石原莞爾
石原莞爾という男がいた。
一本筋の通った漢で、また天才と呼ばれていた満州事変の中心人物である。
いろんな逸話が残っているので、詳しくは各々調べてみて欲しい。
彼は東條英機と仲が悪かったからという理由だけでGHQ派遣の検事が聴取した際、彼らのシナリオである“東條英機を戦犯として、そして首謀者として裁く”という意図をもって“誰が戦争犯罪人だと思うか?”と石原に問いかける。しかし、石原は“それはトルーマンである。広島と長崎に核兵器を使用し無差別大量殺人をしたからだというのはいうまでもありません。国際法では一般人は爆撃するなと規定がある。それなのに一般国民を何十万人も殺した、国際法違反である。”と言ってのけたのだ。(法廷では拍手喝采であったと言う)
無茶苦茶な虐殺をやってのけ勝ったから俺たちが正しいという立場のアメリカからすれば、え?って回答だったんじゃないだろうかね。
筋の通った正しい立場をとっただけであるが、それはアメリカ側またそこにくっついて意味不明な裁判をやるほど日本を恐れ必死だった彼ら側の視点に立てば、日本は末恐ろしい国であると再認識したはずではないかと僕は思う。
その後に病気療養中の身であった石原に出廷を命じた検事側に対し“病気なんだから行けるわけないだろ?お前らが来い”と言ってのけるのもまた至極当たり前の話で、そこがまた非常に気持ちの良い人物だったのだろうことを窺わせる。
その更に後、極東裁判に出廷した際には“日清日露戦争まで遡って戦争責任を問う”との判事の発言に対して“なぜ満州事変を起こした俺を裁かないのか?”と挑発し、それに留まらず“日本の戦争犯罪を遡って捌きたいなら、ペリーをあの世から連れてきてこの法廷で捌けばよい。元々日本は鎖国していて、朝鮮も満州も不要であった。そもそも日本に略奪的帝国主義を教えたのはアメリカなどの国である。”とバッサリやって退けたそうだ。
こんな素敵な大人が戦前生まれの中にとても多かった印象がある。
“海賊と呼ばれた男”のモデルだった出光佐三然り、それの最大の理解者であり支援者だった日田重太郎然り、揚げれば相当いる。
それが、今の時代にこれほどにいなくなったのは何故だ?
こういう方々(特攻という狂気に散った多くの方々の犠牲を含め)の血反吐を吐く努力と、後世に生きるものたちのためにという根底に流れる想いが、今のこの日本を築いた。その蓄積という恩恵を我々は最大限受けて成り立っている。
しかし、我々はどうだ?次の世代その先にいるまだ見ぬ多くの未来人たちのために何をしただろうか?
己の私利私欲や狭く卑しい思考を優先させ我先に己が良ければそれでいいという振る舞いに現を抜かしている御仁の多いこと・・そろそろ本気の思考の転換が必要だ。
いや、東日本大震災という大きな激甚災害でも変わらなかった上、コロナパンデミック?でも実際微動だにしなかった凝り固まった頭をどのようにすれば転換可能なのかがわからなくなること多々。
それでも何としても変わらねばならないのだ・・
この素晴らしい日本をそのまま次世代その次に残し継いで行くために。。