西郷隆盛像の犬養毅っぽさについて
西郷隆盛像を客観的に見る
まず、西郷隆盛像を見てほしい。上野にあるあれだ。俺は東京国立博物館が好きなので、行くたびに見かける。
高村光雲製作のこの西郷像は、愛犬「ツン」とウサギ狩りに赴くところ。明治維新に功績があり西南戦争で死を遂げた、日本近代史の黎明を生きた男の地元薩摩での身近な姿をイメージさせる、あまりにも著名な像だ。
西郷隆盛像の犬養毅っぽさ
犬養毅という近代の政治家がいる。政友会総裁を経て総理大臣になった人物で、五・一五事件で暗殺されてしまった政治家だ。
さて、ここで心を無にしてほしい。
西郷隆盛とか、犬養毅とか、近代史のあまりにも著名な人物とそのキャラクターや物語を、一切捨象してほしい。
つまり何も考えないで、そして、何も考えないで考えてほしい。
西郷隆盛像の西郷さんって、名前的にめっちゃ犬養毅っぽくないだろうか。
上の画像に付けられたキャプションはもちろん嘘だ。ディープなフェイクだ。なお出典は初めの画像と同じ。
でも、何も考えないで考えたとき、どうみても西郷さんは犬養毅だ。西郷像の犬養毅っぽさは異常だと思う。犬連れてるし、西郷さんのフォルムがつよしっぽい。
何も知らない子供とかに4択を出してほしい。
問い この銅像の人のなまえはなんというでしょうか。
おおくぼ としみち
きど たかよし
さいごう たかもり
いぬかい つよし
これ4じゃね!? どーかんがえても! こいつは犬養毅だ! つよしってのがいい。この西郷さんはフォルム的に名前がめちゃ「いぬかい つよし」だ!
私たちは逃れがたい大きな物語の中にある
西郷さんは日本史の中でもキャラが濃すぎる人物だ。果たした役割もその堂々たる外見も、あまりにもキャラが立っている。立ちすぎている。
そのため私たちは、西郷さんをみたら、あまりにも西郷さんだと当たり前に見、当たり前に西郷さんだと認識し、当たり前に西郷さんと理解する。
私たちは、私たちの歩んできた歴史の大きな物語のなかにある。大人になればなるほど、その物語に触れたり実際に学ぶことが多くなり、ときにその物語の中にあることすら無感覚になる。
西郷隆盛像の名前が犬養毅っぽいのは、一瞬だけ私をそうした重厚な篤い物語から楽にさせる。
ふふっ、と自分だけで少し笑って、そして彼らが生きた時代と彼らの一生とそれらのあまりにもの重さに、すぐに現実の大人の世界に戻っていく。