社会的には3歳だと思っている。 社交不安①~年少組の三日天下編~
2023年、自分自身が生まれ変わったような気がした。
いや、正確に言うと自分の中の「社会的な私」が産声を上げたような気がした。
私は今20代後半だが、10代半ばのころから社会生活、人との交流で困難を覚えることが多々あった。
それも追々くわしく書いていきたいと思っているが、集団行動や所属を避けるわりに、それから生じる孤独に苦しんでいた。
「私は一人でいることが好きなのだ」と思い込んでいたが、そうではなかった。ただ対人不安から目をそらすためにそのような説をでっち上げて、納得しようとしていたのだ。
本心では他人を、所属を心の底から欲していた。渇望していた。
そしてそのことを、2023年に気づいた。
社交的な場面での新鮮な喜び、そして単純に「人と会う、そして話す」ことに対する楽しさが、心の底からわかるようになった。
「人の間」にいるという、「人間」として根本的な楽しさがわかるようになった。
社会的な人間として、私が誕生したのだとじわじわと実感していった。
※ちなみに文中に社交不安と対人不安が両方出てくるが、ほぼ同じ意味だと思っていただいて構わない。心療内科を受診したときに「社交不安障害」という診断を受けたので同じような人と繋がりたいという意味も込めて、社交不安という単語を使っている。
でも対人不安って言った方が一般的かな、って思ったり…。
個人的には社交不安の方がより広い人間活動の中での不安、という認識でいる。(間違ってたらゴメンね)
社交不安・対人不安のはじまり
すべての始まりは、わたしがまだ母親のおなかの中にいるころにさかのぼる。
出産予定日は4月1日。
予定通りに行けば、わたしは今より1学年上だったことになる。
だが、おなかの中の私は今まで連綿と続く”ひきこもり魂”を発揮し、
母体にとどまることを決めたようだ。
予定日よりも1週間ほど遅れて、4000g超のビッグベイビーが誕生。
これが私の「生物的な誕生」となる。
大きな事件もなく、私は幼稚園に入園する。
ここからは母に聞いた話だ。
年少組の頃は、体格、知能など発達面で数カ月の差が如実に出る。
フェザー級とヘビー級が一緒くたにされているような状況で、まして3月終わりに生まれた子と、私のような4月の初めの方に生まれた子などはほぼ1年の差がある。
そんな年少組で体格、知能の面で「ヘビー級」だったのが、この私である。
4000gの出生時からその恵まれた体格を保持し、知能面でもなんとほかの子は使えないハサミを使うことができたのだ!すげえだろーー
年少組では私の天下だったそうだ。
何人かの子を子分のように従え、あごで使っていたとか使っていなかったとか。
ほかの子をちょっと押しただけでも、その子を泣かせてしまう始末。(誰だかわからないけどごめんね)
母親もそのようなことはやめるように私に注意したそうだが、まあ他人を従えるのは気持ちがよかったのだろう、私はやめなかったそうだ。3,4歳にして独裁者の悦びを知ってしまっていたようだ。将来が心配である。
そしてその心配は現実のものになる。
天下は長くは続かなかった。年中組にでもなれば、みんなはさみも使えるようになるし、身体も大きくなるし、各々自分の好きな友達を見つけ、”我が帝国”を去っていった。
”手下”に見放された私は砂場で静かに遊んでいたそうだ。
そしてそれから私の社交不安はむくむくを芽を出していくことになる。
私はこのことを母親から聞くまで全く覚えてもいなかったのだが、後々の人間関係の形、対人不安を思い返してみるに、この「年少組3日天下事件」が尾を引いているように思えてならない。
もちろんこの事件のせいだけで自分の社交不安が出来上がったとは思わない。
そもそもこのことは記憶にないし、生まれながらにセロトニンの生産量が少なかったとか、両親・家族の仲がどうだったとか、数えきれないほどファクターはあると思う。
ただ、覚えていないくらい昔のことだからこそ、無意識の部分で多大な影響を及ぼしているのではないかとも思ってしまう。心の奥底で拭い切れないシミとして、べったりと染み付いてしまっていたのでは、と。
次回はこの事件が根っこにあると思っている「小2自衛隊事件」のことを書きたいと思っている。