見出し画像

『日本人の心と社会の成り立ち ~「甘えの構造」から見えること~』【#4-後半】

「甘えの構造」シリーズの第4回目の前半・第五章の「甘えと現代社会」からの続きです。(※漫画のネタバレも含まれる記事です)

漫画『血の轍(わだち)』 by 押見修造

『血の轍』は、母子の歪んだ共依存関係を描いたサイコ・サスペンス。
母・静子の狂気に巻き込まれていく息子・静一の内面が繊細に描かれた作品で、見ている側も引き込まれ恐怖を感じる漫画です。そしてこの物語は、母子一体化と父親不在による、フロイトの エディプス・コンプレックス(前回参照)の未解決が引き起こした精神崩壊の物語とも言えます。この物語を通して、静一がどのように母親に飲み込まれ、そしてそこから解放されるまでの心理的な人生のプロセスが見どころだと思います。

いつもの日常:保たれる均衡
主人公の長部静一(おさべせいいち)は母・長部静子(おさべせいこ)と穏やかな日々を過ごす中学生。その穏やかな日常の中で静子の息子へ愛情は、次第に静一の人生を狂わせていきます。

そんな家族の日常の朝は、決まって静子の「肉まんかあんまん、どっちにする」という、静一への問いかけから始まります。それも毎日、同じ事が繰り返される朝の風景。この物語を読み進めるうちに、このような、ごくあるありふれた日常の朝すらも、いつしかなんだか不気味で、なんとも言えないねっとり感を読み手も次第に感じ始めるでしょう。それほどに親と子の境界線は曖昧で不確かなものだということが、物語を進めていくゆちに明らかになってゆきます。

事件:均衡が崩れはじめる時
ある日、静一は、父親の姉家族と一緒にハイキングへでかけます。その時、静子が従兄弟のしげるを崖から突き落とすという衝撃的な事件によって、それまで蓋をしていたことが表面化してゆきます。その現場にいたのは、落とされたしげる、静子、そして静一だけでした。崖から落ちそうになったしげるを助けようとして駆け寄った静子は、助けた後に、突発的に突き飛ばします。その現場を見ていた静一。しげるが崖から落ちたあと静子は、あたかもしげるが誤って落ちたかのような振る舞いを見せ、自らも落ちたしげるを探しにいきます。静一はそのような母親を目の当たりにし、母親が突き落としたことは誰にも言う事はできません。このように、唯一その場に居合わせて全てを目撃していた静一は、母と共犯者になってしまいます。二人の一体化を強化するような出来事だったでしょう。その後しげるは見つかり、一命は取り留めはしましたが、昏睡状態で病院に入院します。

静子と静一

静一の母・静子は美しく、文句は言わず物静かな女性。そして静一を過剰に庇護しています。それを義理の姉(しげるの母親)は、よく静子に指摘していました。静子の過保護は、一見、子供を思ってのことにも見えますが、実際は静一の意志を尊重せずに、自己中心的で支配的だったと言えます。漫画の中で、小さい頃から静一が何かをやろうとする前から何でもしてきた静子に対して、静一が怒りをあらわにする場面があります。静一への過干渉から、希薄な自己を保つために息子に依存していたことが見えてきます。静一を感じることで、静子も自分を感じることができる。そのようないぞんともいえる支配のもとで、母親に受け入れられること(母の愛)🟰自己の存在価値を決めるという心理が静一の中に形成されていきます。

父・一郎

静一の父・一郎は、とても優しい人ではありますが、気の弱い人物でした。大学時代に静子と出会います。当時の一郎は、親の仕送りのもと学費や生活費には困らない学生で、詩人になるべく創作活動に没頭する大学生活でした。日夜一生懸命に働く静子の家で同棲をし、大学は8年かけてようやく卒業。その後は、父親の会計事務所を継ぐことになり、静子にプロポーズ。地元へ静子と二人戻ることとなります。そんな一郎は、静子のどこか異常な行動に微かに気づきながらも、見ないようにしていたのか(無意識かもしれません)、何もできない無力な存在でした。その不在感が、母子の密着をさらに強める要因となっています。

静一の心理を身近にいた大人たちが理解し、母親から離すことができれば良かったのではないかと、漫画を読みながら何度も苛立ちを感じました。しかし不思議なくらいに静一の父親には存在感はなく、読んでいる側もふと忘れてしまうくらいで、変な感覚がありました。ただこの存在感の薄さが、この家族の大きな悲劇の一つだったのだと思います。存在感は薄いが、母・静子を想う一人の男性で、一郎もまた依存的であったのかもしれません。

