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聖書の山シリーズ8 礼拝と恵みの雨 モレの丘

タイトル画像 commons.wikimedia.org File:Givatamore.jpg


2022年9月11日 礼拝

聖書箇所 士師記7章1節-8節
それで、エルバアル、すなわちギデオンと、彼といっしょにいた民はみな、朝早くハロデの泉のそばに陣を敷いた。ミデヤン人の陣営は、彼の北に当たり、モレの山沿いの谷にあった。士師記7:1

はじめに


今回は「聖書の山シリーズ」第8回目として、あまり知られていないかもしれませんが、聖書の中で重要な意味を持つ「モレの丘」について、ともに学んでいきたいと思います。

モレの丘は、多くの方々にとって馴染みが薄いかもしれません。創世記12章6節に登場する「モレの樫の木」については、アブラハムの旅の重要な地点として知られていますが、モレが実際には丘であったことはあまり認識されていないようです。

しかし、今日の聖書箇所である士師記7章1-8節に、このモレの丘が再び登場します。ここでは、ギデオンとイスラエルの軍勢が、ミデヤン人との決戦を前にして陣を敷いた場所として描かれています。

「ミデヤン人の陣営は、彼の北に当たり、モレの山沿いの谷にあった。」(士師記7:1後半)

この地理的な説明は、単なる背景描写以上の意味を持っています。モレの丘は、ギデオンの物語における神の驚くべき救いの業が展開される舞台となるのです。

今日の説教を通じて、私たちはこのモレの丘が象徴する霊的な真理について深く考察していきます。それは信仰の試練の場であり、同時に神の力強い介入が顕著に表れる場所でもあります。

アブラハムからギデオンへと続く信仰の系譜の中で、モレの丘が果たした役割を探ることで、私たち自身の信仰生活にも新たな光を当てることができるでしょう。

では、聖書を開いて、モレの丘が語る豊かなメッセージに耳を傾けていきましょう。

モレの丘について


イスラエルの地理と聖書の歴史において、モレの丘は特別な意味を持つ場所です。この丘は、イスラエル北部地区のエズレル(イズレエル)平野の北東に位置し、海抜515メートルの高さを誇ります。エズレル平野の海抜50~100メートルから見上げると、その比高は約500メートルにも及び、十分に「山」と呼べる規模を持っています。

しかし、モレの丘が「丘」と呼ばれる理由は、その特徴的な地形にあります。なだらかな稜線とたおやかな山容が、急峻な山岳とは異なる柔和な姿を見せているのです。この穏やかな外観が、「丘」という呼称の由来となっています。

モレの丘の周辺には、聖書の物語に登場する重要な地点が点在しています。北東8キロメートルにはタボル山が、北にはイエス・キリストの故郷として知られるナザレの町が、そして南にはギルボア山が横たわっています。現在では、ユダヤ人のアフラの町のすぐ東に位置しています。

モレの丘が「丘」と呼ばれる理由は、その特徴的な地形にあります。なだらかな稜線とたおやかな山容が、急峻な山岳とは異なる柔和な姿を見せているのです。この穏やかな外観が、「丘」という呼称の由来となっています。地質学的には、この地域の多くの丘陵がそうであるように、モレの丘も火山活動によって形成されたと考えられています。

モレの丘の周辺には、聖書の物語に登場する重要な地点が点在しています。北東8キロメートルにはタボル山が、北にはイエス・キリストの故郷として知られるナザレの町が、そして南にはギルボア山が横たわっています。現在では、ユダヤ人のアフラの町のすぐ東に位置しています。

聖書学的には、モレの丘は創世記12章6節に登場する「モレの樫の木」の地として、アブラハムの旅の重要な地点とされています。また、士師記7章では、ギデオンとイスラエルの軍がミデヤン人と対峙する舞台となっており、信仰と勇気の物語が展開される重要な場所となっています。

「モレ」(מוֹרֶה)というヘブライ語は「教師」や「指導者」を意味し、この地名には深い霊的な意味が込められているかもしれません。古代の人々にとって、この丘は神の教えや導きを受ける特別な場所だったのかもしれません。

