見出し画像

自分とは異なる「正しさ」ー多様性の”次”の世界への扉②ティール

ケン・ウィルバー他著『インテグラル・ライフ・プラクティス』による意識の進化成長段階「ティール」(インテグラル・システムの世界観)の記述(p187-)から、多様性の"次"の世界への扉を開け、覗いてみたいと思います。

今世界は多様性(ダイバーシティ)を目指しており、人種や性別等での違いを乗り越えようと国内外でのムーブメントや施策が行われている最中です。ときになかなか変化しない従来型社会に対し抑圧されていると感じている側からmetooなどの形で不満が噴出し、また急進的で極端な差別是正の動きに対して激しい賛否両論が繰り広げられたり、強い疑問が呈されたりして混乱が巻き起こったりもしています。このような状況について、多様性の一歩「先の世界」をのぞいてみることで、今どこにいるのか、どちらに動いていけば皆が快適に生きられるのかがみえてくるのではないでしょうか。

ティールの前後の段階についてはこちらの記事に概要があります。


1.多様性の”次”の世界は、「自己の限界」と「他者の長所」を受け入れる世界

ティールに向けて成長していく中で、意識はある非常に重要なことに気づきます。それは、「すべての視点は、現実のある重要な側面を非常によくとらえることができるということ」そして「すべての視点は、現実のある側面を軽視、抑圧すること」です。つまり、それぞれの視点が正しいものであり、また限定的なものであることに気づくのです。

ティールの1つ前の段階であるグリーン(多世界中心的・相対的世界観)では、「多世界」「多視点」をそれぞれ自分を中心に表面的に「ALL OK👌」というにとどまっていることを示しています。それでも、2つ前の段階であるオレンジ(合理的世界観)よりも、グリーンの方が、”合理的”な世界で競争から脱落したり見落とされてしまいがちな弱者などの多くの視点を受け入れ、尊重しているだけ、意識が進化しているわけなのですが…。

グリーンだと「自分の正解が結局のところ一番いい。あなたの正解はあなたのとっての正解なので、OKそうしたら?住み分けましょ」という感覚にとどまり、「自分の正解」と「他人の正解」を長所-短所や効力-限界を含めて客観的に評価していこうというような心境にまで至らないわけです。いまだ自分以外の意見を持つ人がまわりにいると、「でもやっぱり自分の”正解”の方がベストよね…なぜ皆そこに至らないのかしら?」的なしっくりこない居心地の悪さがあるとでもいう感覚でしょうか。「分離感」とも表現できるかもしれません。

ティールの段階に入って初めて、その居心地の悪さが消えることになります。その秘訣は次のようなところにあります。

2.多視点を立体的に包み込むー深さと複雑さと自他否定を超えて

この段階において、世界に存在する多様な世界観は階層的な関係にあるものとして認識されます。高次の世界観が、より高い深層性と複雑性を内包し、また、それまでの世界観を自らの中に内包していることを認識するのです。

ティールは、「世界中心主義」の世界観が「集団中心主義」の世界観よりも高い深層性を有していることを、「集団中心主義」の世界観が「自己中心主義」の世界観よりも高い深層性を有していることを認識します。グリーンの世界観はこうした判断をすることはできません。

グリーンまでの段階だと、自己中心主義→集団中心主義→世界中心主義と、順々にステップを踏んで、古い自分を卒業(否定?)しながら進級するかのように新しい自分へ進む感覚に陥りがちなのかもしれません。ひとつ前のステップのダメなところを克服して、次のステップに進むことになるので、前の段階の世界観を自ら否定しがちになるわけです。つまり、グリーンまではこれまで自分の進んできた道と克服して見えてきた世界との間に常に葛藤が生じる仕組みになっているのです。

しかし、ティールに入ると、多様な世界観は階層的で、深層的で、複雑であり、全ての価値観が自らのうちに内包されていることを認識できるようになってきます。

つまり、意識レベルがティールまで進化成長を遂げたとしても、その人の中には、グリーン的価値観(相対主義的世界観)も、オレンジ的価値観(合理主義的世界観)も、アンバー的価値観(自集団中心的・神話的な世界観)も、レッド的価値観(自己中心的・力の世界観)も全てある、自分には全て含まれているという感覚です。つまり、この段階になって初めて自己否定が消えた分の自己統合が始まることを示しています。それについて、下のように表現されています。

ティールは、また、これまでに生起してきた世界観が決して消滅しないことを認識します。それぞれの世界観は進化のダンスの中で自然と生起するものであり、それゆえに、それらは尊重と尊敬を向けられるべきものなのです。

ここでわかるのが、自己否定が消え始め、自己統合が始まると同時に、他者否定もなくなっていく。そして、意見の異なる他者に対して、単に「違う意見もOK」という表面的な肯定ではなく、深いところからの他者への尊重と尊敬の段階へ入っていくことが述べられています。

「これまでに生起してきた世界観が決して消滅しないことを認識」できることで、自分のこれまでの歩みについて「黒歴史」と顕在的にとらえたり、「あれは無いものにしたい」潜在的にとらえたりするような自己否定と他者否定をのりこえ、自分の過去や他人に対すしてキレイゴトではない許しや安心感🍀💫がようやく芽生え始めるととらえられます。

