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『今昔物語集』でキノコ拾ってくる系受領おじさんで知られる藤原陳忠は、もう少しポジティブに紹介されてもいいと思っている。 


あなたが藤原陳忠だったら実際どうする?

『今昔物語集』第28巻の38話目に、藤原陳忠という男が登場する。

国司として赴いた信濃国からの帰り、乗っていた馬が足を踏み外し、高い谷から落ちてしまった。みんなが「こりゃ死んだなぁ〜」と思っていたら、下から声が。

陳忠は生きており「籠を降ろして〜〜」とのこと。従者が降ろした籠を引き揚げてみると本人ではなくヒラタケが満載されていた。2度目には本人が乗っていたのだが、片手にヒラタケをたくさん持っていた。

従者らは安心しつつも呆れていたところ、陳忠は「落ちてたまたま木に引っ掛かったら、近くにヒラタケがたくさん生えてたんだよね。宝の山から手ぶらで帰るのはいかんでしょ。『受領は倒れるところに土をつかめ』と言うし」と言い放った。

日本史の授業の際、この面白エピソードは受領の強欲さを示す事例として紹介される。

律令制度に基づく税制度が変質する中、中央政府は受領を中心に国内の富豪層を再編させ税収を確保するようになる。国司(受領)に権限が集中し、富を蓄えることが可能になった。

よーするに、権力の中枢ってわけじゃないけど、地域で富をめちゃくちゃ蓄えられる役職にあったわけだ。

『今昔物語集』の藤原陳忠もそんな時代を生きた受領の一人。

まぁ今日はそういう教科書的な話は一旦おいておいて、あなたが藤原陳忠だったらぶっちゃけどうする? ってことから、皆さんといろいろ一緒に考えてみたい。

ぶっちゃけ持ってくるでしょ ヒラタケ

私が本日一番言いたいことは、自分がもし藤原陳忠だったら、藤原陳忠とおんなじことを多分するんじゃないかということだ。

ぶっちゃけ持ってくるでしょ。ヒラタケを。きのこが嫌いとかじゃなければ。

高い谷から落馬するのは恐ろしい出来事だが、それはもう済んだことなのだ。そこにはヒラタケの山がある。これを取って何の損があるだろうか。

せっかく近くに生えてるヒラタケ、もったいないでしょ。

こういうふうに考えると、藤原陳忠はとっても現実的というかポジティブな人間だ。落馬したことをいつまでも引きずらないし、落馬した原因をあとからうじうじ考えたりとか、そういう姿勢が希薄だ。落馬のミスはそれはそれとして引きずらず目の前にある利益を冷静に確保していく。

こんな藤原陳忠に、強欲というニュアンスよりも精神的なタフさを見てしまうのは私だけだろうか。

自己啓発系Youtuberが、ショート動画で「強メンタルを持っている人がしがちな行動とは!?」で紹介する内容みたいなのを地でいく話と思う。

なんとなく私は、藤原陳忠をただ強欲な受領とは思えないのである。

谷に落ちてヒラタケ拾ってきたという、つよつよエピソードトーク

もう少し時間軸に幅を持たせて考えてみてもいいかもしれない。彼はこの後京都に帰る。

この時代くらいから、律令制的な官僚システムはいよいよ変質し、中世的な統属関係が姿を現し始める。ちょっと早いか?

いずれにしても彼は京都に帰ると、好む好まざるにかかわらず、さらに上の貴族となんらかのお付き合いをしなければならなかっただろう。

藤原陳忠自信はちょっとわからないけれど、彼の一族の中には摂関家の家司を務めたりと、新しい時代ならではの非律令的な結びつきを見せる人物も現れる(藤原保昌など)。

こういうとき、谷に落ちたけどヒラタケ拾ってきたエピソードはかなりつよつよエピソードになる。宴会の鉄板ネタになる。自分を上の階層に売り出すときの良いエピソードといえるだろう。

ぶっちゃけこのエピソードは強い。面白い。ヒラタケの意外性がいい。あの長野と岐阜の間の険峻な谷間に落ちるという緊張と、ヒラタケの緩和が面白い。

この面白さは物語に採録され語り継がれたという歴史が証明している。

藤原陳忠は、自分でこのエピソードを語ったかもしれないし、周囲の人間が噂したかもしれない。どっちでも、彼の鉄板エピソードとして彼のキャラ立ちを助けたと想像すると面白い。

強いエピソードトークできたら現代でもお得でしょ。ということで谷に落ちたらヒラタケ取ろう。俺もそうする。

地方創生ベンチャーとしての受領

私はぶっちゃけ、このエピソードを教科書通りに強欲な受領ととらえることにあまり満足していない。もう少し射程を伸ばしても良いと思っている。

エピソードトークとして強い、という話を前章でおこなった。もう少しこの話のエッセンスを見ると、藤原陳忠の「時代に乗ってる感」あるいは「勇猛さ」「ビビらなさ」をみても面白いかもしれない。

この時代、中央と結びつつも地域の権益を集める受領層は、まず経済的にも恵まれていただろうし、仕事としても面白かったのではないだろうか。

律令制から新しいシステムが出てきて、地域と中央が新しい形で結びつく。その結び目に受領層はいた。

勝手な想像だけど、悪どいところも含め、やりがいというか時代を担っている雰囲気とか、そうしたことから来る自信というか、そーいうのを持って日々政務に勤しんでいたのではないだろうか。

だから谷に落ちた時も自信満々にヒラタケとってくる。そしてそれは、セルフブランディングに使用可能なエピソードとしてパッケージしうる。

現代的に例えると、藤原陳忠はベンチャー社長っぽさがある。

すなわちベンチャー社長のバズエピソード的なニュアンスを見出してしまう。ベンチャーオーナーが行政から補助金もらいつつ地域でブイブイ言わせて、質の良いジャケットとTシャツ姿で腕組みしながらネットインタビュー受けてるみたいな。

そんな藤原陳忠を想像してしまう。

さて藤原陳忠は京都に帰る途中だったけれども、受領の中には、任期を終えても中央に帰らずその地域に定着するものがいた。富とその地域との結びつきを構築し、中央での栄達よりも地方の生活をより良いと考えたのだろう。地域側からの要請もあったかもしれない。

やがて彼らは権益をめぐる小競り合いから武装の度合いを強め、武士団へと成長していくだろう。

藤原陳忠のエピソードには、そんなやがて武士となっていく階層の、この時代にあっての「したたかさ」「勇猛さ」「ビビらなさ」を感じるのだ。


そして、やがて、武士の時代へ

藤原陳忠は10世紀後半を生きた人物で、武士の時代はまだまだ先のことだ。それでも、確実にその時代に物語は続いている。鎌倉・室町・江戸と、たくさんの武士たちが時代を彩ったし、今だって私たちの周りにも先祖が武士だったことを誇りに思う人が多くいる。

あの時、谷に落ちたにもかかわらず「キノコ拾おーっと!」と考えた藤原陳忠の、あの判断。あの振る舞い。その気風は、実は遠く現代を生きる私たちにさざなみのように届いているのかもしれない。

キノコ美味しいよね。良い物語を残してくれてありがとう。

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