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スキマ時間はスキマなんだから何でも物事をつめ込まない方が良い
はじめに スキマスキマ言うけどなぁ!
今日は「スキマ時間」について語っていくぞ。
俺はこの言葉に幾つかのレイヤーであまり納得いっていないと言うか、コメントしたくてたまらない。
んじゃいくぜ!
スキマ時間になんかやろうとするな!
1-1 労働でも余暇でもない最新時間軸スキマ時間
スキマ時間は人間が最後に到達した、最新鋭の時間だ。
私たちは生きていくために働かなくてはならない。往古にはイノシシやヘラジカを捕まえたり、糸をより機織りをして生活の糧を得ていた。今は、メールを返したり文章の校正をしたり、いろいろだ。
働いていなくても、家庭や社会で役割を果たすこともある。
とにかく基本的には働いてイノシシの肉やお給料を得ないといけない。あるいは家庭内のことがらをしなくてはならない。
要するに家庭内を含めた労働に時間を費やしている。
また私たちは充分な経済発展や高度な科学技術により、いろいろな娯楽を楽しめるようになっている。
(社会が複雑化することで労働時間が減るかどうか、人間が精神的に安定するかどうかと言う問題はとっても難しいのでここでは措きます)
要するに娯楽もたくさんあり、時間を費やしている。
スキマ時間は、それら労働や娯楽ではない、ちょっとした時間だ。
「しなければならないこと」、そして「したいこと」からすらも逃れられる時間だ。
実はスキマ時間こそが、人間が獲得した最も新しい時間のタイプなのだ。
1-2 スキマ時間の利活用するのは、もうそれはスキマ時間ではない
述べてきたスキマ時間の特性を考える時、ネットに溢れる「スキマ時間を利用!」的なものは的外れなるものとして位置付けられると思っている。
せっかくスキマ時間というとんでもない新しい時間を手に入れたのに、ほぼ全ての「スキマ時間利用系ソリューション」はスキマ時間を既存の労働や娯楽に当てようとする。
スキマ時間でアルバイト、スキマ時間でポイ活、スキマ時間でスマホの育成ゲーム、スキマ時間で読書 などなどだ。
私たちはまだ本当にスキマ時間をスキマ時間として使えていない。
それではどうすればいいか章をあらためて考えていこう。
スキマ時間をスキマ時間と認識するな!
2-1 スキマ時間をスキマ時間として認識しない
現代人は睡眠とかを除くと労働と余暇に多くの時間を費やしている。そこのスキマにちょっとした時間があることを、我々は近年発見したわけなのだ。
それでスキマ時間に何かやろうとすると、その瞬間にその時間は労働や余暇になってしまう。このことは前章で述べたとおりだ。
じゃあその時間を正しくスキマ時間として使うには一体どうしたらいいのか。
スキマ時間をスキマ時間だと考えなければいいのだ。
すなわち、認識しないでその時を過ごすことで、私たちは真にスキマ時間の真奥にたどり着くことができるだろう。
2-2 スキマ時間と観察者効果
「観察者効果」という言葉がある。観察することで、観察される側に効果が出てしまうといものだ。科学実験でもそうしたことは容易に起こりうるし、私たちの生活レベルでも普段できていることを、誰か他者、たとえば好きな子からじーっと見られていたら、思うようにできなくなったりする。
スキマ時間にもこれが起こっている。
私たちがスキマ時間をスキマ時間を認識した時点で、あるいはそれを埋め合わせようとしたところで、スキマ時間はスキマ時間ではなくなってしまう。
家の整理整頓をしていて、隙間を見つけてそこに何かを収納したら、そこはもう隙間ではなくなってしまうという譬えがわかりやすいかもしれない。
ということで、スキマ時間は認識してはスキマ時間を堪能できないのだ。
2-3 スキマ時間をどう時間として楽しむのか?
ではどうすればスキマ時間をちゃんと楽しめるのだろうか。スキマを埋めずにスキマを使うにはどうすればいいのだろうか。
ここでは認識する対象が「時間」なので、その時間が終わった時点から考察するのが良いだろう。すなわちスキマ時間が終わってからそのスキマ時間のことを考えれば良いのだ。
スキマ時間中にスキマ時間のことを考え、行動してしまうとそれは他の時間になってしまう。
物理的なスキマってのは、さっきから述べている通り、物と物の間にかたちづくられる。スキマ時間は、ここではその物と物の間にぽっかりと空いた時間なのだから、前の物と次の物までの間に形成され、次の物(ここでは次のやらなければならない/やりやい行動)が発生した際に閉じる。
つまり、スキマ時間を認識するには、スキマ時間が閉じてから行うのが最もスキマ時間として取り出しやすい状況になるということだ。
スキマ時間が終わってから、「あ〜〜今スキマ時間だったなぁ、こんなことしたなぁ」と思い出すのが、スキマ時間をスキマ時間として過ごした状況になるだろう。
おわりに
ネット上のスキマ時間有効活用方法は全て間違っている。私たちは、スキマ時間に対し能動的に何かをすることはできない。
どっちかというと、スキマ時間はもう取り戻せない青春時代とかに近いのかもしれない。
あとから、「あ〜そんな時間もあったなぁ」と思い出す、自分の中で印象深い時間。
日常の比較的短い時間の中にも、もう戻れない素敵な時間があるだろうし、さっき書いたように中学・高校・大学の楽しい青春時代を後から思い出すこともあるだろう。
いずれにしても、「スキマ時間」はあとから遡及して認識するのが常套であるべきで、「スキマ時間の有効活用!」的な言説は、実は全くスキマ時間を有効活用できていないのである。