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わたしの恥ずかしい夢

作家志望で、小説を書いている。
そう言うと、凡その人は「すごいね」と言ってくれる。

初めて物語を書いたのは、確か小学一年生の時だった。3歳下の妹のために書いた童話めいた短い物語。小説というよりは、絵本のつもりで書いた。
現物はもうとっくに捨ててしまっているはずだが、内容は勿論、書いている時の気持ちもいまだに鮮明に覚えている。
親に紙をどっさりもらい、色鉛筆を使って無我夢中で文字を書き、それが伝わるように絵を描いたあの時の高揚感。
それまでごっこ遊びでしか浸れなかった世界を、目に見えるカタチにしていくことに私は興奮していた。
完成させた時には、妹も喜んでくれたし、見せた大人たちも皆口を揃えて褒めてくれた。
今思えば幼い子供が成し遂げた事を誉めてくれたのは当たり前のことだが、その当時は自分の世界、自分だけの妄想だったものが認めてもらえた、と私は無邪気に喜んでいた。

そして私はそれに夢中になった。

元々絵本やアニメなど、物語が好きだった私に、読書が好きだった母は積極的に本を買い与えてくれた。絵本から始まり、徐々に絵より文章の割合が多いものに。
初めて読んだ挿絵のない小説は、赤毛のアンだった。
赤毛のアンはアニメシリーズのビデオを小さな頃から見ていたし、その前にも挿絵の多い簡略版を読んだことがあったので、とっつきやすかった。
空想がちなアンの姿に、私は自分が妄想がちなことを肯定してもらった気がした。

本を読めば読むほどに、私は妄想の世界にのめり込んでいった。外で遊ぶことよりも、宿題をすることよりも、授業を聞くことよりも、私は妄想に耽ることに夢中だった。
色々な本、主に海外の児童文学を読んでいた私は妄想のバリエーションをどんどん増やしていった。現実の世界より、剣で戦い、魔法や不思議な生物が溢れる世界に生きたいと思っていた。
そうして妄想を溜め込み、様々な本を読むうちに、自分でも書けると信じて疑わなくなった。

小さな頃は親が引く程に外交的な子供だったが、10歳頃からは酷く内向的になった。いつも分厚い本と大学ノートを抱え教室の片隅で机に齧り付いていた。
小学生ということもあり、レクリエーションと称して担任教師とクラス全員で追いかけっこや、ドッジボールをしなければいけない休み時間もあったのだが、その時は図書室に隠れてまで読書と執筆に夢中になっていた。

けれどそんなこと、いつまでも肯定してもらえる筈が無い。
教師や親戚は子供らしく外で遊ばず、読書したりノートに無我夢中で何かを書き殴っている私のことを心配していたと思う。家族旅行にまで本を持って行き、車酔いで吐きながらも読書して、旅館に着くと真っ先に机に飛びついてノートに向かっていたのだから心配もしたくなるだろう。
親は相変わらず本とノートを買い与えてくれたが、いつしか私の妄想を聞いてくれることも無くなった。

そんな経緯もあって、私は小説を書くことを恥ずかしいものだと思うようになった。
恥ずかしいものだと思ってやめる人も多いだろうが、変にプライドの高い子供だった私はむしろやめることができず、ますますのめり込んだ。
それなりに友達もいて、みんなと遊んだり喧嘩したりした記憶もあるのだが、子供の頃の記憶のほとんどは読書と執筆。子供時代にしては孤独な記憶だ。

だから私は、長い間自分のためだけに自分の妄想を文章に起こしていて、それを他の人に見てもらおうとは思いもしなかった。ネットが普及し、ネット小説が流行りはじめた時も自分が書いたものをそこに載せようとは思いもしなかった。
妄想は個人的なもの。誰に認めてもらえなくてもそれで良いと思っていた。

作家志望になったのは実は最近のことだ。
数年前に離婚して、それ以来再婚どころか、恋愛すらしたいと思わなくなった。さらに、将来的に面倒を見ることになるだろうと思っていた父が亡くなり、他の親族とは元々溝があったので、30歳前にしてかなり身軽になってしまった。結婚願望も子供を産みたいという願望も全く無くしてしまった時に、好きなことをして生きていきたいなと思った。
それが小説だった。どうせ小説を書くなら、それで飯を食えたら良いな、くらいのつもりで作家志望を名乗りはじめたのである。

そういうわけで、小説を書くことをすごいね、と言われると反応に困ってしまう。
現実に向き合えない妄想を抱いている事は恥ずかしいと思い込んでいるし、実際デビューもしていなければ、いまだにネット上に公開することすらできていない。
作家を志すということを恥ずかしいと思う気持ちが拭いきれない。
そんな自分の逃げ道を断つために作家志望を自称している。

いつかどこかで私の妄想の産物が認められる時、私のこの羞恥心は無くなるのだろうか。
それとも、いつまでも私にとって恥ずかしいもののままなのだろうか?

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