今日、モレの丘とその周辺地域は、考古学的にも観光の面でも注目を集めています。イスラエルの歴史と信仰の深い足跡を辿る人々にとって、欠かせない訪問地の一つとなっています。この地を訪れる人々は、聖書の物語が実際の地理と結びつく様子を体験し、古代の信仰の旅路に思いを馳せることができるのです。

モレの樫の木

聖書の中で「モレの丘」は、創世記12:6、申命記11:30、士師記7:1の3箇所で言及されています。しかし、興味深いことに、モレの地域では山そのものよりも、「モレの樫の木」のほうがより著名です。この「樫の木」は、単なる植物以上の深い象徴的意味を持っていたようです。

「テレビンスの木」Pistacia palaestina, terebinth  אתן פרמן via Wikimedia Commons

創世記12:6のヘブル語原文「エロン・モレ」は、英語訳聖書では様々に解釈されています。多くの翻訳者は、この表現を聖なる木や木立を指すものと理解し、乾燥した地域の風景の中で際立つ大樹として「樫」と訳しています。例えば、New King James Versionでは「terebinth tree of Moreh」と訳されています。

このテレビンスの木は、実は樫の木族ではなく、カシューナッツ科アナカルディ科に属する落葉性の顕花植物です。古代近東では多様な用途があり、その樹脂はワインの防腐剤として使用されていました。キプロスでは果実が特製のパン作りに、クレタ島ではブランデーの風味付けに用いられるなど、地中海地域で広く活用されていました。

「モレ」という言葉自体は、ヘブル語で「教師」や「神からの預言」を意味しています。これは、その木の所有者やそれが生えていた土地に特別な意味があったことを示唆しています。 申命記11:30では、モレの樫の木が地理的な目印として言及されています。

この木が特別に言及される理由は、古代の慣習に関係していると考えられます。しばしば、埋められた偶像や捧げられた宝物の上に生えた樫の木は、一種の記念碑として扱われていたのです。

ジョン・ウェスレーの解釈によれば、モレの地はアブラハムがカナンの地に最初に到着した場所の一つであり、そこで神との重要な出会いがあったとされています。つまり、モレの樫の木は、アブラハムと神との契約を象徴する記念碑的な役割を果たしていたと考えられるのです。

このように、モレの樫の木は単なる植物以上の意味を持っていました。それは神の約束と導きの象徴であり、イスラエルの民にとって信仰の記念碑でもありました。乾燥した土地に堂々と立つこの大樹は、神の永遠の約束と変わらぬ導きを視覚的に表現していたのかもしれません。 現代の私たちにとっても、モレの樫の木の物語は、信仰の旅路における神の導きと約束の重要性を思い起こさせてくれます。それは、私たちの人生の中で、神との出会いや約束を記念し、思い起こすことの大切さを教えてくれるのです。

ミデヤン人と戦うギデオン


モレの丘は、聖書の中でも特に印象的な物語の舞台となっています。士師記7章に描かれるギデオンとミデヤン人との戦いは、信仰、勇気、そして神の力強い介入を象徴する出来事として知られています。

イスラエルの民がエジプトから脱出し、約束の地カナンに定住した後、彼らの信仰生活に大きな変化が訪れました。農耕文化に適応するにつれ、イスラエルの民は徐々に主の恵みと導きを忘れ、カナンの「新しい神々」に心を奪われていきました。これは、デボラの歌(士師記5:8)にも反映されており、イスラエルの霊的な状態の悪化を示しています。

イスラエルの背信に対し、神は彼らをカナンの王ヤビンの手に渡して裁かれました。その後、預言者デボラとバラクによってイスラエルは救われ、40年間の平和を享受しましたが、デボラの死後、再び主から離れてしまいます。その結果、神はミデヤン人を7年間イスラエルに襲わせました。

ミデヤン人は、アラビア半島の遊牧民でした。彼らはヨルダン川を渡り、イスラエル全土を荒らしました。彼らの目的は領土の征服ではなく、作物や家畜の略奪でした。ラクダに乗って来襲する彼らの数は、「数え切れないほど」と描写されています。この表現は、イスラエルの人々が感じた恐怖と無力感を生々しく伝えています。

