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はじめからあるもの

「自己肯定感」この言葉をよく聞きます。

教員の研修会でも、「自己肯定感が高まります」「自己肯定感に働きかける」など、テーマとしてよく取り上げられることが多いです。

子育て本や教育書など、本屋さんでも簡単にこの文字に出会えます。

文字面のまま読み取ると、自己を肯定的に見つめることができる、自分を前向きに捉えることができる、きっと考え方として自身を良い方向に進めてくれるものですよね。

とても馴染みのある自己肯定感とは、改めてなんでしょうか。


わたしは「自信」という言葉と比較して考えることが多いです。

「自信」と「自己肯定感」

この違いです。

なんとなく近いニュアンスの言葉のようですが、
大きな違いは「原因がある と ない」に関係すると考えます。

例えば、
勉強をたくさんしたから良い点数が取れると思う。

上手くいかなかったけど、自分らしくていいなと思う。

それぞれどちらの言葉が指すものでしょうか。

前者が「自信」 後者が「自己肯定感」だと思います。

良い点数が取れると前向きになる。この気持ちは勉強したからという原因があるから。
結果はよくなかったけど、それも自分の姿だとありのままの自分を見つめることができる。ありのままの自分には、なぜそうなのかという原因はないと思います。


何が言いたいかと言うと、自己肯定感って誰かの働きかけでメキメキ身に付けていくものではなくて、素直な自分と向き合っていくなかで自身の中から自然と湧き上がっていくものであると思います。

じゃあ大人や支援者が介入できないのかといえばそうではなくて、その子のアクションをそのまま返してあげる。肯定的に受け取れるのであれば、それはそのまま肯定的に返してあげる。ある意味、その子のミラーのような役割になれるかが大切であると感じます。

他者との関わりのなかでしか、アイデンティティは育ちません。過大評価する自分でもなく過小評価する自分でもなく、ありのままの自分をただ眺める。
その本人を映し出す、支援者が与える影響はとても大きいと思います。

自己肯定感は育てるものではなくて、みんなで守っていくものなのかもしれません。


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