芝生って言葉として一人だけ「生」付けててズルくないですか?
芝生ってなんで一人だけ「生」を後ろにつけてるんですかね? ズルくないですか?
芝生の謎
謎っつーか、なんだって話だ。芝でいーじゃねーか。芝で芝の意味になるだろ。芝生ってなんだよ。「生」ってなんだよ。
なんで芝生だけ勝手に「生」つけてるんだよ。
例えば苔が生えているとする。苔が芝生みたいにずーっと一面生えていたとする。おそらく理論上これを苔生(こけふ)と呼んでもなんら差し支えない。
他にも、たんぽぽが一面に生えていたら蒲公英生、菜の花が一面に生えていたら菜の花生、ひまわりだったら向日葵生とか応用が効きそうな気がする。
ところがそんなことやっているのは芝生だけだ。
逆に芝生な何をやっているんだろうか。一人だけ動きがイレギュラーだ。
芝生以外の「生」勢の現状
実は芝生以外にも「生」勢力は存在している!
1 蓬生
よもぎう。芝生みたいにヨモギが生えているところ。転じて、そんな草深い荒れ果てた地。自分の家とかを謙遜していう言葉だ。
2 浅茅生
茅(ちがや)がまばらに生えているところ、あるいは丈の低い茅が生えているところ。茅自体に荒涼とした土地というイメージがあるようで、蓬生と通ずるところがある。
3 葎生
むぐらふ。葎は雑草を指す。葎が生えているところなのだが、「葎の門」で葎が生えているような荒れ果てた家、「葎の宿」で同じく葎が生えるに任せた荒れ果てた家となる。
1〜3のまとめ
芝生以外にも「植物+生」は存在する。ただし古語のことが多い。また荒廃した、などのネガティブな言葉が多い。
芝生の特異性
先述の蓬生先輩、浅茅生先輩、葎生先輩と比べて、芝生はやっぱり異質だ。現代でバリバリ活躍してるし、なんなら芝生って綺麗に生え揃えられた美しい印象すらある。
芝生はどんなメカニズムでこうした独特の地位を得たのだろうか? 考察してみよう。
1 スポーツ施設や庭での活躍
芝生の美しいイメージは、よく手入れされたゴルフ場や野球場、おなじくよく手入れされた庭園などを具体例とするだろう。現代に生き残った「植物+生」である芝生は、先輩方と違ってむしろリッチだ。お金をかけた結果、芝生という言葉は現代に適応し生き残っている感じがする。
2 荒れ果てたスタイルの変貌
一方で、蓬や浅茅や葎などは私たちの身近ではなくなってしまったのではないか。貧乏や荒れ果てた状態を示す際に、現代社会では蓬や浅茅や葎が生えにくい。そのため、「植物+生」の芝生独占を間接的に後押ししている可能性がある。
おわりに
芝生の特異性について論じてきた。従来、どちらかというと荒れ果てて植物が繁茂している状態に使われてきた「植物+生」だったが、芝生は近代的な競技場や庭園というリッチな状態を指すための言葉となり、独自の地歩を得た。
加えて、古くからの勢力である蓬・浅茅・葎は、荒廃を示す象徴としては身近ではなくなってしまった。
こうした要因が謎の言葉「芝生」のバックグラウンドにあるのではないだろうか。