こうした危機的状況の中、神はギデオンを選びます。主の使いがギデオンを「勇士よ」と呼んだ時、彼は恐怖のあまり酒ぶねの中で小麦を打っていました。この対比は興味深く、神が人を見る目と人間の現状との違いを明確に示しています。神はギデオンの潜在的な可能性を見ており、彼を通じて働こうとされていたのです。

ギデオンの不安や疑いにもかかわらず、神は忍耐強く彼を導き、しるしを与えていきます。これは、神が私たちの弱さを理解し、それでも私たちを用いようとされることを示す美しい例です。

最終的に、ギデオンはミデヤン人、アマレク人、その他の東方の民と対峙することになります。敵の数は13万5千人以上で、「いなごのように大ぜい」「海辺の砂のように多くて数えきれない」と描写されています。これらの比喩は、イスラエルが直面した脅威の規模を生き生きと伝えています。

対するギデオンの軍は3万2千人。数の上では圧倒的に不利な状況でした。この極端な対比は、来るべき勝利が人間の力によるものではなく、神の力によるものであることを強調するための文学的装置としても機能しています。

モレの丘を背景に繰り広げられるこの物語は、私たちに重要な霊的教訓を与えてくれます。それは、困難な状況に直面した時こそ、神への信頼を深める機会であるということです。また、神は私たちの現状ではなく、私たちの可能性を見ておられるという励ましでもあります。

さらに、この物語は神の救いの計画の一部でもあります。ギデオンを通じてイスラエルを救うことで、神は自らの民との契約を守り、メシアの系図を保護されました。これは、旧約聖書全体を通じて見られる神の救済史の一コマなのです。

ギデオンの物語は、私たちが直面する「巨人」や「数え切れない敵」に対して、神が共におられることの確信を与えてくれます。それは、モレの丘の麓で展開された古代の戦いの記録を超えて、今日を生きる私たちの信仰の旅路にも深く関わる永遠の真理を示しているのです。私たちもまた、現代の「ミデヤン人」と戦う中で、神の力と導きを信頼することができるのです。

主の命令はいつも逆張り

ギデオンの物語において、神の命令は人間の常識を覆すものでした。通常、戦争における勝利の鍵は兵力の数だと考えられます。しかし、神はこの人間的な思考とは正反対の指示をギデオンに与えました。

主は「あなたといっしょにいる民は多すぎるから、わたしはミデヤン人を彼らの手に渡さない。」(士師記7:2)と宣言します。これは、敵の兵力がイスラエルの4倍もある状況下での発言でした。人間の論理からすれば、この命令は全く理解できないものです。

さらに驚くべきことに、神はギデオンの軍を段階的に減らしていきます。最初の3万2千人から1万人へ、そしてさらに300人にまで削減されました。結果として、イスラエル軍は敵に対して500分の1という、常識では勝ち目のない状況に置かれたのです。

この一連の出来事には深い霊的な意味があります。神は、勝利が人間の力や戦略によってではなく、神ご自身の力によってもたらされることを示そうとされたのです。これは、イスラエルの民に対する重要な教訓でもありました。彼らが自らの力を誇ることなく、神に全幅の信頼を置くことを学ぶ機会だったのです。

結果はどうだったでしょうか。ギデオンと300人の兵士たちの行動は、神の力強い介入と相まって、ミデヤン人の陣営に混乱と恐怖をもたらしました。敵は自滅し、逃走を始めます。その後、ギデオンはエフライムの山地全域に使者を送り、逃げるミデヤン人を追撃するよう命じました。

エフライム人たちは呼びかけに応じ、ベテ・バラまでの流れとヨルダン川を攻め取りました。さらに、彼らはミデヤンの二人の首長、オレブとゼエブを捕らえ、処刑しました。これらの首長の名前がそれぞれ「カラス」と「オオカミ」を意味することは、イスラエルの敵の性質を象徴的に表しているとも解釈できます。

