変質の危険、本質の重要
朱子学に対して陽明学。
なんだか僕には“歴史は繰り返す”その典型に見えてならない。
先知後行に対し知行合一。
知れた言葉である。
けれど、その真の意味についての理解があるかと言われるとどうもそうでもないと思えることが多い。
僕などの説明が必要とは思えないが、先知後行(朱熹)を敢えて言うならば“うまくやろう思いぐずぐずするくらいなら、拙くても早く仕上げろ”ということになろう。これ、まさにどっかの国からの影響で日本の節々に浸透し尚軽薄に広がり続ける思想・・とでも言えば良いか。
対して知行合一(王陽明)はつまり“何かを身につけるには知識だけではなく同時に実践も必要”ということになるだろう。他のところの解説を見ると今の時代では“知識より実践こそが重要”という変な編集がされて、意味の取り違えも甚だしいと思ってしまうが、それはさておき、王陽明の言った知行合一は単に知識と実践の合一が大事と言ったが、実はその繰り返しの先にあるものが真の知行合一だと言ったのではないかという話。これは僕もそうだと思った。
知識を入れるだけでは定着せず、それを喋ることで定着を促しそれを繰り返すと定着に向かうというのは皆が当たり前にやっていることで僕もそうだが、この繰り返す行為こそが重要だと思えるからだ。
今、その言葉のカタチには変化がないが、内容においては著しい変化を伴っている。それが悪いとは思わないとしても、その内容の重要な部分が欠落するのは質の低下、また本質の欠落ということになるからそもそも無意味なものにしているというなんとも情けない話です。
今日もたくさんのメジロが庭先にやってきています。
餌場なのか、ほんの10分20分ほどですが、小さく可愛らしい囀り、春色とでも言えば良いか美しい色彩に癒されます。
昼過ぎから夕方にもまた訪れ、その後塒に戻るのでしょうか・・
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