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遠花火 来し方行方 定まらず
精神分析的セラピーで過去のトラウマを探る中で、私の「過去世」を癒やす、という出来事が何度かありました。
過去世?私自身は半信半疑でしたが、過去世をヒントに今の自分を捉え直すことで新たな発見がありました。
セラピー期間を通して繰り返し言われたのですが、私は「客観的にものを考えることはできるのに、自分のことだけよくわかっていないみたい。それはどうして?」
確かに私は、問題解決に向かってはいくけどその道筋が見えず、なんとか着地するもしっくり来ない…の繰り返しです。
何故そうなったのか。幼い頃の記憶を辿りながら、気になっていた夢の話をしました。
天井の高い、大きな吹き抜けのような暗い部屋に、小さな灯りが一つ灯っている。
薄暗がりの中、幼い私が泣きながらシーツや毛布のような大きな布を何枚も何枚も、畳んだり片付けたりしている。
山積みの荷物はいっこうに減らない。
終りのない作業に途方に暮れ、私の涙も止まらない…
高熱を出すと必ず見る夢、胸苦しかったことは忘れられません。片付けが苦手な私の未来を暗示していたに違いない!と思ってましたが。
セラピストは、これは過去世の私だと言うのです。
サーカスらしき集団にいる子ども。
各地を移動しながら大きなテントを広げては畳み、また移動していく。
大人たちはこの子が何を好きなのか聞いてもくれず、また興味もない。この子も自分に何ができる/したいのか分からない。
ただ、もうこの生活が嫌でたまらないことだけは分かっているが、どうすることもできない。
父親の転勤で各地を転々とした私と境遇が似ています。そして、私も「自分がしたくないことや嫌なこと」は分かるけど、「何がしたいのか、どうすればいいのか」は分からない。
幼少期、親が子どもに親しみを込めたスキンシップや興味を持って接すると、子どもは自分を「親とは別の人間⇒自分」と認識し始めます。
そして子どもの興味や欲求に応じたおもちゃや環境を与えられることで、子ども自身の世界を作っていきます。
私の場合、引っ越しばかりの幼少期でしたが、特に2〜3才の頃、母は私に構っていられませんでした。
というのも、その頃の母は第二子を身ごもりながら父の転勤のため引っ越し作業に追われ、見知らぬ土地で出産し、二児の子育てを開始しました。それがどんなに大変なことか、父には全く理解できていませんでした。
「親から興味を持たれることで自分の存在や好みを知っていく。しかし、当時の私には十分に親の意識が向けられなかった。私は自分のことがよく分からないまま、自分への興味も育たなかった。
そして自分が見えない代わりに、私が見ていたのは母だった。『お母さんがかわいそう。』と思いながら。母親と自分を同一視したまま大人になってしまった。」
これがセラピストの解釈です。
私は自己犠牲的な母のことをかわいそうだとずっと思っていました。専業主婦なのだから父よりも母が家で忙しいのは当たり前で、そこまで思う必要はなかったのかもしれないのに。
そして結婚後、私が母のように家族を優先してきたのも、自分に興味を持てなかったからなのかもしれません。
試みに、サーカスの少女がどうしたらその環境から出られるのかを考えてみました。例えば自分の好きなことや出来ることを見つけて将来の糧にする、あるいはパートナーを見つける、そのためにどうすればいいのかなど。
そんな当たり前のことでも考えを巡らすことは、私の過去世を癒し(あくまで今の私がそう理解すればいい)、今の私自身のクセに気づいて違う未来を選択することに繋がるのです。
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