百花繚乱 in 長岡
晩秋の頃に長岡にきて、寒さ厳しい季節。さくら咲く春を経験。
梅雨の時期はどこへいったのか。あっという間に夏が来た。
長岡では信濃川周辺に立ち並ぶ、花火大会当日の交通規制の看板をみて長岡花火の季節を感じるのだと長岡の地元の人から聞く。
しかし、この2年間はコロナによって花火大会は中止。
一緒に働く現場の方は「この2年間は張り合いのない夏を過ごした」と語り、職場で花火の話題をふれば、ずっとおしゃべりが続いた。
僕も聞いていて、勉強になる。
長岡花火の三尺玉の素晴らしさ。花火大会当日の駅周辺の盛り上がり。花火とともに流れるBGMについての歴史。花火の種類。などなど、ネタは尽きず。思い返せないほどで、枚挙にいとまがない。
8月2日、19時20分(だったと思う)。最初に尺玉3発の花火が打ち上げられたところで、僕の気持ちにスイッチが入った。
この尺玉3発ががあがったところで、僕の隣にいた小学生くらいの浴衣を着た女の子が「やっぱり、長岡はすごいわ。」と声をあげた。
目の前で打ち上がった、花火が凄いといったのではない。長岡が凄いと言ったのだ。花火は長岡の象徴である。花火が脈々と伝えるものがあるのだと思う。
僕は一人の子の故郷への愛着心や目には見えない何かが醸成された瞬間に立ち会ったような気がした。
ここ長岡の花火は1945年8月1日の長岡空襲での犠牲者への慰霊や、平和への祈りの思いが込められている。
長岡の花火には色々なことを考えさせられた。
翌日は一人で花火を見た。来年もくると決めた。久しぶりに心動かされる体験ができた。やっぱり、リアルは良い!
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