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DIOR展を鑑賞して・・・

DIOR展を鑑賞した。観れてよかった~!
2ヶ月前当日券に玉砕したけれども、鑑賞帰りの人たちの興奮した表情と「よかったね~」という言葉をもれきくに、「これは、ぜひとも見なくては!!」と頑張って即効満席になるという予約初日にいどんでみたのだ。
結論、頑張って予約とるだけの価値はある展示会だった。

クリスチャン・ディオール・・・・ハイブランドとしてあまりにも有名なお名前。
私が、普通に持てるのは化粧品くらいで、洋服やバック、靴は未開の地。
そんなDiorの洋服が、初代クリスチャン・ディオールからはじまり、歴代のデザイナーイヴ・サン=ローラン、マルク・ボアン、ジャンフランコ・フェレ、ジョン・ガリアーノ、ラフ・シモンズ、マリア・グラツィア・キウリまでの服が実際に展示されている。
この展示の仕方が素晴らしかった。
ガラスケースにいれるのではなく、そのままをグルッと全方位みれるような(ほぼ)形で展示されている。

この展示会、色々と感じるものや気づきがあったので、それを記しておこうと思う。

1.
「立体裁断とはこういうものか!」というのが間近にみれて、「立体的な体を立体的な布で包む」という洋の装いの基本が理解できる。


一方、和服というものは、「平面の布の組み合わせで立体的な体をくるむ」という考え方でなりたっている。
このくるむ包むは、似ているようで違うコンセプトだ。

洋服は、立体的な形に立体的な体をはめ込む
和服は、立体的な体に沿わすように包む

のだ。
これは、着心地というものに影響しているのではないか?
と鑑賞しながら思った。
和服は、正しく楽に着付けると、自分の体に沿っているので、とてもラクだ。尚且つ、体がラクに動くように骨格的に閉めたほうよい部位には、布を寄り密着させることで体を安定させる。という機能性に実はとんでいる。
(下地でそう作るので、上着である長着はフワっときているものだ)
洋服はどうだろう?みていて、なんだか着心地は苦しそうだな。と思った。
美しい立体の形に体をはめ込む、そのためにコルセットやらなにやらで先に立体的な補正をしている。
そんな印象があった。

2.
個人的には、初代のクリスチャン・ディオールのデザインと立体的なフォルムが好みであった。


その後をひきついでいる中では、意外にもジョン・ガリアーノが一番、クリスチャンに近かったような感じがした。
それは何に起因するのか?考えてみると・・・
歴代のデザイナーにはクリスチャンのDNAを引き継がれているはずだ。
クリスチャンのDNAとして、3つ位が紹介されていたけれども、その3つのうちのどれを重視しているのか?によって、仕上がりが与えるイメージがだいぶ違うのかもしれない。
私が、ガリアーノが一番引き継いでいるな。と感じたのは、その完成された服からだたよってくる「匂い」「オーラ」ともいえるようなものが、似ていたからだ。
それは言葉にすると、”女性賛歌” ”女性を敬愛し、女性が美しく見え、きている女性が女性を楽しんでいる装い” という印象が一緒なのだ。

それに対し、この対極にいたのが、イヴ・サンローラン。
自身のブランドを立ち上げるより前、若かりし頃にDiorのメインデザイナーになっているサンローラン。
彼の服から感じられるのは、”ジェンダーレス”。
ディオールやガリアーノの服は、心も体も女性が着る。という印象しかないが、サンローランの服は、女性の肉体をもっていなくても似合う印象があるのだ。
その服たちから匂ってくるサンローランという人は、”女性が実は嫌いだったのでは?もしかして苦手だったのでは?”というものだった。

仕上がった服が一同に解することで、そのデザイナーの人間性までも透けて見える。
そのオートクチュールの服を纏うということは、そのデザイナーの思想の中に入り込む喜びももたらすのかもしれない。
だからこそ、そのメゾンの顧客はファミリーとして大切に扱われたのではないか?というところにまで思考は及んだ。

3.
どのジャンルのクリエイターたちも一度はチャレンジすることに、異文化に触れた時、その異文化を自分の創作にとりいれようとすることだ。
ご多分にもれず、ディオール氏もそれをしている。
日本にインスパイアーされたデザイン。というコーナーもあったのだが、これが、どれも「違うんだよな~」なもの。
これは、日本人なら、言葉として明確に説明できない肌感で感じる違和感だろう。
その反対に、他の地域や民族にインスパイアされた服をみても、「なんかステキな感じがするわ」にしか思えない。
それは、私の中にその民族の肌感をもっていないからだ。

果敢に異文化のエッセンスを取り入れようとするのは素晴らしいことだが、それをその文化の人たちに対して提案するのは、止めたらいいのに。と思った。
私が感じたような肌感での違う!を感じてしまうからだ。
だったら、それを他の文化地域に提案すれば、デザインとしては完成されているのだろうから肌感での違和感を感じさせずに「なんかステキ」と受け入れられるというものだ。
これ、結構大事なポイントだと思う。(マーケッターの人たちはそこ、わかってるかな?)
一緒に展示会を見ていた、大学時代、同じように比較文化を学んだ友人も同意見だった。

以上が、展示会を通して感じたことだ。
総じて、200%満足する展示会だった。(私がこんなにストレートに評価する展示会なんて5年に1回あるかないかだわ!!!)
周悦なのは、展示方法。
見せ方がとにかく上手かった!
ドレスの滝には度肝ぬかれたもん!