この勝利は、神の力と人間の信仰が協働した結果でした。300人の精鋭部隊の勇気ある行動も重要でしたが、それ以上に神の超自然的な介入がミデヤン人の陣営に恐怖と混乱をもたらし、勝利をもたらしたのです。

ギデオンの物語は、私たちに重要な霊的教訓を与えてくれます。それは、神の方法が人間の常識や論理とは異なることがあるということです。時に神は、私たちの自己依存を打ち砕き、神への全幅の信頼を促すために、私たちを「不可能」に思える状況に置くことがあります。

また、この物語は、神が「弱さ」を通して働かれることを示しています。使徒パウロが後に「私の力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのである」(コリント人への手紙第二12:9)と述べたことの預言的な例示とも言えるでしょう。

現代を生きる私たちにとっても、このメッセージは重要です。私たちが直面する課題や困難が大きければ大きいほど、それは神の力と栄光がより明確に現れる機会となり得るのです。ギデオンの物語は、私たちが自らの限界を認識しつつも、神の無限の力を信頼することの重要性を教えてくれています。

自己放棄と主への依存

人間の思考と神の思考の違いは、聖書全体を通じて繰り返し示されるテーマの一つです。私たちは成功や達成を、量や能力、資源の豊富さと結びつけがちですが、神の視点はしばしばこれとは正反対です。神は、むしろ少ないところから、あるいは何もないところから大きなことを成し遂げられるのです。

アブラハムの物語は、この原則を見事に例証しています。創世記12章6-7節で、アブラハムがモレの樫の木のところに到着した時、神は彼に現れ、その子孫に土地を与えると約束されました。この時のアブラハムは、まだ子どもさえいない一人の遊牧民に過ぎませんでした。しかし神は、この一人の人間から、海の砂のように数多い民を起こすと約束されたのです。

この約束は、人間の目から見れば荒唐無稽に思えたかもしれません。しかし、神の言葉は不変であり、その約束は必ず成就します。今日、イスラエルという国の存在と影響力は、この約束の成就の証です。小国でありながら、イスラエルは世界の政治、経済、技術の舞台で重要な役割を果たしています。この力の源は、人口でも軍事力でもなく、アブラハムに与えられた神の約束にあるのです。

ギデオンの物語も同様の原則を示しています。もしギデオンが大軍を率いてミデヤン人を打ち負かしていたら、彼は自分の戦略や兵力を誇ったかもしれません。しかし神は、イスラエルの兵力を意図的に削減し、わずか300人の小隊で勝利をもたらしました。これは、勝利が神の力によってもたらされたことを明確に示すためでした。

この出来事は、徹底した自己放棄と神への全面的な依存の重要性を教えています。300人の兵士たちが角笛を吹き鳴らし、たいまつを振る間、神は敵陣に混乱をもたらし続けました。結果として、ミデヤン人は自滅的な同士討ちに陥り、敗北していったのです。

このような神の働き方には深い意味があります。第一に、それは人間の傲慢さを打ち砕きます。私たちは自分の能力や資源を過信しがちですが、神はそれらが究極的には神からの賜物であることを思い出させてくれます。

第二に、それは信仰を強めます。「不可能」に思える状況での勝利は、神の力と信実さをより鮮明に示します。これは、困難な状況に直面した時にも、神を信頼し続ける勇気を与えてくれます。

第三に、それは神の栄光を現します。人間の力ではなく神の力による勝利は、必然的に神への賛美と感謝をもたらします。これは、イスラエルの民にとっても、周囲の国々にとっても、生ける神の力を目撃する機会となりました。

現代を生きる私たちにとっても、この教訓は重要です。私たちは往々にして、自分の能力や資源の不足を嘆き、大きな夢や使命を諦めがちです。しかし、神の目から見れば、それらの「欠乏」こそが、神の力が最も明確に現れる機会なのです。

パウロが「私の力は弱さの中でこそ十分に発揮される」(コリント人への手紙第二12:9)と述べたように、私たちの弱さや欠乏は、神の力が働く舞台となり得るのです。

したがって、私たちは自分の限界や不足を嘆くのではなく、それらを神に委ね、神の力に期待することが大切です。自己放棄と神への依存は、単なる受動的な態度ではありません。それは、神の無限の力と知恵に信頼を置く、積極的で大胆な生き方なのです。

