山村さんとちかみつさんとゆりはなさん
これから思いつくままに、
山村道子さんの思い出とかを書いてみることにします。
これは僕が忘れないための記録としてお知らせするものです。
まず過去世についての話ですが、
過去世については色々な霊能者の方によって、
言うこととか解釈が違うようですね。
たとえば都市ボーイズの岸本さんが取材した方の話では、
人間の過去世というのは20くらいあって、
その方はひとつにつき1000円くらいで教えてくれる、
というようなお話だったように記憶しています。
山村さんのお話では、
人間としての過去世は5つか6つくらいあるというお話でした。
多分これはアトランティス時代より後の、ここ6千年くらいのこと、
今の第三期の地球でのことだと思います。
ちかみつさんも今の人類は三度目の人類ですからと
おっしゃっていますよね。
山村さんの過去世には、まず、生まれてすぐに、
生贄として殺された赤ちゃんという過去世があるそうです。
この過去世では、霊界で、
「まだ人間界に行くタイミングではない」と止められたのに、
待ちきれずに人間界に生まれてしまって、
出てくるタイミングではなかったので、
すぐに生贄として殺されたのだそうです。
この一件で山村さんは「なぜ生まれたばかりの赤ちゃんを
大人たちがよってたかって殺すのだ」と、凄く怨みを持ってしまい、
その怨みを晴らすために、次の人生ではヤクザになって、
人を脅して金を巻き上げたりしたそうです。
その次の人生では魔女になって、他人を惑わして振り回したり、
そうやって散々怨みを返してとても楽しかったそうです。
ただ自分が殺されて悔しかったという経験があるので、
人を殺すことだけはしなかったそうです。
これらの経験から、悪は楽しい、
悪は人間としての自由を体験できると学んだそうです。
なので山村さんはちょっと不良っぽい、
悪の匂いのする人にはとても好意的に接していました。
その次の人生では乞食をしていたそうです。
乞食をしていると基本的には誰からも相手にされないのですが、
お金持ちの人がこっそり会いに来て、だれにも相談できない悩み事や、
絶対に話してはいけない秘密などを打ち明けてくれていたそうです。
それで乞食の人生のあと人間は卒業ということになって、
今度は守護霊をやってみますかと言われ、
「人間が面白いのでもう一度人間!」と言って、
山村道子さんとして生まれたのだそうです。
そして45歳までは子供を産んだり、経理の仕事などをして、
普通の人生を送っていたのだそうですが、
45歳の時に突然色々な声が聞こえるようになって、
霊能者山村さんとしての能力が開花したのだそうです。
なので師匠に付くこともなく、修行なども一切せず、
いきなり見えない存在、山村さんはそれを「いのち」と呼んでいましたが、
その「いのち」からのメッセージが来るようになったそうです。
その理由は山村さんの魂が何世代にもわたって、
「なぜ自分は殺されなければならなかったのか、
本当のことを知りたい」と願い続けてきていたので、
それでは本当のことを教えてあげようということで、
メッセージが来るようになったそうです。
色々なことを教えてあげる条件として
お金を要求することと、
組織を作ることはしてはいけないと言われたそうで、
なので山村さんは一切対価を要求せず、
弟子をとるようなこともしなかったのです。
そして次に僕の過去世についてのお話をしますね。
僕が山村さんと初めて会って、
その日に前世を教えてもらったのは1996年のことです。
僕は1990年に東京のCM制作会社に就職し、そこは約3年で辞めて、
次の映像制作会社に転職して、そこも1年くらいで辞めて、
合計5年間くらい東京にいました。
最初のCM制作会社を辞めた時に、
「自分は社会人に向いていないんじゃないだろうか?」
「この先ちゃんと社会でやっていけるだろうか?」ととても不安になり、
雇用保険の失業給付をもらって暮らしている半年間くらいの間、
近所の図書館に通って主にスピリチュアル関係の本ばかり読んでいました。
その中の船井幸雄さんが書いた本に、
「私は人間には前世があるとしか思えない」と書かれていました。
その本を読んだのをきっかけに、
僕は自分の前世を知りたいと思うようになりました。
それから約2年後、東京を引き上げて福岡に帰ることにした僕は、
福岡で大学生時代に髪を切ってもらっていた美容師さんを探して、
また髪を切ってもらいに行きました。