変化の中で

思春期と恋愛の芽生え
しげるの事件が起こり、彼は意識の戻らぬまま、病院で眠り続けます。静一の心の中には、目撃してしまったこと、それを誰にも言えない葛藤を抱えたままでした。この出来事は、静一の心の深いところでは影響しているものの、そこは見ないように蓋をして、いつもの日常へ戻ってゆきます。一見何もなかったような日常ですが、事件のあった前の生活にはもう戻ることはできません。そんな時、クラスメイトの女子学生・吹石さんから静一はアプローチを受けます。そこから二人は徐々に近づいてゆきます。

この時期の静一は、思春期(12~18歳)真っ只中です。この時期の発達課題は、心理学者エリク・エリクソンの発達段階理論に基づくと、「アイデンティティ vs. 役割の混乱(Identity vs. Role Confusion)」となります。思春期は、自分が「何者なのか」というアイデンティティを模索する時期。自分の価値観や信念を見つけたり、将来の進路を考えたり、家族や社会の価値観と自分の価値観の違いを整理したりと、自分自身や性別・恋愛などの倫理観も確立してゆく時期です。この過程で自己確立がうまくいかないと、役割の混乱(アイデンティティの拡散) に陥り、自分が何者かわからず、不安定になりやすいのです。

エディプス・コンプレックスの未解決
また「甘えの構造」の第五章でも説明をしましたが、通常、エディプス・コンプレックスが健全に解消されると、子どもは母親を超えて自立へ向かいます。そこで思春期から青年期にかけては、友達の関係性が大事になったり、異性との関係を築いてゆきます。

この時期、吹石さんとの関係せをきっかけに、静一は母から距離を取り始めます。しかし静一の場合はエディプス・コンプレックスは解決されていないため、うまく移行できません。自分と母親との境界線が曖昧なまま、アイデンティティの拡散に陥って自分が何者かすら、自分で決めることができなくなっていく様子が漫画では描かれています。

また自分で決めることができない静一の場合、母親の過剰な愛情、そこから生まれる支配とコントロールが、すでに静一の※「超自我(Super-ego)」の代わりに機能していたのではないか?と思われます。

※超自我(Super-ego):ルール・道徳観倫理観良心・禁止・理想などを自我とエスに伝える機能(Wikipediaより)

静一の自立への試みと母・静子
静一が吹石さんとの距離を縮めるにつれ、母・静子の異常な執着が表面化してゆきます。 静一は母を捨てようと試みるのですが、母の苦しみを見た時、ものすごく動揺します。また吹石さんとの初めての性的経験(射精)は、母からの決定的な分離の象徴となるはずでしたが、静一は初めての体験を受け止めきれず怖くなり、吹石さんから離れて自宅へ戻ります。

そこで何もなかったかのように振る舞う優しい母・静子。彼女は静一が帰ってきたことに喜んでいたはずでしたが、同時に吹石さんと関係した静一に対しての嫌悪感が発露します。父親を実家に帰るように仕向け、父が不在になった家で静一を待っていたのは、母・静子による歪んだ粛清でした。

見捨てられることへの過度な不安 
静子の粛清により、母に捨てられる恐怖を存分に味わうことになった静一。静一は母にすがり「吹石さんと会わない」と約束することで母のもとに完全に戻ります。この親子のやりとりや距離感が、恋人のように見えるくらい、とても歪んでいて気持ちの悪いものです。 この段階で静一は母の愛を失うことは、自分の存在がなくなると感じるほどの恐怖を感じていました。

通常、エディプス・コンプレックスを解決する過程で、去勢不安(Castration Anxiety)を経験すると言われています。それは父親が自分を罰するのではないかという恐怖をもとに、男の子の場合は母親を所有できない現実を受け入れるきっかけとなり(自分の限界を知る、諦める体験)、母子分離が可能となります。そして子は父親を内在化し、社会的な自己を形成して自立へと向かうことができるのです。

静一のケースでは、父が不在なため、去勢不安が生じにくく、それゆえ母の影響は依然として強大であり、母への執着は続きます。そうなると、この『甘えの構造』的な状態、すなわちエディプス・コンプレックスは未解決のままになり、静一は静子の愛から離れようとしつつも、それを拒絶することができず、精神的に母に支配されてしまうのです。

また母・静子は、父親のことを役立たずだと見下しています。静一に対しても「パパみたいな顔して何してくれる」と言います。この言葉は、静一が父親のようになることは母親から蔑まされることであり、それは母に捨てられるという脅威にもなります。これも母の支配へと回帰する一つの大きな要因です。そこからますます静一の、母のための自己犠牲が進んでゆくのです。このように「母の期待に応えること=自己の存在証明」という倒錯した信念を強めていきます。まさに母親が静一のルール、倫理であり、全てになってしまう状態なのです。

