架空の評価
今朝の #こえのブログ
#話プロへの挑戦 初日は大遅刻での投稿でした。
8:00よりも遅く起きてしまい、完全に心が折れました。
もう、無かったことにしてしまおうかなぁ…と思ったほどなのですが、それは何に対する遠慮なのか恥じらいなのかもよくわからないなと思って、とりあえずやることにしました。
こういう、自分が勝手に思っている「恥じらい」が多数あるように思います。
「馬鹿にされるかもしれない」
「ダメなやつだと思われるかもしれない」
「つまらないやつだと思われるかもしれない」
と、たくさんの「かもしれない」を足枷にして
前に進めなくなることがあります。
特に、
「自分で決めた約束も守れない奴はダメだ」
という言葉に、長いこと捕われ続けてきました。
また守れなかった。
わたしはなんてダメな奴なんだ。
ダメだと思われるくらいなら、
なかったことにしてしまいたい……
ダメだと思われるくらいなら、
正統そうなできなかった理由を押し並べたい……
これって、すごく無意味な問答だなぁー
ということに、気づいたのが今日の出来事です。
その「ダメな奴」というレッテルを貼っているのは、自分自身だけなのですよね。
そもそも、どんな土俵にもまだ乗っていないのだから。
だれも、評価なんてしていないんですよ。
「ダメな奴だと思われる」ということも、とても自意識過剰な状態なんだなと、思いました。
まずはその土俵に上がるためにやることを淡々とやるしかないのです。
やらなかった自分にフォーカスしたって、なにも無い。
大前提、「やれない自分」がいるから挑戦しているのです。
「やれない自分」を脱却するための挑戦で、
そんなに簡単に「やれない自分」を払拭できるはずがありません。
そんなところで評価を気にして足踏みしている暇が、わたしにはない。
そのことに気付いて、なんだかおかしくなりました。
「やれない自分」がいることを、ちゃんと見て。
それは、仕方のないことだと、きちんと捉えて。
その上で、どうしたら「やれる自分」になっていくのかを考える。
評価がついてくるのは、あくまでも「やれる自分」になった後のことです。
ちょっとニュアンス違いますけれど、今日聞いたキンコン西野さんのラジオがヒントでした。