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「清潔な毒気を微笑で隠して」
若林正恭著『ナナメの夕暮れ』読了。今や押しも押されもせぬ大物芸人となったオードリー・若林による「半自伝的エッセイ」。
思春期の頃の「セーターのチクチク」に始まり、淡々とした平常心の筆致には細部に至るまで若林らしい観察眼と、遠慮がちな皮肉が込められている。
若林はいつも、どこか遠慮がちだ。バラエティのMCとしてゲストにきつめの毒を吐いても不快感を与えず、空気を壊さないのは、それが「清潔な毒気」であるからだ。
今の時代、芸人として毒気を保ちつづけるのは難しい。時代に抗い、無頼派を貫く芸人、コンプライアンスにひたすら寄り添い、時代に媚びへつらうことを選んだ芸人。どちらか一方に振り切るのは案外簡単だが、両者の間で絶妙なバランスを保ち、それでいて「売れつづける」のは至難の業である。
だからこそ、若林はいつも悩んでいる。分別のあるMCとしての理性と毒々しい本音のはざまで時としてバランスを崩しながら、もがき苦しんでいるのだ。
そうした内心の葛藤をありのままにさらけ出すことを、若林は厭わない。いや、本音の部分ではそうした内情など隠し通しておきたいのかもしれないが、トークや仕草の端々に葛藤が滲み出てしまっている。
若林が旧来のMCとは一線を画し、次世代のMCとして期待されているのも、そのあたりに理由があるのかもしれない。