目覚めと崩壊

しげるの目覚め
ある日、しげるの母親の献身的な看病の末に、しげるは目覚めます。目が覚めてしばらくは、しげるは記憶をとり戻すことはなかったのですが、ある日、ついにしげるは事件当日の出来事を思い出します。それによって、静子の犯行が公になります。

そんな静子はどこか安堵を感じていました。なぜなら静子は心の奥で、ここから逃げ出したい気持ち、全てを終わりにして自由になりたい衝動を抱えていたからです。それはしげるを突き落とす、ずっと以前から。本当の自分を感じられないまま、なんとなく周りに合わせてニコニコと本音を出さずに無力に生きてた静子。全てが遠く、希薄に感じる日常。事件が公になり、家族の元を離れることで、これで全てからようやく解放されると静子はどこかで感じていました。

静一の目覚め
静子の逮捕後、静一も事件の唯一の目撃者として取り調べを受けます。そして、取り調べの過程で、静一もまた幼少期の記憶を取り戻すこととなるのです。幼少期の記憶は、漫画の中では断片的な記憶として、所々に出てきていました。それは静一が小さい頃、死んでしまった白い猫を道端で見つけ、なぜか血のついた自分の手で撫でているシーンです。この断片の記憶の全容は、ある日、母親が若い頃によく行っていた丘の上から小さな静一が、母親に落とされ、死にかけたというものです。しかし静子は何事もなかったように、崖から落ち、血を流していた我が子の手を引いて、当時は家に戻ります。その時に怪我をして血が出ていた自分の手で、帰り道に死んでしまった猫を撫でていたのです。この記憶が戻ったことで、母の支配が単なる愛ではなかったことを悟り、静一には、母親との分離の機会が再びやってきます。

再度、自立のチャンス
静子が捕まり、取り調べを受けている最中、静一は静子の影響は受けることはなくなります。その時期に、吹石さんとの関係が戻ります。彼女との関係が戻った静一は、彼女に堂々と「好きだ。一緒にいてほしい」と伝える事ができるのです。そして吹石さんと一緒にお互いの母親の顔を給食袋に描いて、二人で石をぶつけて擬似的に母親を殺すことをします。そして父親と弁護士の、「3人で暮らそう」という言葉にもはっきりと、母親には会いたくないと伝え、母親とは完全に決別しようと試みます。

母の呪いと悲劇

母との決別をしようと思う一方で、なぜ自分が母親に殺されかけてしまったのか「僕が悪いの?」という問いが、どこかで静一の中には残っていました。そんな不安定な心を抱えた静一は、ある日、弁護士と父親が話しているのを聞いてしまいます。それは従兄弟しげるを落とした時の静子の供述が「静一に見えたから突き落とした」という話でした。この言葉は、静一の心に深く突き刺さり、母から自立する方向へ向かっているようにも見えていた静一の心は、実際には崩壊へ向かい始めたのではないかと思います。それを暗示していたかのように、その直後に静一は、意識が戻ったしげるを実際に突き落として殺してしまうという悲劇的な事件を起こしてしまいます。

心の均衡が完全に崩れる時
なぜ静一がしげるを殺すに至ってしまったのでしょうか。静一は、母親との過剰な一体化により、自己の境界を失い、自分が何者なのか分からなくなっていました。母親の罪を自分のものとして受け入れることで、母親から分離することを拒否し、心の安らぎを求めていました。それは、母親を苦しめていたのではないかという罪悪感から逃れるためでもありました。

漫画では、静一は母親の幻覚と対峙した時に、自分が母親を苦しめ、追い詰めていたという幻想を見ます。だからこそ、自分は母親に殺されかけたのだと思い込み(母親の行動を正当化し静一が母親の苦痛の責任をおっている状態)、さらに母親を苦しめた自分が、母親がしげるを殺すまで苦しめたという強い罪悪感に苛まれます。

この自分の存在自体が母親を苦しめているという考えは、静子からの支配的な関係性(母子一体化)の中で作られた自分への捉え方、見方です。母親を苦しめている自分は、死ぬべきなのだと思う静一。静一は、自分自身と乖離した状態のまま、幻覚の中で、幼い頃に母親に殺されかけた自分を殺そうとしました。しかし、実際には、しげるを殺してしまったのです。目を覚ました静一には、その記憶はありませんでした。気がつけば静一は母親の罪を背負うこととなってしまったのです。

