なぜUSBコネクタを逆に刺したと思ってしまうのか?
USB穴に対して逆だと思って付け直したら実は最初の方が正しかったという、エチュード。
USBコネクタ、穴に逆の逆でいれがち問題
なぜ私たちは、USBを逆だと思ってしまうのか。
自分で何書いてんだ、と思ってしまうのだが以下の文を読んでみてほしい。
私たちはUSBをUSB穴に入れるわけだが、往々にして、正しい方向に入れているにもかかわらず逆に入れたと感じてしまう。
そこでUSBメモリなどを逆にするのだが、実際には逆じゃなく、逆ににした結果、逆だったことに気がついてもう一度逆にし直す営為を繰り返してしまう。
私の悪文は措くとしても、皆さんも少なからずこうした経験はおありではないだろうか。そしてそういう心理的負担から逃れるために、エアドロップやメールやオンラインストレージを使ったりする。
私たちは思っている以上に自分に自信がなく、不安なのかもしれない
なぜ私たちは、正しい方向にUSBをぶっ刺しているのにもかかわらず、逆だと思ってしまうのだろうか。
このことについて、私たちは思った以上に自分に自信がないのではないかと思っている。
私たちは不安だ。不安を抱えやすい。これは昔は色々なことが生命の危機に直結していたから、不安でそれを回避しようとしていたからだろう。ところが現代日本では比較的安全な社会を形成しており、その不安がかえって足を引っ張ってしまうことが往々にしてある。
USBの穴がちょっとキツめで入りにくかった時点で、すぐに自分は間違っているんじゃないか? と思ってしまう。だから本当は正しい方向なのに不安がって逆に刺そうとしてしまう。
旧石器時代ならばこの反応は結構正しかったのだろう。この不安で生命の危機を回避できる。ところが今は令和だ。USB穴という生命の危機とはかなり無関係なところでも不安を発揮してしまい、やらなくてもいいUSBを逆にする行動をしてしまう。
USBを逆だと思って逆にして結局逆に刺してしまう現象は、現代社会が抱える不安の象徴といえるのではないだろうか。不安とは大きいものだけではない。小石につまずくような不安がそこかしこにあり、これらは大きい不安と遜色なく我々に降りかかってくる。
では、USBの不安に我々はどう立ち向かうべきか
ではどうするべきだろうか。
合ってても間違っててもいい、とにかく一度まっすぐブッ刺すことを自分の中で推奨している。
心理的なものは置いておいて確率で考えてみてほしい。途中で引き返すより、一度確実にUSBをブッ刺し、結果がわかってから必要があれば裏返しにしてまたブッ刺せばいい。
途中で引き返すことは損を高める行動なのだ。前段の通り、私たちは不安がまさりそうしてしまうのだが、行動としては不合理なことをしている。
USB逆に刺したと考えがち問題から考えること
USBの穴たちは、私たちに対して不安に対してどう振舞うべきか教えてくれているのではないか。
すなわち、何かをする際に途中不安があったとしても一度完遂し、形にして結果を判断してから次の行動をとるべきなのではないかということだ。一度かたちにすることが大切ということだ。途中、不安は当然出てくるけれども、その不安で右往左往せずに一度ゴールまで行く。そうしてからさっきの不安のことを考える。
USBの穴も他の仕事でも、私たちがどうしても抱えてしまう不安と程よくおつきあいしていくには、こうした姿勢が実は大切なのではないだろうか。
そしてUSBの穴は、不安に対する修行としてはもってこいの存在と思う。間違って刺しても人に迷惑かけないし給料も下がらないからね。