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「ほんの少しの社会性で生きる」
YouTubeチャンネル「ほぼ日の學校」で配信の糸井重里・伊集院光トークショーを視聴。トークの天才にしてラジオの覇王、佐久間宣行からは「2024年でトップクラスのブレイクタレント」とまで評される伊集院光が同じく言葉の奇才・糸井重里と言葉、学校、教育などあらゆるトピックについて縦横無尽に語り尽くす。
若き日は五代目三遊亭円楽門下・三遊亭楽大として落語修業に明け暮れていた伊集院。糸井の軽妙なトークに流されるように、師匠・円楽と四代目・三遊亭円楽との師弟エピソードが語られる。
「笑点」の司会でも親しまれた四代目・三遊亭円楽は極端な機械音痴だった。しょっちゅう楽屋や自宅のテレビが壊れたと言っては弟子を呼びつけ、ちゃんと映るまで修理をさせる。たいていは本当に壊れているわけではなく、何かの加減でコンセントが抜けていたり、位置がずれていたりするだけらしい。
気の利かない弟子はテレビが映らない原因を馬鹿正直に伝え、頑固な師匠から毎度のように「テレビのようなハイテクな代物がその程度のことで壊れるはずがない!」と、あらぬとばっちりを食らってしまう。
その様子を傍で見ていた五代目・円楽は二の轍を踏むまいと、師匠から呼びつけられるとまず、見えないところでコンセントに溜まったホコリを払っておく。
もちろん、テレビが本当に壊れているわけがない。せいぜい、何かのはずみでコンセントが抜けているぐらいだ。
そして、師匠には頃合いを見計らって「テレビ、ちゃんと直しておきましたよ」とだけ伝える。
すると、自分自身は師匠からの覚えが良くなるし、「テレビは本当に壊れていた」ということで師匠のプライドも保たれる。
なるほど。落語家ならではの処世術、というわけだ。
伊集院の口から語られる師匠・円楽のエピソードは、若干のイジりが入りつつも、どこか温かい。
落語家修業の最中、「オールナイトニッポン(2部)」をきっかけに「ラジオDJ・伊集院光」としてブレイクしてしまった伊集院。
弟子としての不義理を恥じ、破門を覚悟した伊集院を師匠が「私にとっては大事な弟子ですから」と陰で守りつづけた話は、それこそラジオなどで落語のように繰り返し語られるエピソードだが、聴く度に心を揺さぶる力がある。
きっと、「伊集院光」になった後も五代目・三遊亭円楽に恋焦がれ、憧れつづけていたのだろう。
「自分が心底熱中できることに(ほんの少しの社会性)を持たせれば、そいつは一生食べていける」
五代目・三遊亭円楽の言葉である。
それはすなわちYouTubeの趣味チャンネルであり、あるいはとことんオタク的なラジオなのかもしれない。
40歳の若さで急逝したコラムニスト・ナンシー関も、「消しゴム版画」というオンリーワンの趣味をとことんまで貫き通した天才である。
師匠・円楽の晩年になって、ようやく落語と向き合いはじめた伊集院。師匠との親子会が実現した感慨は、ラジオでも繰り返し語っている。
師匠が旅立ったことで、伊集院の落語家修業はいったん立ち消えになったようだ。だが、「落語家・伊集院光」には、ラジオにはない魅力がある。
笑福亭鶴瓶はテレビタレントとして充分すぎるほどブレイクしていたが、50歳を境にあらためて落語と向き合った。
遅い、ということはない。七代目・三遊亭円楽は無理にしても、「三遊亭楽大」の復活を期待するのは贅沢だろうか。