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聖書の山シリーズ2 神の苦悩 モリヤの山

タイトル画像:Map of Jerusalem in 1925, showing the location of Mount Moriah according to Jewish sources 出典:commons.wikimedia.org

創世記 22章2節
神は仰せられた。「あなたの子、あなたの愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。そしてわたしがあなたに示す一つの山の上で、全焼のいけにえとしてイサクをわたしにささげなさい。」。

2022年7月31日 礼拝

聖書箇所 創22章1節-19節


はじめに

聖書の山シリーズの第二回目です。前回、シナイ山を取り上げると書きましたが、構成を見直しまして、『モリヤの山』を紹介したいと思います。アブラハムの信仰の試練について語るこの有名な聖書の一節は、私たちに深い洞察を与えてくれます。

創世記22章1-19節を通して、神への絶対的な信頼と従順について考えます。この物語は、神がアブラハムに対して、想像を絶する要求をされたところから始まります。神は、アブラハムの愛する一人息子イサクを、モリヤの地で全焼のいけにえとしてささげるよう命じられました。この命令は、アブラハムの信仰と、神の約束に対する理解を根本から揺るがすものでした。

今日の礼拝を通して、私たちはアブラハムの経験から学び、自分たちの人生における信仰の試練について深く考える機会を得ます。神の御心は時に理解し難く、私たちの期待とは相反するように見えることがあります。しかし、アブラハムの物語は、神への信頼と従順が最終的に祝福をもたらすことを教えてくれています。

この礼拝の時間に、私たち一人一人が自分の信仰を振り返り、神との関係をより深めることができますように。


モリヤの山

聖書に登場する山々について語る際、まずパレスチナ地方の特徴的な地形を理解することが重要です。この地域は広大な山岳地帯に位置しており、エルサレムをはじめとするイスラエルの多くの町々は、山脈の稜線上や頂上部に築かれています。この独特な地理的特徴は、古代からこの地域の文化や歴史に深い影響を与えてきました。

例えば、エルサレムは海抜754メートルという高地に位置しています。この高さを実感するには、死海との比較が有効でしょう。死海は海抜マイナス430メートルという世界最低地点にあるため、死海からエルサレムを見上げると、実に1,184メートルもの高さに相当します。この驚異的な高低差は、この地域の地形の劇的な変化を如実に物語っています。

しかし、このような高所に町が存在することには、単なる地理的な特異性以上の意味があります。パレスチナ地方は基本的に砂漠気候に属していますが、高地に位置することで過酷な暑さを緩和できるという大きな利点があります。さらに、地中海からもたらされる湿った空気の影響で、この地域の多くはステップ(草原)気候の恩恵を受けています。こうした気候条件が、古代から人々の定住を可能にし、文明の発展を促してきたのです。

もちろん、山岳地帯に暮らすことには課題もあります。起伏の激しい地形は日常生活や農耕に困難をもたらすこともありますが、前述の気候上の利点がそれを上回る価値をもたらしてきたといえるでしょう。

さて、この地理的背景を踏まえた上で、聖書に登場する重要な山の一つ、モリヤの山に焦点を当てましょう。モリヤという名前には深い意味があり、「ヤハウェが備える地」あるいは「ヤハウェ顕現の地」と解釈されます。この山が聖書に最初に登場するのは、神がアブラハムに息子イサクをささげるよう命じた創世記22章2節の記述においてです。

モリヤの地はベエル・シェバから徒歩で約3日の距離にあると記されており、その名の由来は神(ヤハウェ)がいけにえの羊を「備えた」という出来事に関連していると考えられています。ヘブライ語で「備えがある」を意味する「イェーラーエ(イルエ)」という言葉は、「現れる」という意味も持っており、これはアブラハムに神が顕現したことも示唆しています。

モリヤの山の正確な位置については、現在も議論が続いています。最も広く受け入れられている説は、エルサレムの神殿の丘(現在のハラム・アッ・シャリーフ)とモリヤの山を同一視するものです。この見解は、歴代誌下3章1節の「ソロモンはエルサレムのモリヤ山に主の宮を建て始めた」という記述に基づいており、ユダヤ教とキリスト教の伝統的な解釈の多くがこれを支持しています。

