このまちに住んで神経衰弱が治った
港区から世田谷区に引っ越した。
港区の“し”から始まって“わ”で終わる“高級住宅街”に住んでいた。
“た”から始まって“ん”で終わる種類の、トレンディなマンションに住んでいた。
選んだ理由は、勤務先に15分以内で通勤できるから。
そして、上司や同期の多くが近隣に住んでいたから。
でも、この“高級住宅街”での暮らしを、気に入っていたわけではない。
横浜の、比較的歴史のある、保守的な丘の上で育った私には、東京の谷間にあるこの住宅街のどこか住みやすいのか、どうして“高級”扱いなのか、なぜこの種のマンションが“人気”なのか、ちっともわからなかった。
常に工事をして埃っぽい大通り
夜に飲み屋から出てくる赤いディオールと黒いモンクレ
大量生産された鉛筆のように味気ないマンション群
雨が降ると嫌な匂いのする高架下の川
その全てが、私の知っている“高級ではない”住宅街のものだった。
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横浜の海抜ゼロメートル地帯には、平成に入ってからたくさんのタワーマンションが建った。
「こういうところに住むのはね、成金、なのよ。」
私はそう言われながら育った。
学区のないお受験小学校だったので、大半の生徒は様々なエリアから電車やバスで通学していた。そんな中でも、みなとみらい組はとりわけ噂で槍玉に上がった。
「〇〇くんはみなとみらいのどこそこらへんのマンションに住んでいるんだって」という話の後に、「でもね、お金ないんだって。そのお母さんがね、北海道に行ったお土産のお菓子をくれたんだけど、箱を開けたら3分の1しか入ってなかったの!」という話が続いた。別の家庭については、横浜駅前のマンションに住んでいてお手伝いさんが3、4人いたけど、その中に盗みを働いた人がいたから全員をクビにしたらしいとか、そんな話が定期的に流れた。
子供ながらに、心のどこかで羨望と軽蔑の入り混じった感情を持って、こんな噂が流れたのかもしれない。
そんな子供の頃からの心の習慣は、なかなか消えない。
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社会人になって東京に出たら、まんまと成金の住民になってしまった。
「このエリアならセキュリティ万全で治安がいいし、タワマンだから部屋から空が見えて明るいですね」と不動産屋も後押ししてくれた。ついでに「いつか一室を買って、親孝行してくださいね」なんて営業トークもされて、ええ、いつか、と返した。大安吉日を選んで、意気揚々と横浜から引っ越して、新卒社会人生活をスタートさせた。
朝。
すっきりと晴れていて窓を開けると、下の方から車の音がゴーゴーと響いてくる。
誰もいないエレベーターに乗ると、甘ったるいディオールの残り香がした。こんな攻めた香水をするなんて、きっと若い綺麗な人なのだろう。
ゴミ置き場に行く途中、粗大ゴミ置き場には新品同様のソファーやらテレビ台やら、高級家具が累々と積み上げられている。「港区の粗大ゴミ券が必要です」という管理人さんの手書きの貼り紙が貼ってある。
そんな家具山を横目にゴミを出して、タクシーに乗るために大通りに出た。
朝のすがすがしい空気に、ビュンビュンと猛速で駆け抜ける黒いタクシーの排気ガスが溶け込んでいく、慌ただしい空気を吸い込んだ。
夜。
家に着くと大抵日付を回っている。金曜日になると、近所の上司や同期との飲み会に誘われて、徒歩15分圏内の焼肉屋に行く。
全席個室で、ちょっとした東洋風の絵なんかがかかっていて、内装が豪華だ。メニューには金額がなくて、いくらなのかしらと思うが、上司の奢りなので分からない。歩いて帰れるので、終電が終わっても永遠に好きなだけ飲み食いした。
あとで調べたら1人2万円だった。個室というだけで平均の二倍は高いタイプの居酒屋かしら、と思う。お肉は脂っこくて筋がちだったし、キムチの味は普通だった。この手の焼肉屋は、経営者の人が節税のために経営しているらしい。
たまには自炊をしようと思って近隣のスーパーに行くと、高級スーパーというだけあって、様々な肉や海鮮が取り揃えられている。九州の黒毛和牛から、飛行機で空輸されたという牡蠣、朝どれのシラスなど。すごいじゃないかと感心して、1200円で一人分の刺身と酢の物のお惣菜を買う。