アブラハムやギデオンの物語は、私たちに勇気と希望を与えてくれます。神は、私たちの弱さや欠乏にもかかわらず、むしろそれらを通して、驚くべき方法で働かれるのです。この真理を心に留め、日々の生活の中で実践することで、私たちも神の驚くべき力と恵みの証人となることができるでしょう。

礼拝と恵みの雨


ギデオンの物語とパウロの教えは、神の力と人間の弱さの関係性について深い洞察を与えてくれます。両者の経験は、真の強さが自己放棄と神への全面的な依存から生まれることを示しています。

ギデオンは、元々臆病で自信のない人物でした。しかし、神は彼をあえて「勇者」と呼び、イスラエルを救う指導者として選びました。士師記7章13-15節で描かれる場面は、ギデオンの信仰の転換点となります。敵陣で聞いた夢とその解釈を通じて、神が彼とともにおられ、勝利をもたらすことを最終的に確信したギデオンは、即座に主を礼拝しました。この礼拝の行為は、自己放棄と神への全面的な信頼の表れでした。

この経験から力を得たギデオンは、300人の小隊を率いて大胆に行動します。「主のためだ。ギデオンのためだ」という彼らの戦闘時の叫びは、この戦いが神の名によって行われることの宣言でした。ギデオンは自分の役割を理解しつつも、最終的な勝利が神にあることを認識していたのです。

使徒パウロもまた、自身の弱さと神の力の関係について深い洞察を示しています。コリント人への手紙第二12章9-10節で、パウロは次のように述べています:

「しかし、主は、『わたしの恵みはあなたに十分である。というのは、わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである』と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。ですから、私は、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難のうちにあっても、キリストのゆえに満足しています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。」(新改訳2017)

パウロのこの言葉は、ギデオンの経験と深く共鳴します。両者とも、人間の弱さこそが神の力が最も明確に現れる場であることを理解していました。

さらに、パウロはコリント人への手紙第一4章16節で「ですから、私はあなたがたに勧めます。どうか、私にならう者となってください」と述べています。この言葉は、パウロ自身の優越性ではなく、神の恵みへの全面的な依存を示すものです。パウロは、自分が神の前に徹底して身を低くし、恵みに生かされていることを深く自覚していたからこそ、このような勧めができたのです。

モレの丘は、この文脈において深い象徴的意味を持ちます。アブラハムがカナンの地に入って最初に行ったのも、ギデオンが決定的な戦いの前に行ったのも、この地での礼拝でした。「モレ」という名前自体が「初めの雨」を意味し、神の恵みを象徴しています。

これらの物語から、私たちは礼拝の本質を学ぶことができます。真の礼拝とは、自分の弱さと限界を認識し、神の力と恵みに全面的に依存することです。それは単なる儀式や形式ではなく、心からの謙遜と信頼の表現なのです。

現代を生きる私たちにとっても、この教訓は重要です。日々の生活や奉仕の中で直面する困難や挑戦に対して、私たちも自己放棄と神への信頼を実践することができます。自分の弱さを認めつつも、神の力に全幅の信頼を置くとき、私たちも予想を超える勝利を経験できるのです。

イエス・キリストを心から賛美し、キリストにある一致を確認する礼拝が守られるとき、私たちの生活や奉仕にも神の恵みと勝利がもたらされるでしょう。ギデオン、パウロ、そしてモレの丘の物語は、弱さの中にこそ神の力が完全に現れるという驚くべき真理を、今日も私たちに語りかけています。この真理を心に留め、日々の生活の中で実践することで、私たちも神の驚くべき力と恵みの証人となることができるのです。

ヨエル書 2:23 シオンの子らよ。あなたがたの神、主にあって、楽しみ喜べ。主は、あなたがたを義とするために、初めの雨を賜り、大雨を降らせ、前のように、初めの雨と後の雨とを降らせてくださるからだ。

新改訳改訂第3版 

参考文献


  • 新聖書辞典 いのちのことば社

  • 新キリスト教 いのちのことば社

  • フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)



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