一方で、モリヤの山をシェケム(現在のナブルス)近郊に位置づける説も存在します。この説は、アブラハムの時代にシェケムが重要な宗教的中心地であったこと、そしてベエル・シェバからの3日間の旅程がエルサレムよりもシェケムに適合すると考えられることを根拠としています。

さらに、モリヤの山を特定の地理的位置ではなく、象徴的な概念として解釈する見方もあります。この解釈では、モリヤの山は神の顕現と試練の場所を表す象徴的な表現であり、必ずしも実在の場所を指すものではないとされます。

このように、モリヤの山の正確な所在地については現在も議論が続いていますが、その名前の意味が示すように、この場所がユダヤ教、そしてそれを起源とするキリスト教やイスラム教の信仰において重要な意味を持つことは間違いありません。モリヤの山をめぐる議論は、聖書解釈や考古学、歴史学の分野で今後も続くでしょうが、その精神的な意義は変わらず、信仰者たちにとっては神との出会いと試練の象徴として、今もなお重要な意味を持ち続けているのです。

エルサレムにモリヤがあったという説

モリヤの山の所在地については、長年にわたる研究と伝承により、エルサレムにあったとする説が特に有力視されています。この説は、ユダヤ教の伝統的な解釈に基づくものであり、聖書の記述や歴史的な証言によって支持されています。

歴代誌下3章1節には、「こうして、ソロモンは、主がその父ダビデにご自身を現された所、すなわちエルサレムのモリヤ山上で主の家の建設に取りかかった。彼はそのため、エブス人オルナンの打ち場にある、ダビデの指定した所に、場所を定めた。」と記されています。この記述は、モリヤの山がエルサレムの東の丘、シオンの山に相当することを示唆しています。

この場所は、かつて「エブス人オルナンの打ち場」あるいは「アラウナの打ち場」として知られていました。サムエル記下24章に記されているように、この場所はダビデ王の人生における重要な転換点となった場所でもあります。ダビデが軍団の長ヨアブの賢明な助言を無視してイスラエルとユダの人口調査を行った結果、民の間で疫病が起こり、多くの命が失われました。しかし、主の憐れみにより、エルサレムの住民を滅ぼすために遣わされた御使いは、この打ち場でとどまりました。ここでダビデは主の前にへりくだり、祭壇を築き、いけにえを捧げたのです。

その後、ダビデはこの場所に「イスラエルの全焼のいけにえの祭壇」を築くことを決定し、彼の後を継いだソロモンがここに神殿を建設しました。伝承によれば、ソロモンはオルナンの打ち場を囲むように神殿を建てたとされています。

さらに興味深いことに、この場所はアブラハムがイサクをささげようとした場所であるとも伝えられています。現在、イスラム教徒が7世紀に建てた「岩のドーム」(オマルのモスク)の中にある聖岩が、まさにイサクをささげようとした場所であると言われているのです。このことは、モリヤの山が単なる地理的な場所を超えて、ユダヤ教、キリスト教、そしてイスラム教にとって深い宗教的意義を持つ場所となっていることを示しています。

岩のドーム 著者:Godot13 出典:commons.wikimedia.org

イスラム教徒にとっても、この場所は特別な意味を持っています。彼らはモリヤの山上にある聖岩を「アブラハムの場所」(マカーム・エル・カリール)と呼び、アブラハムがイサクをささげようとした場所であるという伝統的な解釈を共有しています。さらに、イスラム教では、この場所は預言者マホメットが天に昇天した聖地としても崇められています。

歴史的な文献もこの場所の重要性を裏付けています。1世紀のユダヤ人歴史家ヨセフォスは、その著書『ユダヤ古代誌』において、アブラハムがイサクをささげようとした聖岩に、後にダビデが神殿を建てることを決めたと言及しています。また、旧約聖書外典の一つである偽典のヨベル書には、「アブラハムはその場所を『主、見たまえり』と名づけた。これはシオン山のことである」と記されており、モリヤの山とシオンの山を同一視する伝統的な解釈を支持しています。

さらに、4世紀から5世紀にかけて活躍した初期キリスト教の神学者ヒエロニムスも、この伝承を受け入れていました。彼の支持は、初期キリスト教会がこの解釈を広く認めていたことを示唆しています。