その美容師さんと対面で話している時に
「僕、この前、前世を見てもらったんですよ」という話が出たのです。
美容師さんのお客さんが山村さんの息子さんと同級生で、
その関係で山村さんを知ったというお話でした。
さっそく美容師さんに山村さんの連絡先を教えてもらい、
すぐに会いに行きました。
当時山村さんは福岡の薬院という場所にあった、
小さなアパートに住んでいました。
その部屋を訪ねると山村さんから、
裏が白い紙になっているチラシを切ったものを渡されて、
「ここに生年月日と名前を書いて。生年月日は元号で書いてね。」
と言われました。
そして山村さんは僕の生年月日と名前を見ながら、
色々な話を始めました。
「ああ、あなたは〇〇な性格ね」
「こういう時にはこういうふうに考えるでしょう?」というような、
占いのような診断のような話を始めたのです。
そのような話がしばらく続いたあと、
「あなたにはそういうところがあるわね、
だってあなたはお坊さんだったからね」
と、僕の前世の話がいきなり出て来たのです。
僕の前世はチベットで密教の修行をしていた、
修行僧だったというお話でした。
僕には心当たりがあったというわけではなかったのですが、
僕は妙に納得しました。
なんというか「胃の腑に落ちた」というような感覚があったのです。
その日は多分3時間くらい色々な話をしたと思います。
そして次の日も山村さんの家を訪ねる約束をしたのです。
次の日に訪ねた時には以前から疑問に思っていたことを
聞いてみようと思っていました。
僕は小学1年生くらいの時に母に連れられて行った水族館で、
橋のような通路の下に大きな水槽があって、
そこを通る時に下の水槽に、
体長数メートルくらいのクジラが泳いでいて、
そのクジラを見た時にめまいがするような恐怖感を感じて、
そこに座り込んだ記憶があり、
それ以来街で映画「ジョーズ」の看板を見たり、
料亭の生け簀で鯛が泳いでいるのを見たりしても、
身体中に鳥肌が立つような恐怖を感じていたのです。
それはなぜなのだろうと山村さんに聞いてみようと思ったのです。
山村さんは対面して話している相手の意識の中に、
強い恐怖心とかが湧きあがった時には、
ご自分の身体が反応してゲップが出ることがよくありました。
僕がその「大きな魚が怖い」という話をしている時にも、
激しくゲップをしていたのを覚えています。
そのあと山村さんは
「あなたの前世がお坊さんだったという話は昨日したよね、
あなたのふたつ前の過去世は南フランスあたりで暮らしていた女の子、
でもこの子は10歳くらいで亡くなっているから、
そのほかの情報はあまりない。
そしてみっつ前の過去世はイングランドあたりの海で、
海賊船に乗っている海賊だったね。
さの海賊だった時に海に落ちてサメに食べられて死んでいるよ。」
と言いました。
この一件でふたつ前の過去世とみっつ前の過去世が一気にわかったのです。
これから先は僕自身の体験になります。
山村さんと出会って1年くらいが経った1997年か1998年頃、
「これからは世紀末の試練でみんな色々なことを体験するよ」
と山村さんが言っていた時期があって、
その時は、僕は高熱が出ることが何回かあったり、
山村さんのところに通っていた他の方はアトピーが出たりしていました。
それも単なるアトピーではなく、顔がゾンビのようになって、
その方はお仕事を辞めて実家に帰ったりしなければならないくらいでした。
そんな時期に僕が高熱で苦しんでいる時に、
自分の過去世に関する夢のお告げというか、
夢の中ではっきりと誰かの声を聞くという体験をしました。
それはまず海賊だった時の過去世に関して、女性の声で、
「なんで海賊が海に落ちるのよ?」と耳元ではっきりと聞こえたのです。
寝ていた僕はそのメッセージを聞いて起きてしまい、
熱でボーっとしている頭で、「そういえばそうだよな、
なんで海賊が海に落ちたんだろう、あっ、落とされたんだ。
仲間からサメのいる海に突き落とされたんだ。」と思いました。
そして別の日、南フランスの女の子だった過去世に関して、
自分が実際に10歳くらいの女の子で、自分の父親は、
村の牧師さんのような、みんなから信頼されている、
聖職者のような立場の人だったのですが、
実はその父親は旅人を殺して旅費を奪うというような犯罪を犯していて、
娘である自分はその犯罪を目撃してしまい、
それを知った父親が、娘である自分を口封じのために殺そうとして、
