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双極・躁・鬱、脳とその先
スペクトラムの分断が起こる場合は良いが、そうでない場合それらは絶望的状況を自ら招くことになる。これはある現象においての闇を一層深い闇へと突き落とすことになるという悲しい現実。
ということを、ぼーっと考えていたのだが・・では、何故その状況において脳内でそういうことが起こってしまうのか、と。
脳の運用上、まずい問題になるとすれば脳は多分分断させて忘れるというような高次脳機能のところで起こることが適用されても良いもの・・とすればつまりそこまでの状態ではないという判断がされているか、放っておいてもそう大変なことにはならないと判断しているのだろうか。
または、もっと何か違った解釈がされているのか、そういう動きを見えなこところでしているのか・・どこまでも謎です。
この界隈のキーワードを深掘りしていたところ“反芻思考”というまあ、簡単に言えば牛のように何度も何度も味わうみたいなところの言葉ですが・・ぐるぐる思考というネガティブ思考を繰り返すという切り取り当てはめられたものから病気の前兆または病気の助長として、病気にされているということを知りました・・恐ろしい、この世界。
全てを病気として取り込んで、その先は何を考えているのだろうかというと・・まあ目指すところは明らかなのですが、だから恐ろしいと言っているのですが。。
ちょっと脱線しましたが、スペクトラムの分断が起こる場合と起こらない場合においての相互の脳でのメリット・デメリットのようなところについて深い知見をお持ちのかたがいらっしゃれば対話を交えたいなと思います。(脳の深いところの対話もしたいなと思っています。特に第一脳と第二脳の関係と運動系の連携とか)
今日はDOUTORで“高級アイスコーヒー”を😂(何故高級かはそう難しい話ではありません・・)
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