これらの多様な伝統と歴史的な証言は、モリヤの山が三つの一神教にとって深い宗教的、歴史的意義を持つ聖地であることを示しています。アブラハムの信仰、ダビデの悔い改め、ソロモンの神殿、そしてイスラム教の預言者マホメットの昇天という、各宗教にとって極めて重要な出来事が、この一つの場所に結びついているのです。この重層的な歴史と信仰の意味が、モリヤの山をエルサレムの中心に位置づけ、三大一神教の聖地として特別な存在にしているといえるでしょう。

聖岩:アメリカ議会図書館Matson (G. Eric and Edith) Photograph
出典:commons.wikimedia.org

ゲリジム山がモリヤとする説

モリヤの山の所在地に関する議論には、サマリヤ人の解釈という興味深い側面があります。この解釈は、主流のユダヤ教やキリスト教の見解とは異なり、モリヤの山をゲリジム山と同一視するものです。この見解は、サマリヤ五書という独自の聖典に基づいており、聖書解釈と宗教的アイデンティティの問題を複雑に絡み合わせています。

サマリヤ五書の創世記22章2節では、モリヤを「モレ」と表記しています。これは、創世記12章6節に登場する「シェケムの場、モレの樫の木」と関連付けられています。この解釈に基づき、サマリヤ人はシェケム南側に位置するゲリジム山を「モリヤの地」として崇め、「聖なる山」と呼んでいました。

この主張を裏付けるかのように、ゲリジム山の中腹には興味深い考古学的証拠が存在します。アブラハムの時代に遡るとされる中庭式聖所の遺跡や、「ギバット・ハオラム」(世界の丘)と呼ばれる特別な場所があります。サマリヤ人の伝承では、これらの場所がイサクがささげられようとした聖なる場所と関連付けられています。これらの遺跡と伝承は、サマリヤ人のアイデンティティと信仰の核心を形成する重要な要素となっています。

しかしながら、このサマリヤ人の解釈は、主流のユダヤ教やキリスト教の立場からは受け入れられていません。多くの学者や宗教指導者たちは、サマリヤ五書の記述を聖書の改ざんとみなし、この解釈を否定しています。この見解の相違は、単なる地理的な論争を超えて、宗教的正統性をめぐる深刻な対立の源となっていました。

この対立の深さと重要性は、新約聖書にも反映されています。ヨハネによる福音書4章5-26節に描かれている、スカルの井戸でのイエスとサマリヤの女との対話は、この問題に直接触れています。この場面では、正しい礼拝の場所がエルサレムなのかゲリジム山なのかという論争が取り上げられています。この対話は、モリヤの山が単なる地理的な場所ではなく、ユダヤ人やサマリヤ人のアイデンティティの根幹に関わる問題であることを鮮明に示しています。

このような解釈の相違と対立は、聖地をめぐる複雑な歴史的、宗教的、文化的背景を浮き彫りにしています。モリヤの山は、アブラハムの信仰の試練の場所という共通の伝統を持ちながらも、異なる宗教集団によって異なる解釈がなされ、それぞれのアイデンティティと信仰の中心として重要な役割を果たしてきました。

サマリヤ人のゲリジム山説は、聖地の意味が単に物理的な場所に限定されるものではないことを示しています。それは信仰者のアイデンティティ、歴史解釈、そして宗教的正統性の主張と密接に結びついているのです。サマリヤ人にとって、ゲリジム山はモリヤの山であり、彼らの信仰とアイデンティティの中心です。一方、主流のユダヤ教やキリスト教の信者にとっては、エルサレムのモリヤの山が同様の意味を持っています。

このように、モリヤの山をめぐる議論は、古代から現代に至るまで、中東地域の宗教的、文化的、政治的な複雑さを象徴する一例といえるでしょう。それは単なる地理的な場所の特定を超えて、信仰、伝統、アイデンティティ、そして正統性をめぐる深い議論を引き起こし続けています。この問題は、聖地の意味と重要性が、異なる宗教集団によってどのように解釈され、守られてきたかを理解する上で、非常に示唆に富む事例なのです。