これは・・・日本人になじみの風呂敷を想像してみるとわかりやすいかもしれません。グリーン段階の視点が二次元世界で多視点あるというのなら、ティール段階の視点は三次元的に立体的に世界的に捉えられる。二次元の布である風呂敷の端と端をつまんで、くるりと結べば二次元的な多視点は全部三次元的に余裕で包含されるイメージです。

3.分離から統合へーそれは風呂敷のように・・・

風呂敷のように、自分とは異なる多くの他者の視点や、自分の否定したくなる過去を包み込めるようになると…

ティールは「深層性」(depth)と幅(width)の両方を認識します。ティールの世界観は、広く多種多様な視点を探求する能力を持ち、また、そうしたことに興味をもちます。これは複雑に絡み合うシステムを認識して、それに効果的に働きかけることを可能にします(中略)。これは、ティールの高度で活動する人々に、明晰性、創造性、効率性を、そして、意思疎通領域である「画期的飛躍」("momentous leap")をもたらすことになります。

今まで分離してバラバラでつながらなかった事柄や他者とを有機的に友好的に機能的に結びつけることができる、というわけです。人類の意識がここまで進めば、個人の中にある葛藤もなくなってきます。すると自他の資質の中の良い部分を尊重しながら、補いつつ、無駄なく活かすことができるのです。

自分と他人が分離していると、どこか無意識の領域で優越感・劣等感、同類か警戒しなければならないかという視点で他人をとらえがちですが・・・、統合されていくとそういう見方をしなくなります。共感し、お互いの成長に寄与し、お互いの能力を補い合って社会全体の発展や課題解決をする、という観点から、他者を尊重・リスペクトする視点に立てるようになります。すると、他者との間でも争いがなくなり素晴らしい世界になりそうですね。

4.存在から生きてこそ創造性発揮の時代へ

ティールの段階において「欠乏欲求」は「存在欲求」にとって代わられることになります。「存在欲求」とは、欠けているものを求めようとするのではなく、内的な充実感に基づいて発生する欲求です。

この点、欠乏欲求は”Doing”型の生き方、存在欲求は”Being”型の生き方とも言い換えることができるかもしれません。

"Doing"型の生き方(欠乏欲求をエンジンにする生き方)とは、あなたは「何かする/できる(Do)から価値がある」つまり、「何もしないあなたには何の価値もない」という自己否定の裏返しになります。これが現在までの社会や教育の主流な価値観です。だから今の社会では、ほぼすべての人が意識せずとも「ダメにならないように」「有用であるために」「脱落しないように」「無価値だと思われたくない」という欠乏欲求を刺激され、社会システムやトレンドを教え・学び・生き、休むことなく動き回ることになるわけです。グリーンの段階までは、オレンジに引き続き、まだまだ右斜め上を目指し、自分の外にある目標に向かって常に「まだまだ、もっともっと」あるいは「休んで立ち止まっては後退するからダメ」さらには「もっとちゃんと平等にみんなにOKを出さねば」などと、頑張って社会適合していく人生という感覚が残っていそうです。

一方、”Being”型の生き方(存在欲求をエンジンにする生き方)は、「あなたは居るだけで価値がある」という凸凹ある自分の特徴を受け入れた安心安全なところからスタートします。意識がティール段階まで進化成長していれば、他者と比較せず、自分自身であることを自己肯定し、自然に行動してるだけでいいという境地になっていく。自分を多角的に多次元的に受け入れて、黒歴史だの過去の栄光だの過去を「自分の思い込みだらけの小さな世界観」で善悪でジャッジしなくなり、ようやく到達できる有様ということです。

この段階では、人々はしばしば「問題」を、創造性を発揮するための「挑戦」として捉え、Win-Win的な解決策を創出しようとします。人々は「犠牲者」の心理を克服し、他者の経験にー感情的に絡めとられることなくー共感できるようになります。

彼らは巨視的な視野を維持しながら、同時に、自己のありのままと自己の目指しているものを、責任もって完全に生きることができます。

自己のなかでの葛藤が統合され、他人との葛藤も統合され、分離感がなくなることで、はじめて、ようやく個人としても社会としても「創造性」というのがいかんなく発揮されていく流れになるようです。また、今の社会ではビジネスにしても社会政策にしても「それはマッチポンプでは?」といったような課題解決思考やサービスが見受けられるわけですが…統合されてくると、そういう潮流は消えていきそうです。本当に解決しなければいけない課題は、社会構成員全体の新たなチャレンジ、新たな創造という感覚になっていくようです。

世の中のダイバーシティの段階やそれ関連の騒動をみると・・・まだまだ全体としてティールの境地には遠そうです😅。ただ、次のステップがみえることで、個人としての内観内省ポイントがわかったり、社会の流れを冷静にとらえたり客観視にはとても役立ちそうです。自分でまとめながら、あ~、耳が痛い。あ~そうか、なるほど💡と改めて発見もありました。

今日はここまで。次回、自分とは異なる「正しさ」ー多様性の”次”の世界への扉について、まとめて振り返ってみたいと思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?