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形骸化の極み

毎度毎度の“恒例行事”。

51年から72年間欠かさずやり続け、首相が参列するようになって半世紀が経ちますが・・“訴え”がどっかの国に都合が悪かろうが変われば意義もあるのでしょうが、実際何かどこか変わったでしょうか?

僕には細かなことさえ変わったように感じません。

このまま永遠に“行事”として“形骸化”を続けるのでしょう・・

我々が知り得る限りの情報を繋げれば。寧ろ戦前の危うい空気感がジワジワと纏わり付いておかしな風潮に突き進んでいると感じています。

ある定義によれば“暴力の恐れや脅威を感じることなく、また、立法上のみならず実際の生活においても、いかなるかたちの暴力も容認されることなく、すべての人が安全に暮らせる”

が、平和だそうです。

どこを切り取っても“嘘つけ”と言いたくなる定義・・永遠に訪れないそれをわざわざ定義しているかのように見えます。

個人的には全てのモノゴトで“無益な争い”のない世界がいい・・

当たり前にあるものであって良いが、長らく当たり前にはなかったし手に入れるにも大いなる代償が必要だった。(残念ながら今もまだ同じ状況だが・・)

世界が平和を必要以上に騒ぐのであれば、なんらかと引き換えに“真の平和”なるものを手に入れるも良さそうだが、世界はそんな“平穏”を求めることを拒絶するのだろうが、ね。。

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