茄子の先生は揚げ浸し

特別支援学校で先生をしています。目標は「自分ってちょっと良いかも!」って感じてもらえるような学びの場をつくること。感じたこと、考えたことを言葉にします。

茄子の先生は揚げ浸し

特別支援学校で先生をしています。目標は「自分ってちょっと良いかも!」って感じてもらえるような学びの場をつくること。感じたこと、考えたことを言葉にします。

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はじめまして

自己紹介です。 わたしは特別支援学校の先生をしています。おそらく「若手」と言われる期間は過ぎたようで「若者の意見を…」と投げられた会話の中からは、少しずつ身を引くようになってきました。そういう立ち位置になってきたのだと思います。働いてそれくらいの年数が経ちました。 特別支援学校はご存知でしょうか。 障害のある児童生徒を対象に学校教育を行うところです。いろんな発達のスピードやカタチのある子どもたちが通っています。みんなのアピールが凄くて、いつも校舎はにぎやかです。1人ひと

    • 雨の眺め

      いつも通勤している途中にマクドナルドがあります。 仕事前の朝マックとか憧れるな…と考えながらも、何も変わらない日常の風景として特に意識することなく通過しているのですが、雨の日にちょっと驚くことがありました。 傘を差しながら歩いていると、自然とマクドナルドの看板が傘の端から入り込んできたのです。 「こんな地面スレスレの低い位置に看板あったっけ…」っと思い、モヤモヤ考えてると、ある答えに辿り着きました。 「高いところに看板があっても、みんな傘を差している日は誰も見ない」と

      • つぎのエネルギーになれ!

        自分で時間を決めて、毎日コツコツと勉強を続けた結果、テストで100点を取ることができた!! その子が100点の回答用紙を嬉しそうに見せてくれたとき、あなたはどこを取り上げますか?どこをほめますか? 子どもたちにとって100点はこれまでの頑張りが評価された分かりやすいものさしですよね。これまでの自分の変化も比較しやすいし、自分の能力を明らかに示してくれるような気持ちになります。よく教室で起こるのは、「何点だったー??せーのっ!」です。他者との比較もしやすいです。 わたしも

        • はじめからあるもの

          「自己肯定感」この言葉をよく聞きます。 教員の研修会でも、「自己肯定感が高まります」「自己肯定感に働きかける」など、テーマとしてよく取り上げられることが多いです。 子育て本や教育書など、本屋さんでも簡単にこの文字に出会えます。 文字面のまま読み取ると、自己を肯定的に見つめることができる、自分を前向きに捉えることができる、きっと考え方として自身を良い方向に進めてくれるものですよね。 とても馴染みのある自己肯定感とは、改めてなんでしょうか。 わたしは「自信」という言葉と

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          自由に走りまわれるように

          音楽科の授業を担当しています。 音源資料としてCDを使っているのですが、お目当てのものを教材室から探すの大変だし、必ず欲しいCDが学校にあるとは限らず… でも納得のいく音源を探すとやはりYouTubeやネットに転がっているものではなくCDが良いので、いつも音源探しに時間を要しています。 ここで実現すれば良いのになといつも考えるのが、歌唱共通教材や教科書に載っている作品を中心に、時代や文化の変化を感じられる新旧織り交ぜた音楽(過激な音楽作品もあるため選考基準は必要ですが)

          自由に走りまわれるように

          あるものをどう使うか

          お金って具体的な希望や夢がなくても、あれば満たされる何かがありますよね。 特に子どもの頃はお年玉が夢を持ってきてくれるようで魅力的でした。 年に1回ほどある校外学習では、所持金の額を設定し、計画を立て、商品を購入。お小遣い帳を記入し、お金の動きを知る「お買い物学習」をお土産の購入を兼ねて実施することがあります。 生徒が商品を買うときってそこに本人の考え方や想い、経験や癖みたいなものが色濃くでるので結構好きです。 なかなかお買い物学習をする機会もなく、その度に考えさせら

          あるものをどう使うか

          点から星に変わるとき

          新しいことを知る瞬間は、みなさん好きですか? 振り返ると私はかなり保守的な性格なので、なかなか自分から新しい世界に飛び込むことはしてこなかったのですが、いま学校の先生というお仕事に就き、「学びとは?」という大きな問いとずっとにらめっこしています。 最近その問いに触れるような体験がありました。 最近、当たり前に触れている「お金」というものについて、親戚との何気ない会話の中で話題になることがあり、将来のこともあるので少し勉強してみようと関連書籍を読んでみることにしました。

          点から星に変わるとき

          「厳しさ」はどこへ向けますか?

