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アンヌプリ山頂、着氷観測所、零戦の翼
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記
「昭和十七年より終戦までここで北大中谷宇吉郎教授指導の下に航空機の着氷防止の研究が遂行された」
中谷宇吉郎は世界で初めて人工雪を作製し、気象条件と雪の結晶形成との関係を明らかにした物理学者です。北海道大学のキャンパス内には「人工雪誕生の地」の碑があります。これまでに何度もアンヌプリに登っています。しかし、昨日は昔の山小屋の跡だろうと思っていたコンクリートの台座が気になりました。その上には写真のように「ニセコ観測所跡」とあり、この裏を見るとここで着氷実験を行ったと書いてありました。
帰宅後に調べてみたところ、昭和十六年の太平洋戦争突入時に発生した軍用機の墜落事故がきっかけだったようです。これは、プロペラが凍結したために起きたとされています。この問題解決のため、海軍から中谷宇吉郎に研究が依頼されました。中谷宇吉郎が指揮を執り、戦時中、アンヌプリ山頂に零戦を置いて着氷実験をやったそうだ。この事実は、これまでの登山で一度も知らなかったことです。少し調べてみると気温零下20度、風速40メートルの厳し条件の中で、三冬を実験のために過ごしたそうです。
終戦後、米軍に発見されるのを防ぐため、零戦の機体はアンヌプリの山中に投棄されました。45年ほど経ち、右側の翼が見つかったのですが、その場所が私がよく山頂で行動食を食べる場所から300m下ったところです。歴史の証人がそんな近くに眠っていたなんて。
雪氷学が専門の中谷宇吉郎がここを選んだのだから雪質に間違いはないのでしょう。冬には、ここまで登って良い雪だと思いながらスキーをします。時代は変わり、ここは現在国際的スキーリゾートとなっています。
下山後はいつものようにニセコ五色温泉に行き硫黄を含んだ湯につかり、札幌に帰りました。
詳しいことを知りたい方は以下の文章を参照してください。
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