追いかけてくるという怖い夢を見たことがあります。
実はお坊さんだった前世に関しても、
「教団の跡目相続の政権争いに巻き込まれて暗殺されているね」と、
山村さんから言われており、そうだとしたら、僕は、
過去3回に渡って誰かから殺されるという過去世だったんだなと、
暗い気持ちになったのを覚えています。
ちなみに海賊だった過去世のことについては2008年頃、
その前職は愛媛県のNHKで番組ディレクターをしていたのですが、
NHKのあまりに官僚的な体質に嫌気がさして辞めさせてもらい、
福岡に帰って、今度はつまらないしがらみのない、
映像業界とは関係のない仕事に就こうと思って、ハローワークで見つけた、福岡市東区の志賀島(しかのしま)というところの、
定置網の漁師の手伝いの仕事に応募して行ったことがあり、
そこで漁船に乗って定置網を引き上げる仕事の手伝いをしていたのですが、
その定置網に時々サメがかかっていたのです。
そういう時は一度サメを甲板に引きあげて、
その場で海に戻すともういちど定置網にかかってしまうので、
漁が終わって港に帰る途中に、網から外に出た場所で海に捨てるのですが、
漁の間に甲板に置いてあるサメが生きていたら、
ビチビチとはねて邪魔になるので、
そこらへんにあるスコップで叩いたり、ヤスで刺したりして、
サメが動けなくしてから漁を続けるのですが、
あんなに怖かったサメを僕はスコップで殴ったりして、
サメに殺されたしかえしをしていたのです。
そんなある日、満月の夜にものすごく大きなサメが網にかかって、
漁師数人で殴ったりヤスで刺したりして、
動けなくしてから港まで引っ張って行って、
そこでクレーンでサメを吊るしたのです。
するとそのサメは妊娠していて、
お腹の中から小さなサメが15匹くらい、ボトボトっと落ちてきて、
母サメも子サメも全部死んでいて、
甲板はサメのお腹から流れ出た血で真っ赤に染まりました。
僕はさすがに可哀そうになり「サメは悪くない」と、
思わずひとり言で言ってしまいました。
これで僕とサメの数百年に渡る因縁は解決したのです。
ところで僕が初めて山村さんと会ったのは1996年のことですが、
それ以来、多い時には週に三回くらい山村さんのお宅を訪ねて、
色々なお話を聞いていた、というか、主に雑談をしていました。
山村さんの周りには山村グループというか、山村軍団というか、
いつも山村さんの家に来ているおばちゃんたちが10人くらいいて、
山村さんの家を訪ねるとそのグループの人が5~6人くらいは必ずいました。
そのおばちゃんたちは何かの仕事をされていたり、主婦だったり、
旦那様がお金持ちだったり、様々でしたが、
昼の時間帯に山村さんとテレビのワイドショーを見ていたり、
夕方に何かおかずを作って持ってきていたり、
パンとかお惣菜を買ってきていたりして、
自分の都合のいい時間に来て山村さんと話をしていたのです。
そんな話の中に山村さんのところに
「いのち」からもたらされたメッセージが
何気なく差し挟まれたりしていました。
山村さんは「いのち」から、
「組織を作ってはいけない」と言われていたので、
その山村グループには特に名前などはありませんでしたが、
私も山村さんの家に度々出入りするうちに、
だんだんそのおばちゃんたちの顔とか名前を覚えるようになりました。
主要なメンバーのお名前と、その方が、
七福神の誰の意識を持っていたかをお知らせしますと、
まずテルコさん、この方は弁天様で、
かつてはある宗教団体で、神様を降ろす役割をしていたようです。
過去世では世界で最初に火あぶりの刑に処された魔女だったそうです。
それからイシウチさん、この方も多分弁天様で、
過去世では山村さんがヤクザだった時代に、
その子分だったこともあるそうです。
また、その後の過去世で牧師さんだったこともあり、
その時に何かがあって自殺してしまい、牧師の教えでは、
自殺したら霊界でものすごく怒られると言われていたので、
それが怖くて霊界に行かないままに人間界に転生してきたようです。
人間を終えたあとに霊界に行かないと、
その時の人間としての人生を反省できないので、
あまり成長できてない人間として生まれて来るそうなのですが、
なんとなくそういうキャラクターの方でしたね。
それから寿老人の意識を持っていたドイさん、
寿老人は大黒様だった山村さんと、
敵対するグループに属していたようで、
ドイさんは20世紀末に白血病で亡くなったのですが、