          「わたしを前にすると言えなくなるのよねー」「かなり強めに怒ってます」「わたしにガツンと言われてシュンとしてます!」 どの学校にも「怖い」「厳しい」を代名詞にした自身の教育スタンスを語る先生がいます。きっと生徒目線に立っても、あの先生は厳しいという印象はお互いの共通認識をもてていると思います。確かに自分が学生だった時も、厳しい先生はいました。 当時の自分が思っていた厳しい先生の定義は、怒ると怖い とか 求められるハードルが高い とか ルールに厳格 とか 決められたレールから

          「厳しさ」はどこへ向けますか?

          ミライのセンセイ

          日本バス協会が2030年までに自動運転とキャッシュレス化の本格導入を目指すという記事を見ました。バスから降りるときに「ありがとうございました」って運転手さんとやりとりをする光景がちょっと好きなのですが、全自動となるとあれが無くなっちゃうの!?とかいろいろ想像してしまいます。 全く人間味が無くなるのかと思えば違うようで、運転手の不足や利用者の減少で路線バスの廃止や減便。将来に向けた課題に対応するため、事業者の収益の改善や地域の移動手段の維持を目指しているそうです。具体的には、

          なにを学びにしますか?

          学校とは「勉強するところ」というイメージが強いですが、学校で1日過ごすことを「学校生活」という言葉を使って表現します。 この意味について考えました。  前にすっごく面白そうな活動を見つけて、ワークショップ運営のお手伝いに飛び込んだことがあります。そこは学校の役割を考えなおすというコンセプトで行われたものでした。さまざまなジャンルで活躍されている方が講師となり、食育や芸術、文学や情報などたくさんの切り口から創造的な活動を展開し、子どもたちの輝く姿が見られた素敵な活動でした。

          なにを学びにしますか?

          私の世界を飛び越えて

          「ほめる」ということについて考えます。 誰かをほめる時ってどんな言葉かけをしているでしょうか。 「えらいね〜」「すごい!」「さすがだなあ」「じょうずだね」「ここがいいね!」 教員として生徒と関わる中で、ほめる場面ってたくさんあります。意識的にたくさんつくりたいなとも思っています。 その子に働きかける大切なコミュニケーションの1つであり、教員としてきちんと自身の答えを持たなければと考えているときに、今も大事にしている考え方に出合いました。 きしもとたかひろさんの著書「怒

          私の世界を飛び越えて

          あなたならどんな言葉にするだろう

          学校生活のなかで生徒に指導をする場面があります。 その中で、たまに見かける一方的に教員が話し続ける指導に疑問を感じることがあります。 改めて考えることもないと思うのですが、前提として確認です。 「パン」と聞いてどんなパンを想像しますか? 食パン、クロワッサン、メロンパン… 「パン」と言葉を投げられても、その人の好みや生活経験によって浮かんでくるイメージはそれぞれ違います。 何が言いたいかというと、「言葉の意味は人によって変わる」ということです。たくさん話せば言葉の意味す

          あなたならどんな言葉にするだろう

          おもしろがる力

          「自由に楽器触って良いよ〜」授業での1コマ。 単元のスタートに入れた楽器体験の時間で、あえて目標も発問も方向付けも示さず、楽器からの反応を自由に楽しむ時間として設定しました。 そこでの自由に動き回る生徒の様子がとても興味深かったです。 順番を譲り最後を希望する子、知ってるから〜と触らずに熱く説明してる子、ずっと人が演奏してるところに紛れて盛り上がっている子、難しそうと判断したものはそもそも触れないスタンスの子。やるのは苦手だから聴いてる!の子。 1つの楽器との関わりの中

          「分からない」で、いよう。

          「この生徒はどんな子か」と聞かれたとき、まず最初に口を開くのは、だいたい担任の先生。他の先生も「担任が話すだろう」と、自然と視線が集まることはよくある風景です。 担任の先生は、生徒のことを細かく自分の言葉で説明しなければいけない機会がたくさんあり、学校の中で「1番理解している人」でないといけないと感じることがあります。 ここで1つ気をつけたいなと思っているのが、 その生徒のすべてを分かった気になっていないだろうか。 もっといえば憶測で生徒を見取っていないだろうか。 という

          「分からない」で、いよう。

          きみがえらんだものはきみのもの

          「これはぼくがやったんだ!!」 って自慢してもらえたら、この仕事をしていて1番うれしい。 でも、それを守りぬけるように大人が支援することって、ものすごく難しいことだなって思う。 支援しすぎるとその子自身のハンドル感覚は少しずつ失われるし、その子にとって満足できない結果を迎えた最終地点は 「あの人にやれって言われたから…」になる。 この出来事が誰のものでもなくなったときがとっても悔しい。 教員の介入によって、その子が自分の姿を見えづらくさせてしまうことがある。 お

          きみがえらんだものはきみのもの