ゲリジム山 File:Nablus panorama.jpg 出典:commons.wikimedia.org

翻訳によって変わる場所

ウルガタ訳、70人訳、シリヤ語訳といった古代の聖書翻訳における「モリヤの地」の解釈の違いは、この場所の意味や位置づけがいかに多義的であったかを示しています。

  1. ウルガタ訳
    「幻の地」という訳は、この場所が神の啓示や顕現と関連づけられていることを示唆しています。これは、アブラハムがこの地で神からの試練を受け、神の啓示を経験したという聖書の記述と整合性があります。

  2. 70人訳
    「高い地」という訳は、この場所が物理的に高い場所、つまり山や丘であることを示唆しています。これは、モリヤの山がエルサレムの丘陵地帯にあるという伝統的な解釈と一致します。

  3. シリヤ語訳
    「エモリ人の地」という訳は、モリヤの地をより広範な地理的文脈で捉えています。エモリ人がカナン人の総称として使われていることを考えると、この解釈ではモリヤの地がパレスチナ全体を指す可能性があります。

これらの異なる翻訳は、モリヤの地が単なる特定の場所を超えて、神聖な啓示の場所、高地、あるいは広範な地域を意味する可能性があることを示しています。この多義性は、モリヤの地が持つ象徴的、精神的な意味合いを強調しているとも言えるでしょう。

現在、モリヤの地の正確な位置を特定する決定的な考古学的証拠や歴史的資料は不足しています。しかし、聖書の記述や伝承を総合的に考慮すると、現在のエルサレム市内およびその周辺の山地がモリヤの地である可能性が高いと考えられています。

また、アブラハムの時代(紀元前2000年頃)のエルサレムについては、考古学的証拠が限られているため、その当時の状況を正確に把握することは困難です。しかし、聖書の記述から推測すると、アブラハムの時代のモリヤの地は人口の少ない僻地であった可能性が高いです。これは、アブラハムがイサクをささげるために選んだ場所が人里離れた場所であったという聖書の描写と一致します。

このように、モリヤの地の解釈は、地理的な特定の問題を超えて、宗教的象徴、歴史的文脈、言語学的解釈など、多様な側面を持つ複雑な主題であることがわかります。この多様性と不確実性は、逆に信仰者たちにとって、モリヤの地が持つ精神的、象徴的な意味をより深く考察する機会を提供しているとも言えるでしょう。

最終的に、モリヤの地の重要性は、その正確な地理的位置よりも、アブラハムの信仰の試練の場所として、そして神の啓示と人間の応答が交差する象徴的な場所としての意味にあると言えるかもしれません。この解釈の多様性は、宗教的伝統の豊かさと、信仰の解釈における柔軟性を示すものでもあります。


アブラハムがイサクをささげるよう命じられた地

モリヤの地は、聖書の中で最も印象的で議論を呼ぶ場所の一つです。創世記22章に記されているこの場所は、アブラハムの信仰が最も厳しく試された舞台となりました。神がアブラハムに現れ、「あなたの子、あなたの愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。そしてわたしがあなたに示す一つの山の上で、全焼のいけにえとしてイサクをわたしにささげなさい。」と命じたのです。

この命令は、アブラハムにとって想像を絶する試練でした。イサクは、長年待ち望んだ末にようやく与えられた妻サラとの間の一人息子であり、アブラハムとサラにとってかけがえのない存在でした。さらに、神はアブラハムに対して、イサクの子孫が増え広がることを何度も約束していました。その約束の子を、今、いけにえとして捧げよと命じられたのです。

現代の私たちの感覚からすれば、このような命令に従うことは考えられないでしょう。多くの人は、愛なる神がこのような残酷な命令を下すはずがないと否定するかもしれません。しかし、アブラハムの反応は驚くべきものでした。彼は翌日すぐに命令に従い、旅の準備を整えて息子を連れて3日間の旅を続けました。

この旅は、単に物理的に困難であっただけでなく、精神的にも極めて苦痛に満ちたものだったことでしょう。アブラハムは、自分の愛する息子をいけにえとして差し出すという、言葉では言い表せない苦悩を抱えながら歩を進めていったのです。

山に到着し、イサクが父に尋ねます。「お父さん。火とたきぎはありますが、全焼のいけにえのための羊は、どこにあるのですか。」アブラハムの答えは、深い信仰と希望を示すものでした。「神ご自身が全焼のいけにえの羊を備えてくださるのだ。」

