ごりまる母さんメラピークへ ⑩~登頂編~
ギリギリまで揺れ動くこころ
「大丈夫」という言葉。
私たちは日常、この言葉を何気なく、かなりの頻度で、いろんなシチュエーションで使います。
この時、パサンから聞いた「大丈夫」の言葉。
私は咄嗟に「いや、この状態では無理な気がする...」と思ったと同時に、「この人が言うのなら、本当に大丈夫かもしれない」と、まだ痛む頭で冷静に考えていました。
出発まであと30分。
相変わらず食べ物は一切、喉を通らず。
お茶だけを飲み、高所用ダウンジャケット、バラクラバ(銀行強盗がよく被っている目出し帽のようなものです)にヘルメット、ハーネス、羽毛手袋を淡々と身に着けていきました。
こうして身支度をしながらも、心はまだ「この体調では無理なんじゃないか」という後ろ向きで、弱気な気持ちに支配されています。
その時にふっと、次々にジョン、アンディそしてケンの顔が浮かんできました。
彼らも、どれほどここまで来たかったことだろう...
「もし登頂できなくても、途中で引き返すことになっても、自分がいま持っている力をすべてここに出しきってから帰ろう」
そう心に決めました。
この時思い出したのが、私の友人であるライリー(彼の趣味は山岳耐久レースです)が言ってくれた言葉でした。
「あなた自身の体力がもう限界で、あと10%の力しか残ってないと感じる時でさえ、実はまだあなたの中には80%以上の力が残っているもんなんやで。だから、最後諦めそうになった時には思い出して」
4人。ロープでつながって
朝3時。
昨日の活気溢れるハイキャンプとは打って変わって、暗闇の中には誰もいないかのような静寂。
それもそのはず、他の登山隊はすでに出発しており、私たちのテントがあった位置はキャンプ入口から1番奥にあったことから、出発する登山隊が身支度する音や足音がまったく聞こえてこない位置でした。
私たちのテントからハイキャンプ入口、距離にして50mほどを歩くのでさえ息が上がります。
ここでクランポンを装着し、4人がロープで繋がります。
私の前にはパサンが、そして後ろにはロブとチェワンが居てくれる。
彼らの存在が、包むような安心感を与えてくれました。
もうなにも考えず、心配せず。
ただ、目の前の道を歩いて行こう。
私たちはお互い頷き合い、それを合図にメラピーク山頂へと歩き出しました。
この1歩を踏み出した瞬間。
クランポンを通して靴底から伝わる雪に覆われた大地の感触を私は一生忘れることはないでしょう。
暗闇の空間。
遥か遠く、まるで蛍が列をなしているように見えるヘッドランプの灯り。
先行している登山隊がいる距離までは、かなりの距離があるのがわかります。
ただ下を向き、右足を出したら左足。
とにかく足を1歩ずつ、前に出しさえすればいつかは山頂に辿り着く...
なにも遮るものがない山の斜面、全身に吹き付ける風は容赦なく、バラクラバで覆った口元は自分の呼気で凍りつき、クランポンを通して足底から伝わってくる冷気。
この時の気温は-18 度であったと後で聞きました。
だんだん山際が白み始め、朝日が昇る。
身体はしんどさで抜け殻のようになっていながら、その美しさに心打たれ涙が溢れてきました。
その涙も吹き付ける風で頬に凍りつきます。
ロブの立ち止まる回数もだんだんと増えてきました。
私の後ろ、ロープで繋がっている感触で彼のしんどさが直に伝わってきます。
その度に振り返って、うんうんと頷き「ロブ、しんどいな。ほんまにしんどいな。私もしんどいよ。でも貴方が私の後ろを歩いてきてくれる。貴方の存在がどれだけ私の背中を押してくれているか...」と届かぬ声をあげ、再び前を向いて歩き出しました。
しんどすぎて泣けてくる、山頂までの最後の5分間
少しずつ山頂が近づくにつれ、斜面もきつくなってきました。
もうこの頃の私はただ気力だけで足を1歩ずつ、前へと出すことだけしか考えられない状態でした。
この登りはいつまで続くんやろう...前を見ることなどできずに足元だけを見ながら亀のようにゆっくり歩きます。
そして、しんどすぎて泣けてくるという情けないことになってしまいました。
急だった登り斜面が、心なしか緩くなってゆき、フラットになった地点で顔をあげると...