母との決別と虚無の果てに

このように、しげるを殺すという悲劇的な事件が起こり、静一は逮捕されます。しかし、その後にさらなる崩壊が待っています。実際に、静一がしげるを殺してしまった事を静子が知ると「自分は突き落としていない」と突然に供述を変え、静子の方は、証拠不十分で不起訴となります。これによって静一は母親の支配から解放されるどころか「母からも見捨てられた」という最悪の形で母との決別を迎えることとなります。

静一の裁判の場で、父親、そして母親の静子は静一と並びます。そして静一に対して「もう母親はやめます」と言いながらその場を立ち去ります。その場にたった静子は、静一を思う母親らしい愛を一切見ることができません。それ以来、静一は母親とは会う事はなく、父に引き取られ、ひっそりと生きるようになります。 静一は、虚無を生きることを余儀なくされました。そんな静一を父は見守りながら支え続けます。

静一と死んだしげる

静一は、しげるを殺し、母親と決別した後も、ずっと心の中の葛藤は消えずに人生を送っていました。静一のそばには、死んだしげるが常にいました。このしげるの幻覚は、実際には、静一の心の状態を表しているのではないかと思います。ここで出てくるしげるは、静一自身の「母から解放されたい」という願望と「母に支配され続ける」という恐怖の両方を表現している可能性があり、しげるを通じて、静一は過去の罪や母との関係に向き合い、自らの生き方を決めるように、しげると対話するたびに考えているように見えます。

静一は淡々とした日々を過ごしていましたが、ある日、父が亡くなってしまいます。父を見送り、父の望み通り故郷のお墓に埋葬した後、静一はようやく自分も死ぬことができ、しげるの近くに行けると思います。しげるも早く遊ぼうと誘ってきます。しかし自殺を試みるも、その瞬間に母親の声が聞こえ、結局は死にきれません。ここでも母の声によって静一の望むことができなかったのです。そんな頃、偶然なのか、警察から母親のことで連絡がきます。静一は母の事は、何度も忘れようとしていました。父親の手紙に書かれた母親の居所も捨てていたのです。しかしこの連絡によって、母親の居所と現在の状況を知ることになるのです。消そうと思っても消えないこの絆。どこまでも追ってくる母・静子。

静子との再会

再会したばかりの静子は、静一の目にはあの時のままの姿に見えています。彼女が支払えなくなった家賃などを仕方なく静一が支払うことになり、静子の家に一緒に行きます。その時の静子は、初め自分の息子が目の前にいる認識はありませんでした。一緒に家にいき、静子は助けてくれた静一にお茶を出します。そしてふとした時に静子は「静一?」と気づくのでした。その瞬間静一は、母親に殺された時に見た死んだ白い猫を思い出し、咄嗟に静子に対してお茶をかけてしまいます。そして彼女を殴ろうと思った瞬間、静一が見ていた怯える静子の姿は、小さな女の子になっていったのです。そして泣きながら謝罪をし、殺してくれという静子。拳をあげて、怒りをあらわにする静一。この瞬間、静一と静子の立場が逆転したのかもしれません。静子の家を去るとき、静一の目に映る静子は現実の姿である老婆になります。しかしその後も静一の頭の中では、静子の静一を責める声が聞こえ、その苦しみは消えてはいませんでした。

白い猫

再会しいてから2ヶ月後のある台風の日。死んだしげる(静一の心の声の一部)が静一に、静子を見にいこうと促します。台風が酷くなる前に様子を見に行く静一。そこには白い猫を探している静子がいました。この白い猫は2人にとってとても象徴的でもあります。

かつて母親に殺されかけた自分が、帰り道で死んだ白い猫に遭遇しているのですが、この時の猫と似た白い野良猫を、静子は面倒を見ています。この猫を静子と一緒に探し、保護し、台風という嵐の中、猫を囲んで一緒に過ごしたこの夜は、静一にとって特別な時間となります。

その夜静子は、静一の生まれた時からのアルバムを持ってきて、今までの人生について語り始めます。静一にとってその時間は、人間・静子と初めて出会う時間となりました。そして静子の人生を知り、理解が深まることで、自分が母に殺された理由が明らかになり、今までの心の痛みが癒される時間となったのです。

世代間のトラウマ -静子の人生-

静子は4人家族の長女として生まれ、幼い頃は祖父母の家で過ごしました。祖父母に優しくされ、特に祖父を慕っていましたが、母親との折り合いが悪く、家族は引っ越すことになります。静子は新しい家で両親には怒られることが多く、6歳で妹が生まれると、病弱な妹にばかり愛情が注がれ、自分は「必要のない子」だと感じるようになります。

