だから私は保育士にならなかった。
今から20年前。
大学生だった私はとある保育施設で4月からボランティアをしていた。
その子はKちゃんという2才の女の子だった。
部屋に入るのを嫌がる子や、
靴を履いたまま上がる子、
泣き出す子、
はしゃぎまわる子、
いろんな子がいた中で、
お母さんに連れられてきたKちゃんは
出入り口で靴をきちんと並べてお辞儀して入る姿が印象的だった。
なんとなく気になって、
Kちゃんが遊ぶ姿をしばらく見ていると、
彼女は一人遊びが好きなようだった。
しかし、彼女の表情は真顔だった。
緊張しているのかな?人見知りしてるのかな?
と思いながら、しばらく一緒に遊んでみた。
車、積み木、塗り絵、色々なおもちゃで遊ぶのだがずっと無表情なのだ。
そしてお母さんのほう。
彼女もまた無表情。
憮然としているのでも、疲れ切っているのでもない、ただ、ただ、無表情なのだ。
そして彼女はKちゃんが離れたところでボソッと言った。
「私、子どもって嫌いなんですよね」
私は怖くて聞き流した。
疲れてるんだ、そう信じたかった。
帰る時間になって、Kちゃんは私の声かけに従って一緒にお片付けをしてくれた。そして、出入り口で来たときと同じようにお辞儀をして母親と一緒に帰っていった。
それから春が終わり、夏が来て、夏休みを迎えた頃、Kちゃんはみんなで遊ぶゲームには興味を示さず、しばらく一人で遊んでいた。
そして、気の合うお母さんたちが集まって雑談する姿が見られるようになった。
そんな、お母さんたちのコミュニケーションが盛んになってきた頃、子どもたちが遊んでいる間に母親が集まって子どもと関わっているときの困りごと(家での遊び、言葉遣い、排泄のこと、食事のこと、雨の日の過ごし方、子どもの叱り方、子どもへの褒め方など)を話し合うワークショップを行うことになった。
週1ペースで行われるワークショップをする場所はプレイルームのすぐ隣にあり、アコーディオンカーテンで仕切られていて、子供がすぐに母親を見つけに来やすいようになっていた。
その日のテーマは子供のいいところ自慢。
例えば、AさんとBさんがペアを組む。そのとき、AさんはAさん自身の子供になりきる。そしてAさんの子供のいいところをBさんが子供を褒めるように子供になりきったAさんを褒める。次は立場を逆にして同じように行う。
褒めるという行為は人を幸せにする。
気づかなかった長所に気づける。
お母さんたちがとても楽しそうで嬉しそうで幸せそうだった。
そして事件はその後起きた。
ワークショップの時間が5分早く終わって軽いフリートークの時間になった。
兄弟が欲しいかという話題になった。
あるお母さんが言った。
「私末っ子だから上の子が可愛く思えなくて。」
長女である私はドキッとした。
「わかるー!上はどうでもいい。下を早く産んで思いっきり可愛がりたい。」
Kちゃんのお母さんの発言だった。
弟と差別されて生きてきた私には辛い言葉だった。とても冗談に聞こえなかった。
ここにKちゃんがいなくてよかった。
心からそう思った。
私はその場を離れてトイレへ駆け込んだ。
涙が止まらなかった。
私は保護者を支援できない。
いや。したくない。
そう感じた瞬間だった。
まだ、私も母親との関係が解決できていなかったのだ。
秋、冬と季節が進むにつれて、
Kちゃんは私を見つけると仲間に入れてくれるようになった。
Kちゃんとの電車ごっこや積み木遊びは私の癒しでもあった。
そして3月。
おかあさんから子どもたちへ手紙を書く企画を行なった。
みんな、思い思いの温かい言葉が並んでいる中、
Kちゃんへの手紙の一部にこう書いてあった。
Kちゃんへ
前より大人大人してきたね。
大人大人ってなに?
大人っぽくじゃなくて?
あなたはKちゃんに何を望んでるの?
Kちゃんが大きくなって読み返したときどう感じるか考えてる?
ムリだ。私は介入しようとしすぎる。
彼女と母親の関係は私と母親の関係と似たものを感じたのだ。
そして、1年が経った。
Kちゃんがこの施設を退所する日になった。
みんなを送り出したあと、Kちゃんのお母さんが
私に紙をくれた。
それは私の似顔絵だった。
「メガネが描いてあるからコロネさんだと思って」
私はKちゃんの目線までしゃがみ、お礼を言った。
ありがとう
Kちゃんはニコッと笑った。
そしてお辞儀をしてお母さんに連れられて帰っていった。
あれから20年が経った。
彼女はちゃんと心から笑えているだろうか。
愛されてると感じて生きてくれてるだろうか。
大学卒業後に病気と闘いながら保育士資格を取得したあと、私は精神科のデイケアのインテークでこの話をした。
すると担当のスタッフさんはこう言ってくれた。
あなたが彼女の心を動かしたのよ。
私は泣いた。涙が溢れて止まらなかった。
私も、役に立てることがあったんだ。
でも私はもう保育の世界には関わらない。
Kちゃん、私の心はあなたの笑顔で動いたよ。
確かにあの可愛い笑顔を見た瞬間、私の心は喜びと安心感でいっぱいになったんだよ。
ありがとう。
どうかどうか、元気で生きていてね。
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