あなたならどんな言葉にするだろう
学校生活のなかで生徒に指導をする場面があります。
その中で、たまに見かける一方的に教員が話し続ける指導に疑問を感じることがあります。
改めて考えることもないと思うのですが、前提として確認です。
「パン」と聞いてどんなパンを想像しますか?
食パン、クロワッサン、メロンパン…
「パン」と言葉を投げられても、その人の好みや生活経験によって浮かんでくるイメージはそれぞれ違います。
何が言いたいかというと、「言葉の意味は人によって変わる」ということです。たくさん話せば言葉の意味する解像度は高められるかも知れませんが、子どもの集中力を考えると難しいかなと思います。
対話を重ねることしか、言葉を通しての想いの共有はできないです。
自分もやりがちなのですが、どうしても指導場面になると自分が伝えることに必死になってしまいます。どう伝えたら分かってくれるのか、どのような流れが良いのか。どんな言葉が良いのか。本人の理解度を高めるためには必要なことかもしれませんが、指導のゴールではないです。
どれだけこちらが指導したり新しい言葉を教えても、生徒自身の理解と実感を伴わなければ、どれだけゆっくりど真ん中に投げてもキャッチしてくれません。
本人の言葉の中で実体を掴んでもらうこと。本人の言葉で考えて、自分なりに答えを出してもらうこと。
ハイパー極端にいえば、指導の機会の主導権を本人に握ってもらう。もはやこれは「指導」なのか?という感じですが、一緒に自身の行為について考える時間をもっと大事にしても良いんじゃないかと思います。
考える上で知識と経験が必要であれば伝えますし、本人を写し出す鏡になって答えを出すお手伝いをする。
ここは教員の役割だと思っています。
どれだけこちらから伝えられたかよりも、私は大切にしたい視点です。