ドイさんの病院にお見舞いに行った山村さんが、
「あんたは私を監視するために私の家に通ってきてたんやろ?」と聞くと、
「そうだ」と白状したそうです。
かつて山村さんが旅行で留守をしていた時に、
ドイさんがテルコさんを呼び出して、
みんなでイジメていたというような事件も起きていたそうです。
それからキタガキさん、この方は私と同じ恵比寿さまの意識を持つ人で、
この方と会うたびに「この人も恵比寿さんなのか」と思っていたものです。
キタガキさんはかつて山村さんの家の水を張っている浴槽に、
服のまま飛び込んだという伝説を残した人です。
このようにして山村グループでは、
七福神の因縁をそれぞれの人が身をもって体験し、
七福神の因縁を解決したりしていたようなのです。
その他にも、科学者であった福禄寿の意識を持つフジサキさん、
かつては守護霊をしていて、担当していた人間を導くのに失敗し、
もう一度人間をやってこいと人間に降格させられたフジコちゃんなど、
様々なキャラクターの方がいました。
そんな感じで1996年頃から2015年頃まで、
私は山村さんの家を訪ねて色々な見えない世界に関する情報を、
小出しに学んでいったのです。
そして山村さんは2021年11月に
86歳くらいでお亡くなりになったのですが、
同じ年の3月には私はちかみつさんという、第二の師匠というか、
究極の能力者の方にアトラスラジオを通じて出会ったのです。
ちかみつさんについての詳しい話は今回は省略させていただきます。
そして次は私の過去世のセカンドオピニオンの話になります。
約1年前、2022年の始め頃に、熊本市である霊能者の方とお会いしました。
この方を仮に熊本Aさんとお呼びさせていただきますね。
この時はもうひとりの熊本市在住の霊能者の方、
熊本Bさんと一緒に会いに行き、3人でお話させていただきました。
熊本Aさんはハイヤーセルフさんから降ろされた情報を
私たちに伝えてくださるという形の霊能者さんで、
月に一回、その次の月の予約を取るのですが、
その日のうちに次の月の予約がすべて埋まってしまうくらいの
人気の霊能者さんです。
この熊本Aさんから1996年に山村さんに教えてもらって以来、
初めて私の過去世に関する、いわゆる「セカンドオピニオン」を
教えていただいたのです。
1996年に山村さんから教えていただいた、
私の過去世をおさらいしますと、
前世がチベットで密教の修行をしていたお坊さん、
前々世が南フランスで10歳くらいで死んだ女の子、
前々前世がイングランドで海賊をしていた人、という過去世でした。
そして熊本Aさんから教えていただいた私の過去世は、
100年くらい前にアルゼンチンで占い師をしていた女性、
650年くらい前にチベットで修行していたお坊さん、
800年くらい前には世界を旅して、魔術で人々を幸福にしていた白魔術師、
更に過去にはプレアデス星にいましたね、その時の因縁で、
ネガティブプレアデスに今でもつきまとわれていますね、
というものでした。
山村さんのお話と一致するのは、
チベットで修行していたお坊さんだったという話だけです。
私は多分山村さんの話も熊本Aさんの話も全部本当の話で、
数ある私の過去世の中でも特に印象に残る過去世が
チベットで修行していたお坊さんだったという過去世なんだなと
思いました。
このお坊さんだった過去世については、山村さんからは、
「あなたは死んで霊界で閻魔様に会った時に閻魔様に散々言い返して、
絶対に自分の意見を曲げなかったからしまいには閻魔様が根負けして、
それならあなたの思うようにやってみたらいいよと言われて、
今回のあなたとして生まれて来ているね」と言われたことがあります。
熊本Aさんからは「このお坊さんとして生まれた時には、
あなたは生まれながらにして、すでに覚醒していましたね」
と言われました。
そして山村さんからは「あなたは大重症よ」と言われました。
熊本Aさんからは「あなたにはものすごい霊能力があるけど、
なぜかその霊能力は今は止められていますね、
いずれ発揮できるタイミングが来ると思いますよ」と言われました。
それでそのあとにゆりはなさんが登場するのです。
実は私には霊能力があるというお話は、
ちかみつさんから言われたこともあったのです。
ちかみつさんと初めてお会いしたのは2021年3月に、
徳島県の清月屋敷で行われた、
「第一期帝国神霊学院」の時ですが、その会場では、
