人は多面
「一人で生きる」が当たり前になる社会、を読んだ。わたしは独身で常々、結婚はがんばってしなくてもいいと思っています。2人で生きて行くという選択は素敵だとは思うけど、一人暮らしをしていると、一人の気ままさは何にもかえがたい。もちろん、人によってはさみしがり屋で、帰宅したときに暗い部屋より、誰かがいるとほっとするという人がいるのも知っている。そんな人は結婚でも同棲でもしたらいいと思う。本にもあったけど、「わたしが料理をしているのに、あなたは何もしてくれない」と怒るとかしんどそう。
わたしは妹と2人で住んでいたことがありますが、帰宅時、玄関に灯りがついていると、あ~もう帰っているのかとがっかりしていた。妹と不仲ではない。むしろわりと仲は良いと思う。それでもこれなんだから、根っからガチソロなのかもしれない。
本の最後のほうに、「自分とは何か」ということを荒川さんと中野さんが話している箇所が興味深かった。わたしは自分探しということが嫌い。自分なんてわざわざ探さなくても全部自分だと思う。わたしは、ずるいときもあれば、やさしいときもあるし、几帳面なのに大雑把だ。人ってそういうものではないか。一面だけでは語れない。「自分はこうだ!」と決めつけていると自分もしんどかろう。でもとかく社会はわたしを決めつける。それにあてはまらないと怒られる。
自分探しの旅なんて幻想だ。自分を幻想化して、苦しいから結婚して浮気とか、子どもを産んで虐待とかが生じるのではないか、と思っている。みんながありのままに生きたら世の中が崩壊するか? わたしはしないと思う。むしろ、マスク警察のような差別やいじめはなくなるのでは。
人にはいろんな面があることを認め合えたら、はみ出ているという感覚は緩和されるのでは。はみ出る自分を卑下しないことも大事だろう。そうしない人はいじめられない。いじめられるほうにも原因があるというと、猛烈バッシングされそうだけど、実際はそういうのもあると思う。自分を変えていける、自分に気づけるということで変えられることもあるはず。とはいえ、根本の性格にもよるのかな。変えていけるなら、性格を変えていく方向をわたしはおすすめしたい。また誰かと関わらないと幸せと思えないのも哀しい。みんながカチソロになれば! とは思わないけど、一人というメリットを感じられたら、人の心は穏やかになるように思う。
とかいいながら、マッチングアプリなんかしちゃいましたけどね。これは心というか体の気分。オキシトシンに憧れて。わたしはマッチングアプリをしても、ガチソロのまま死ぬまで生きると思います。
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