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なぜ私たちは、オズワルド伊藤俊介さんの話でついつい妹の伊藤沙莉さんのことを考えてしまうのか

まずはこのネットニュースをご覧いただきたい。

お笑い芸人のオズワルド伊藤俊介さんが松本人志さんについてSNSで言及しそれが炎上したという一件があった。このことが女優で俊介さんの妹である伊藤沙莉さんのキャリアへ影響するのではないか、という内容だ。専門家が沙莉さんへの影響を否定してニュースは閉じられる。

SNSでも実際に伊藤俊介さんの投稿に対して伊藤沙莉さんと比較したり、伊藤沙莉さんが演じた役柄から批判する投稿を見かけた。

本稿では、松本人志さんの裁判やそれに対する伊藤俊介さんの意見についての是非は直接は取り上げない。

本稿で詳論するものは、なぜ我々は兄のやっていることについて安直に妹に波及させて考えてしまうのか? というところにある。

互いに独立した兄妹

同じ芸能界におり競演などを果たしているとはいえ、二人は既に成人し別個の活動をしている。兄が何かを発言したからといって、妹が何か影響を受けたりするのはおかしい話だ。二人はほぼ他人と言ってもいい。例えば、同じグループに所属していたり、親など誰か二人を管轄している人がいるのであれば関連を考える余地もあるだろう。だが二人はすでに独立してそれぞれの活動をしている。

ご兄弟のいらっしゃる方だとわかりやすいかもしれない。私は弟がいるのだが、弟が何か仕事や私生活で放言したとして私は知ったこっちゃない。皆さんも、すでに独立した兄弟が何かをやらかした場合、直接あなたが何か影響を与えたり受けたりとかはないはずだ(財産を補填する、などはありうるかもしれないが)。

ということで、兄が不規則発言したとしてもそれは兄の責任に帰属する。ニュースで専門家が冷静に指摘した通り、妹への影響は極めて希薄なのだろう。

それでは、そうであってもなぜ私たちはついつい芸能人を兄弟という強い属性で観察してしまうのだろうか?

なぜ私たちはついつい兄と妹とを見比べてしまうのか?

オズワルドの伊藤俊介さんの発言に対して、妹である伊藤沙莉さんについて言及したり、あるいは伊藤沙莉さんの演じた役から言及したり、私たちはついついこうしたことをしてしまう。

先述した通りなのだが、妹と兄はもう別個の存在であるし、さらにいえば妹の演じた役と本人とは直接関連しない。

私たちはどうしてここまで、ある種の想像の逞しさを発揮してしまうのか。



それは、つまるところ実際には、オズワルドの伊藤俊介さんや女優の伊藤沙莉さんに対してゴリゴリに詳しくない、親密な関係にない、テレビやネットで見かけるだけの間柄だからではないか。

ファンの方はそれぞれ多いと思う。ところがファンだからと言ってプライベートの挙措のひとつひとつまでは知り得ない。絶対にテレビなどでは見えないところがある。

一方というかそのためというか、私たちは兄妹についてテレビやネットからの情報からしか栄養を得られない。

伊藤俊介さんについては、オズワルドの独特のリズムや世界観からなる、伊藤さんが相方の畑中さんの理不尽に困惑・発狂するようなツッコミが光る面白ネタ、大喜利が下手で困っちゃうなどの平場での活躍など豊富な情報が見られる。また伊藤沙莉さんについては、なんと言っても朝の連続テレビ小説での演技やNHKを中心に語られるエピソード、マクドナルドのCMなどで色々な姿を見ることができる。紅白の司会もするそうだ。

これらはとても情報に満ちている・・・ように見えて、実際にはそうでもない。こうしたタイプの情報をいくら集積しても、あくまでも華やかな向こう側の世界。私たちの身近なところに関する情報はわずかだ。

伊藤俊介さんの失言は、(芸能界に関する発言であるにもかかわらず)、どちらかというと彼をテレビやネットでみる華やかな世界から、彼を私たちのいる世俗の世界に引っ張り込んでしまうようなものだったのではないか。番組などのコントロールされた世界から一気に放り出される感じだろうか。

そんな時、私たちは画面の向こう側で活躍している伊藤俊介さんのありようを見失う。ここで指標となる事柄と言えば、血縁関係しかなくなってしまう。親兄弟などの話題ってのは極めて世俗的なものだからだ。そのため、あまり関係がないのについつい伊藤沙莉さんの心配をしてしまうのではないだろうか。そしてその心配についても、心配する手立てがあまりないために、全然関係のない伊藤沙莉さんのキャリアや演じてきた役柄でしか想像を働かせることはできないのではないだろうか。



おわりに 自他境界のあいまいさと、他他境界のあいまいさ

華やかなる世界の人が、その華やかな世界から失言などで転落してくると、私たちはその世俗性に意外にどう評価してしまって良いか分からなくなり、単純に他の兄妹のことを心配するほかなくなってしまうのかも、という話を書いてみた。

画面越しの部分しか相手のことを知らないからこうなってしまうのだろう。

よく、自分と他人の境界を峻別しましょうと言う話がある。これと同じことで、他他境界があいまいになってしまっている事例なのかもしれない。

私たちが直接言及したり関与できるものは実際にはかなり少ない。自分の家族や親戚、職場の事柄くらいしか影響を与えられないのではないか。

そのほかのことは、いくらテレビやネット、スマホの画面が目の前にあるとはいえ想像力が空転してしまう。兄の発言から、あまり考えなくてもいい妹への影響をついつい思いついてしまうのはこのためではないだろうか。

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