まず全員がフォースを測定してもらって、それで班分けが行われました。
そこでちかみつさんにフォースを測定していただいた時に
「高いですね、何か鍛錬をされているんですか?」と言われたのです。
その時は「いえ、別に」とお答えしたのですが、
その時はフォースとは何なのかも知らず、
何のことを言われているのか全くわかりませんでした。
そしてその日の帝国神霊学院の講義の中に
「チャネリング」という項目があり、
「誰かチャネリングしてみたい人?」とちかみつさんが言われた時に、
私は「はい!」と手を挙げました。
「誰とチャネリングしたいですか?」とちかみつさんに聞かれて、
「空海さんです!」と私は答えました。
私の名前の「弘之」の弘は、「弘法大師」の弘だから、
空海さんにはなんとなく親近感があったのです。
「それでは空海さんを呼んでみてください」と、
いきなりちかみつさんに言われ、
「えっ、やり方とか教えていただけないんですか?」と私は思いましたが、
後には引けないので「空海さん、お出でください」と、
なんとなく心の中で念じました。
すると目の前の空間に半透明の法衣のようなものを着た、
体格のいいお坊さんが現れたような気がしたのです。
それで私は半信半疑でしたが、
「空海さま、いらっしゃったようです」とちかみつさんに答えました。
「空海さんに何が聞きたいのですか?」とちかみつさんに言われ、
「空海さまは暗殺されているとうかがいましたが、
そのことを恨んではいないのですか?」と私は聞きました。
「怨んではいない」というお答えでした。
実はこの時に「それも組織を維持するために必要なことだったのだよ」
という答えが頭の中に浮かんでいたのですが、
それはあまりにも悲しい話なので言うことはできませんでした。
きっとちかみつさんはそのことも察知されていたと思うのですが、
「はい、チャネリングは完璧ですね」と言われて、
そこでチャネリングの講義は終了しました。
その後2022年1月9日の、タートルカンパニー主催の、
ちかみつさんと武良信行さんに会いにいこうというツアーで、
私が前に出されて、山口敏太郎先生もいらっしゃる前で、
私が空海様をお呼びして、讃岐の白狐さんに、それがどう見えるか、
コメントしていただくというイベントが行われたのです。
そしていよいよ2023年の2月6日に、
ゆりはなさんとの電話鑑定が実施されました。
ゆりはなさんへの相談内容は事前にメールで伝えていましたが、
それは「私は複数の霊能者の方から霊能力があると言われているのですが、
そのことが全く実感できません」というものでした。
それでゆりはなさんに、
「それではそれがなぜなのか探っていきましょうね」と言われました。
ゆりはなさんに対して「私の霊能力は誰かによって封印されているのか?」
と質問するように言われ、私がそう質問すると、ゆりはなさんが、
「いや、封印されてはいない、そのブロックはすでに、
山村道子さんによって外されている」と答えました。
「それではなんで霊能力が出ないんでしょうね、
もう少し探ってみます」とゆりはなさんが言われて、
しばらく間がありました。そして、「ぴーやんさんはかつて、
霊能力を使って好き放題のことをしていた時があったようですね」
とゆりはなさんがおっしゃったのです。
それを聞いて私は、
かつて山村さんから言われた、こんなことを思い出しました。
「アトランティス時代に人間と区別のつかない、
精巧なクローン人間が作られていたことがあって、
そのクローンの人工皮膚を作るために、
実際の人間の子供を使って人体実験をする必要があって、
その実験に使うための子供を商人だった恵比寿さんが、
集めて差し出していたのよ」という話を聞いたことがあって、
その話を聞いた時には、私のこととしてではなくて、
恵比寿さん全体についての一般論として、
特に自分がした犯罪の話としてはとらえずに聞いていたのですが、
「その話のことですか?」と聞くと、
「そうですね」とゆりはなさんにはっきりと断言されました。
そしてゆりはなさんにそのことにまつわるブロックを外していただいて、
直後の2月10日に求人情報誌で今の郵便物回収の仕事を見つけ、
即応募して即採用され、2月13日から今の仕事を始めたのです。
以上が1996年から2023年までかけて、私が自分なりの探求の末、
自分の過去世の問題点を自分なりに解決していったというお話の一部です。
ぴーやん