自己紹介③~母からの愛が欲しかった~
なぜ私が
“笑顔あふれる世界”を創りたいのか。
その為になぜ
身体と心をからアプローチするのか?
それは私の過去が
とても大きなカギを持っていました。
前回の投稿から
いきなり自分の過去の話を暴露していますが
私の過去の経験、体験から
誰かの何かしらの気づきになれば…
という意図がありました。
昨日の投稿
【不安と怖れの幼少期】
まだ読んでない方はこちらから↓
https://note.com/createyourlife8/n/n972fad676fdd
私は小学校3年生の時に
転校し、その数カ月後に
“小児てんかん”と診断されました。
その時から
小学6年生の途中まで
“てんかん”のある子どもとしての
レッテルを貼られての生活でした。
薬の効きと副作用の観察のため
定期的に脳波と血液の検査に
行かなくてはならなくなりました。
そのことで、
引っ越してからは共働きで
帰りも遅くなった母との
二人きりの時間を過ごすことができたのです。
私の顕在意識としては意図せずに
母との時間を作り上げていたのです。
そして検査頑張ったから…と
ご褒美にマクドナルドへ
※マクドナルドがご褒美って^^;
と今の私は思いますがw
その頃の特別な思い出です。
てんかんと診断されてからは
毎日、朝晩のお薬
学校ではプールの時に
目立つ水泳帽を被らされた
他には何の制限もありませんでした。
ただ、この目立つ帽子が
本当に嫌だったんですよね…
てんかん症状は
小学3年生の頃に
おばあちゃんの家で数回あっただけ。
たぶん大人たちは
薬が効いているんだ。
とでも思っていたのでしょう。
私の心の深いところでの
“母にかまって欲しい。”という
部分が満たされたのか・・・
ある日、たまたま
担当ではない小児科の科長の先生に
その日の脳波を見てもらうことに・・・
Dr.『あぁ、これはてんかんじゃないねぇ。』
の一言で、私のてんかん人生は
終結を迎えました。
終わるのは一瞬
軽っ(笑)
もしかしたら、反論もあるかと思いますが
病気は何かを満たしたいがために
自分で作り上げることもあるのです。
同意はされなくても大丈夫ですので
その方はスルーでお願いします^_^
事実は
てんかんの診断受けた。
→数年間、薬を飲んでいた。
→数年後、誤診だと言われた。
→いきなり薬を止めた。(←これは絶対ダメなやつ)
それ以降一度もてんかん症状は出ていない。
ただね、この脳波の検査は
臨床検査技師の仕事で
実際に病院勤務の頃
私のメインの仕事の一つでした。
※日本では臨床検査技師でした。
検査の仕事も、意図せず
脳波の検査担当になったり…
人生って面白いですね。
私はこの“てんかん”の時期に
母の愛を思う存分
味わえたんだと思います。
だからもう
“てんかん”である必要性がなくなった。
この数年間の通院もあってか・・・
身体や病気に
とても興味をもつようになっていました。
6年生から中学生の頃に
読んでいた本は
バレーボール雑誌、スポーツ栄養学の本
もしくは
難病で亡くなってしまう悲しい結末の小説
めちゃくちゃな偏りですね(笑)
まぁ、その辺りから
身体のことにはとっても
興味を持つようになっていました。
身体は潜在意識を表面化してくれる。
本来、身体と心は繋がっているもの。
現代社会では
意識しないと分離してしまっている。
もう一度
統合していくことで人生が加速していく
今では、そんなサポートをしています。
なんだか導かれていますね♡
もし、今、
人生に行き詰まりを感じていても
大丈夫!!!
人生、いつからでも
やりなおせる!
生きてる限りは♡
最後までお読みいただき
心より感謝いたします。
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