2022年10月22日8時26分 メラピーク登頂
今、この瞬間。
確かに、この地球上に自分が存在しているんだと実感できた瞬間でした。
充足感に満たされて
登頂の喜びもありましたが、とにかくほっとしたのが正直な気持ちです。
山頂では10分ほど滞在し、下山を開始。
今日はカーレまで帰らなくてはならず、まだまだ長い道のりが待っています。
12時間前。
精神的にも体力的にも不安のどん底にいた自分が、確かにここに居ました。あの時、パサンの「大丈夫」という言葉を信じ、諦めなくて本当に良かった。
そして、彼らの全身全霊のサポートのおかげで登頂できた...そんな気がしています。
身体は疲れきっていたものの、清々しい疲労感。
登頂の喜びもありましたが、安堵感のほうが大きく、それはロブも同じであったと思います。
山との出会いを振り返って
カーレのロッジに帰ってくると、「Congratulations!」と皆さん笑顔で迎えてくれ、ようやく終わったんだな...という安堵感と同時に少しの寂しさが湧いてきました。
ここまでくるのに5人だったメンバーがロブと私の2人になり、本当に数々の葛藤を乗り越えながら、私にとって宝物となるような人々との出会い。
そしてこれから先も決して忘れることのない風景との出会い。
今、こうしてここに居れること。
かけがえのない経験ができたこと。
それには家族や子供たちの協力と理解、サポートなしでは成しえないことでした。
生きていく中で乗り越えていかなくてはならない壁に突き当たった時。
心の平静が保てずに泣きたくなった時。
その逃げ場所として独り ' 山 ' へ。
山に行くことで、自分を取り戻し、また生きる力を与えてもらう。
そのような繰り返しが現在に繋がり、今ではただ純粋に山に魅せられ、山に行くことによって生きていることの素晴らしさを教わりました。
そうして、気づけば以前のような悲しい理由で山に登ることはなくなっていました。
山に救われて、山で出会った人々に救われて...そうして今の自分がある。
そのすべてに感謝の気持ちでいっぱいです。
そしてこれから
2025年10月ー
ロブ・ジョン・アンディ 、そして私は再びチームを組んでアイランドピークへ登ることになりました。
今度こそ、全員そろって山頂に立てますように...また夢を与えてもらった仲間に感謝です。
ロブの詩
キャンプを出発してから山頂までの様子や気持ちをロブが詩にしてくれました。私の拙い英訳では彼の美しい詩が台無しになるので、原文そのままで掲載させて頂きます。
As the sun rose and it's glimmer gently caressed the horizon.
My weary eyes trying to marvel at it's beauty.
My shattered and exhausted body, how unbeknown to me, still edging forward, with tiny steps towards the Mera Peak summit, a summit still a soul destroying two hours away at best.
The freezing chill of the ice beneath my crampons felt even through my high altitude summit boots and my cold fingers clenched into a fist inside my down filled mittens, barely able to grasp my trekking poles.
I followed the heels of Suzuyo in front of me knowing she felt the same.
We gave each other encouragement and knowing we were so close, that encouragement drove us on, just a few words such as. "We've got this", "Not far now", words often drowned out by the icy minus eighteen gusts of wind.
Pasang Kaji, Sherpa, our lead guide edging us ever closer to our goal, our dream, and Chewang Sherpa, our climbing guide bringing up the rear.
From a distance we probably looked like a piece of cotton with four small knots in it laid out on a white pillow, but we were four weary souls, roped together on the ice destined to stand tall on the edge of our dreams.
AND WE DID.
読んで下さった皆様へ
真面目に文章を書いたのは高校の国語の授業以来、30年以上ぶりのことでした。
読みにくい箇所もあったと思いますが、最後まで読んでくださって本当にありがとうございました。
47歳の(今は48歳、来月には49歳になりますが)「ごりまる母さん」でさえメラピークに登れるんだ。と、たった一人の方にでもなにかしら伝わるものがあれば、これ以上に嬉しいことはありません。
「ごりまる母さん」、これからも少しずつ綴っていきたいと思います。