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ここがアヴァンギャルドだ、ここで飛べ。

さて、大阪府堺市にありますさかい利晶の杜で、現在、「福岡道雄 静かな前衛」と題された展覧会が開かれています。

堺を代表する二人の芸術家、千利休と与謝野晶子の二人をとりあげた館であるということで、それぞれの名前から一字ずつとって利晶の杜とは名付けられたそうです。堺出身ということの他にこれといった共通点も思い浮かばないのですが、しかしこの商魂たくましさが堺的だという判断かもしれません。

さて、利休です。
彼は芸術家であり、もっといえばアヴァンギャルドアーティストでした。彼はある意味で茶の果てにいました。茶の歴史の最果て、不毛の砂漠地帯から、むこうみずにも跳躍したわけです。

ここで茶の歴史を詳細にたどることはしません。要点だけをふりかえります。
元来、茶は闘茶と呼ばれる方法で享受されており、これは博打のひとつでした。茶の味の当てっこをして、勝てば景品が得られるというもので、この景品として重宝されたのがいわゆる唐物です。
唐物は中国宋代の青磁白磁を至高とします。その美的な完成度の高さといったらハンパではなく、現代の私たちがみても驚嘆せずにはいられません。

誤解なきように付け加えますが、これは俗世を離れてちょっと楽しむ洒落たお茶会などでは、全く、ありません。
当時はカフェインを摂取する機会自体がほとんどなかったと思われますから、参加者たちは茶を喫するうちにそうとうな興奮状態に突入したであろうことが予想されます。
で、この参加者というのが町人などではなく武将といわれるやつばらで、普段から日常的に自分で人を殺してみたり、他人に殺させてみたり、場合によっては親戚であってもちょいちょいと片付けてしまうようなあぶないやつらです。
そういう連中があやしいハーブを煎じた飲料を喫しながら、城ひとつを上回るような値打ちの茶器を代として博打をうっていたわけです。
冗談ではなく、かなりやばい会合だったはずです。

闘茶とはかくまでもおそろしい競技ではありますが、そこで生きている価値観自体は室町時代から連綿と続くもので、ようは昔から立派なものは立派だし、高級なものは高級である、というものです。
文化的に新味を出しているわけではありませんでした。
そもそも武士たちは文化的背景をもちませんから、基本的には旧来の価値を尊重しつつ、それをめちゃくちゃに先鋭化する、という形をとったのかもしれませんね。

これをぐっと方針転換させ、あたらしい文化をつくってしまったのが利休なわけです。
その特徴は「あえて粗末に」です(オルナンの埋葬!)。
わざと過剰なまでに質素に、粗末にしたわけです。
唐物至上主義の時代です。とっくの昔に終わった宋代のものが最高の価値をもつならば、いまさら付け加えることなど何一つありません。やることがない。

そこで利休はゲームの前提そのものに「否」をつきつけたわけです。
白磁のなめらかな水面のようなテクスチャはいまやダサい。楽茶碗の手びねりの起伏こそ新しいのだ。色も黒が最高。白は深みがないよ。茶さじなんてオレが竹切ってつくったやつでいいんだよ。釜? あえて表面をざらざらに作らせてやれ。畳は切って使え。壁紙には反古を貼れ。
利休は徹底していました。茶のすべて、ほんとうにすべてを、この哲学にしたがって作り替えてしまったのです。この前衛主義を建築という総合芸術のなかで発揮したものが茶室「待庵」でした。実物は存在しませんが、ここ利晶の杜では再現されたものを見学することができます。
(見学するとよくわかりますが、利休はほんとうに徹底しています。粗末にみせて、ちゃんと作るよりもかえってものすごいコストがかかっているはずです。そう、わびさびはものすごく高価なのです!)

ことほどさように利休は戦国時代のアヴァンギャルドアーティストだったのです。

さて、今回特集されている福岡道雄は風船型の彫刻作品で前衛芸術家として名を挙げましたが、それ以上にある時期からもうやることがなくなったと(すなおに)認め、作ると作らないとのあいだの可能性の限界を作品化することで話題を集めた人でした。また、2005年頃、ひからびたきんたまと称する作品あたりを最後として、ほんとうに実作をやめてしまいました。
もうやることがなくなったのでやめます、というのもなかなか勇気のいることではあるでしょう。

ここで一端、ふりかえってみると、もうやることがない、というのは近代芸術がはじまって以来、ずっと共有されてきた課題ではあります。
近代芸術のはじまりをどこに置くかはいくらでも選択肢はあるでしょうし、やや牽強付会めきますが、できるだけ遡ってみて、たとえばクールベの「オルナンの埋葬(1849)」は歴史画を首領とする旧来の絵画世界には、もうやることがなくなってしまいましたという宣言の絵と読むことも十分に可能でしょう。

この傾向は時代を下るにつれて強くなっていき、19~20世紀にいたっては一人の作家が生涯のなかでいくつもの「終わり」を乗り越える例さえ出てきました(ピカソ等)。
アートの歴史とは、もうやることはなくなってしまった、にもかかわらず、やけくそで次の一歩をふみだしてきた、そのむこうみずの歴史でもあるのです。

現代彫刻の歴史の果て、砂漠にたどりついた福岡道雄の回答はこうです。
不可能性を乗り越えることが大切なのではないのかもしれない。むしろその不可能性の前で立ち止まり、不可能性を直視することこそ、むしろ誠実なふるまいではないか?
(不可能性はつぎの不可能性を生み、結局それは資本主義的な「あたらしい流行」をつくるに過ぎない!?)


さて、現在、さかい利晶の杜には、不可能性に対する二つの回答が準備されています。
その驚異的なバイタリティと政治力で、徹底的な否をつきつけた利休。不可能性の前で立ち止まることで、不可能性の存在をむきだしにして、それへの理解を深めた福岡道雄。

私は利休の大いなる否に一票を投じます。
しかし、一方で現代の表現を遠巻きに眺めていると、それらは歴史を忘却しつくしてしまったあげく、不可能性の認識をすら欠いてしまっているように見えます。
砂漠を力強く生き抜くことと、そこが砂漠であることを理解せぬまま生きることとの間には、無限の隔絶があります。
福岡道雄の作品は、少なくとも一つの砂漠ではあります。

私たちの眼前には私たちの歴史の果てが、砂漠があります。
ここがアヴァンギャルドなのです。
ここで、飛べ。


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