ついに神に指示された場所に着くと、アブラハムは息子を縛り、薪の上に載せました。イサクもまた、父の行為に従順でした。アブラハムが刃を息子の首元に当てようとしたその瞬間、神の使いが現れ、アブラハムの手を止めました。「あなたの手を、その子に下してはならない。その子に何もしてはならない。今、わたしは、あなたが神を恐れることがよくわかった。あなたは、自分の子、自分のひとり子さえ惜しまないでわたしにささげた。」

この劇的な場面は、単にアブラハムの信仰を試すだけのものではありませんでした。それは、遥か未来に起こる出来事の予型でもあったのです。伝承によれば、このモリヤの山は、数千年後にイエス・キリストが十字架刑に処せられた場所と同じだとされています。

ここで、この物語は私たち一人一人の心に深く迫ってきます。息子をいけにえにしようとしたアブラハムの姿は、ひとり子イエス・キリストを、罪人たちの身代わりとして死に至らせる父なる神の姿と重なります。それは、私たちの理解をはるかに超えた、無条件の愛の表現なのです。

なぜ神は、たった一人の御子を、罪ある私たちのために死なせるのでしょうか。それは、あなたがそれだけの価値ある存在だからです。イザヤ書43章4節の「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」という言葉は、まさにこの真理を表しています。

神の愛は、私たちの想像を超えて深く、広く、高いものです。それは、最愛の御子を犠牲にしてまでも、私たちを救おうとする愛です。モリヤの山での出来事は、神の深い苦悩と、私たちへの限りない愛を示しています。同時に、イサクを通して、イエス・キリストが私たちのためにどれほどの苦しみを負ってくださったかを垣間見ることができます。

今、私たちはモリヤの山を思い起こすとき、単なる歴史上の出来事としてではなく、私たち一人一人に向けられた神の壮大な愛の物語として受け止めるべきです。それは、私たちの日常の苦しみや試練の中にあっても、神が共にいてくださるという確信を与えてくれます。

モリヤの山は、神の御心とイエスの愛が最も劇的に示された場所です。この山を覚えるとき、私たちは自分の人生を新たな目で見ることができるのです。神はあなたを、御子のいのちと引き換えにするほど愛しておられます。この真理が、あなたの心の奥底に響き、人生を変える力となりますように。モリヤの山の物語は、私たち一人一人に向けられた神の愛の宣言なのです。この愛を受け入れ、自分の人生に適用するとき、私たちは真の自由と平安を見出すことができるでしょう。アーメン。

適 用


私への神の愛の理解しましょう
モリヤの山での出来事は、神が私たちをどれだけ愛しているかを理解するための重要なエピソードです。アブラハムが自分の一人息子を犠牲にすることを命じられたとき、彼はその命令に従いました。これは、神が私たちを救うためにどれだけの苦しみを受け入れる用意ができていることを示しています。私たちは、このエピソードを通じて、神の私たちへの無条件の愛と献身を理解し、それを自分の生活に活かすことができますか?

信仰には試練があります
 アブラハムの試練は、私たち自身の信仰が試されるときにどのように対処すべきかを教えてくれます。アブラハムは、神が彼に与えた約束を信じ、神の命令に従いました。私たちも、困難な状況や試練の中で、神を信じ、神の道を歩むことを選べますか?

神の救いをおぼえてください
モリヤの山での出来事は、神が私たちを救うためにどれだけの犠牲を払ったかを記しています。神は、私たちが罪から解放され、本来あるべき神のもとに来られることを望んでいます。私たちは、この救いのメッセージを心に留め、神の愛と恵みに感謝することができます。また、イエス・キリストの福音を信じた私たちはこの救いのメッセージを他人と共有し、神の愛を広める役割を果たすことができます。



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高木高正|東松山バプテスト教会 代表・伝道師
皆様のサポートに心から感謝します。信仰と福祉の架け橋として、障がい者支援や高齢者介護の現場で得た経験を活かし、希望の光を灯す活動を続けています。あなたの支えが、この使命をさらに広げる力となります。共に、より良い社会を築いていきましょう。