権運動など、多くの社会改革の原動力となりました。また、キリスト教の「隣人愛」の精神は、現代の医療や福祉システムの発展に大きく寄与し、世界中に病院や福祉施設を生み出しました。

教育の分野でも、キリスト教の影響は顕著です。聖書を読むための識字教育から始まり、現在では名だたる名門大学がキリスト教系の学校であり、高度な教育を提供しています。

科学の分野においても、キリスト教の世界観は自然界の法則を探求する動機を与え、現代物理学の祖としてニュートンなど多くの偉大な科学者を生み出しました。現代の科学研究の基礎の多くは、このようなキリスト教的世界観から生まれています。

芸術や文化の面では、キリスト教の影響は計り知れません。音楽、絵画、建築、文学など、西洋文化の多くの側面がキリスト教の影響を受け、それが現代の芸術表現にも深く反映されています。

さらに、キリスト教の倫理観は多くの国の法体系や社会規範の基礎となり、現代の民主主義や人権思想の発展にも大きく寄与しました。また、環境保護運動や平和構築活動なども、キリスト教の創造論や平和思想の影響を受けています。

グローバルな視点では、キリスト教の影響下で設立された多くの国際的な慈善団体が、現代でも貧困撲滅や災害救援などで重要な役割を果たしています。

このように、イエス・キリストが語った単純な教えは、時代とともに発展し、私たちの社会の隅々にまで深く浸透しています。それは時に目に見えない形で、しかし確実に私たちの生活や思考に影響を与え続けています。

今日、私たちはこの壮大な歴史の一部として、キリストの教えを現代社会に適用し、さらに発展させていく責任を負っています。小さな始まりから大きな変化が生まれるという福音のメッセージは、今もなお私たちに希望を与え、より良い世界を作り出す力となっているのです。

神の国は、私たちの目には見えにくい形で静かに、しかし確実に広がっています。時に、私たちは即座の変化や目に見える成果を求めがちですが、神の働きは私たちの期待を超えた形で進んでいくのです。パン種が粉全体をゆっくりと変えていくように、からし種が小さな芽から大きな木へと成長していくように、神の国もまた、私たちの内面と社会全体を少しずつ、しかし根本的に変えていきます。

最後に


私たち一人一人が、日々の生活の中で神の愛を体現し、周囲の人々に寄り添うとき、そこに神の国の種が蒔かれるのです。たとえそれがどんなに小さな行為であっても、決して無駄にはなりません。なぜなら、神はそれらの小さな種を用いて、驚くべき実りをもたらしてくださるからです。

確かに、神の国の成長は時に緩やかで、目に見えにくいものかもしれません。しかし、それこそが神の主権的な働きの証なのです。私たちに求められているのは、その主権を信頼し、忍耐と信仰をもって神の働きに参与し続けることです。

私たちは皆、この壮大な神の計画の一部として召されています。日々の小さな選択や行動を通して、神の国の価値観を体現し、世界に祝福をもたらす者となる。それが私たちに与えられた特権であり、同時に責任なのです。

今、目の前の現実がどれほど困難に満ちていようとも、希望を失わないでください。なぜなら、神の国は確実に成長し、やがてその完成の日を迎えるからです。私たちの目には見えなくとも、神は常に働いておられます。

ですから、希望を持って前進しましょう。日々の生活の中で、パン種のように周囲に良い影響を与え、からし種のように信仰において成長し続けましょう。そうすることで、私たちは神の国の驚くべき成長の証人となり、同時にその成長に参与する者となれるのです。神の力強い御手の中で、私たちの小さな努力が、やがて想像を超える大きな実りとなることを信じつつ、共に歩んでいきましょう。

祈り


愛する天の父なる神様。あなたの国の驚くべき性質を教えてくださり感謝します。私たちの小さな信仰と奉仕が、あなたの御手によって大きな実を結ぶことを信じます。日々の生活の中で、あなたの国の証人となれるよう導いてください。イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

皆様のサポートに心から感謝します。信仰と福祉の架け橋として、障がい者支援や高齢者介護の現場で得た経験を活かし、希望の光を灯す活動を続けています。あなたの支えが、この使命をさらに広げる力となります。共に、より良い社会を築いていきましょう。