中学生になると孤独を深めてゆきます。大勢の中で話すのが苦手何タイプで、よく1人で過ごしていました。その頃家庭では、父親の浮気が発覚し、母親の怒りが静子へ向かいます。家にも学校にも居場所がなくなった静子でしたが、高校で演劇と出会い、卒業前に東京へ劇団の公演を観に行ったことが大きな希望となります。その時一郎と出逢います。

演劇に希望を感じ、東京に出た静子は、専門学校に通いながら働き女優を目指します。高校の時に初めて見た舞台の後に出会った一郎とはそれっきりでしたが、時々、同じ劇団を見に行っていたため、一郎と再会します。そこから付き合い始めて同棲へ。その後、一郎は実家の家業を継ぐことを決め、静子にプロポーズしました。こうして静子は、一度は出たはずの実家のある地元に戻ってゆくことになります。

結婚し静一を出産。しかし、その後妹が亡くなり、母親から「妹の分の幸せを吸い取った」と言われます。静子は家族も世界も遠く感じ、虚無の中でずっと生きていました。ただ赤ん坊の静一だけが、唯一の「生きる実感」だったのかもしれません。小さな静一に、ずっとそばにいてほしいと願い抱きしめる静子。漫画に描かれた、この描写は、普通の愛情深い母親である静子です。しかし、もしかするとここから次第に精神的にも依存が始まったのかもしれません。

一見、幸せを手にしたように見える静子の人生でしたが、彼女はその全てが常に遠く感じていました。そして義理の姉に対して初めて会った時から嫌悪感を抱きながらも、表面では常にニコニコと合わせていた静子がいました。

ある日、今までになく気分の良い日がありました。生まれて初めてかもしれないと思うくらいの気分の良さでした。その日、ふと昔よく行っていた街を見下ろすことのできる丘の上に、静一を連れて行きたくなります。漫画には、ふわふわした感覚で自分を遠くから眺めているような現実感が伴わない静子の様子が描かれています。ここではすでに乖離していた状態だったのかもしれません。静子はその丘の上で、静一を崖から突き落としてしまいます。

静一の魂は、この時静子に殺されました。しかし静子の人生を振り返ってみると、実は静子の魂も、何度も殺されてきたのかもしれません。これが静子から静一へ繋がれていった「血の轍」。

あなたもきっところされていたんだね。 いろんなものに。
ころされたら、誰かをころしてしまう。

「血の轍」137章:思い出して

バトンタッチ

今回は『甘えの構造』の第五章から、現代の日本社会にも続くテーマの一つである「父親不在と母子一体化」に焦点を当て、漫画『血の轍』を深掘りしました。この家族の問題は、今なお社会に根深く残る課題です。漫画を読みながら、「もっと早く誰かが静子の心に気づいていたら」とか、「静一の様子や気持ちを理解できる人がいたら」と思い、ここまでの悲劇にならないためには、どのような事ができたのだろうか?と何度も思いました。

先月、日本で公開されたドキュメンタリー映画『どうすればよかったか?』を観ました。また、【Mr.サンデー】で放送された“教育虐待”に関する実録ドキュメント——医学部を9浪した末に母を殺害した娘の事件——も目にしました。どちらのケースも、『血の轍』に通じるものを感じます。なぜ、ここまで歪んでしまうのか?なぜこのようになってゆくのか?

『甘えの構造』が出版されて50年が経ちます。しかし、今読んでも決して古いとは感じませんし、場合によっては、問題がさらに深刻化しているようにも感じられます。「甘え」そのものは決して悪いことではありません。しかし、それが「拗れ」となると、多くの問題を引き起こしてしまうのです。

では、その「拗れ」を生み出さないために、私たちは何ができるのでしょうか?日本社会には何が欠けていて、何が必要なのか?『甘えの構造』というレンズを通して、さらに探っていきたいと思います。その答えを探るために、やすのさんの考えをぜひ聞いてみたいと思います!

参照:
・土居健郎(2007)「甘え」の構造(増補普及版)弘文堂
・押見修造 漫画『血の轍 (わだち)』小学館:ビッグコミックスペリオール (2017-2023) 1話〜153話
・Robert Moore and Doug Gillette(1991) King, Warrior, Magician, Lover:   rediscovering the Archetypes of the Mature Masculine, HarperOne
イド・自我・超自我とは?精神分析の最重要概念を具体例でわかりやすく解説
日本における不登校の歴史【第2回】時事メディカル

いいなと思ったら応援しよう!