でも家に帰って口に運ぶとなんとも言えない臭みがある。横浜のスーパーの方が美味しかったぞ、と思いながら、不味くて食べれなかった分をゴミ袋にいれた。
休日。
家でも職場でも気が張ってしまいリラックスできないので、休日にはとにかく森林浴をして体を休めようと、郊外への旅行に投資した。
箱根や伊豆の温泉地に行ったり、東京の等々力渓谷に足を運んだ。洋服を新調する必要に迫られると、御殿場アウトレットに繰り出してブランド物のオフィスカジュアルを数着買う。朝から晩まで遊んで、田舎の新鮮なご飯を食べて、新幹線で家に帰ってくると夜の11時。
郊外でリフレッシュはできたけれど、体が休んだのか、休まらなかったのか、分からない。
こんな風に一年ほど生活して、貯金が全く貯まっていないことに気づいた。
母親に「なんでこの年収で貯金が全くないの、将来の計画はあるの」とこっぴどく叱られた。「私の初任給の2倍以上あるじゃない」と。そんなことを言われても、ここで暮らすには相応のお金がかかるんだ、と思った。「大して贅沢をしている訳でもないし、生活と休息に必要な分しかお金は使っていない」と反駁した。
そういえば、この前上司が離婚していたな、子供の教育費はどうしているのかしら。などと、関係があるのかないのか分からないことを考えた。
それでも、ここでなんとなく、適当にそれらしく生活して、頑張ってがむしゃらに働いて、そのうち昇進でもして、そこそこお金を稼げば、今は貯金ゼロでもきっとどうにかなるかな。
そんな風に思考停止した。
そんな楽観的な見通しをしても、無意識にしていた我慢が解消されるわけではない。
貼り紙のある家具山は、日本語の貼り紙が外国出身の住人には読めないのだろうか、大抵1ヶ月近くそのまま放置されて、月末に呆れたように管理人さんがゴミ出ししているのを見るようになった。
たまに家から仕事をしていると、マンション内の全館放送で「立体駐車場から他の車が出庫できませんので、赤いポルシェの方は、今すぐご移動をお願いします」というようなアナウンスが流れて、会議の音が聞こえないことがあった。自分が話している時に放送がかぶると、クライアントに聞こえていないか冷や冷やする。
近隣で美味しいお昼ご飯が買えるわけでもないので、毎日出勤するようにした。とはいえ、職場近くの惣菜屋の刺身は、家の近くのそれよりもさらに臭みがあった。
帰宅して、ポストを開けると、「捜査協力のために〇〇警察署に電話をしてください」という謎の通達が届いていたり、宅配ボックスに届いているはずの荷物が既に出されていたりした。どうやら犯罪者が、高価な新品が入っていることを期待して、オートロックのセキュリティを掻い潜って宅配ボックスの荷物を盗み出しているらしい。
エレベーターに乗ると相変わらず甘ったるいディオールの匂いがする。朝には新鮮に感じられても、夜に嗅ぐとむさ苦しい。
この街の住民というだけで、食生活や身につけるものが制限されてくるような、なんとも言えない息苦しさがあった。
ふと息をしたくて、窓から空を覗くと、空とも言えない。新しく建ったマンションの合間に押し潰されて、申し訳なさそうな薄暗い青が、ニョロニョロと広がっている。
そうこうしているうちに、私は神経衰弱になってしまった。
この住みやすいわけでもない、“高級”で“人気”というだけで、なにもかもべらぼうに高いだけの街に住んで、ブランドのロゴをひけらかして、美味しくもないご飯を毎日食べて、「港区の成功者の仲間入りをしました」という顔の人たちが、なんとも滑稽に見えた。
と同時に、そうあることを街自体が自分に強制してくるような、「滑稽だ、間違っている」と思っても我慢して受け入れないと、居心地が悪くなってしまうような、変な脅迫観念に囚われた。
学生のころ、就職の決まった先輩が「春から麻布十番に引っ越すんだ」と嬉しそうに話しているのが、輝いて見えた。そして白金高輪に引っ越した後は、同級生や後輩を家に呼んで飲み会をしたり、テレビを見たりして、「綺麗な家だね、内廊下だなんてホテルみたいだね」と褒められたり、「タワマンなんて凄いな」と驚かれるのが嬉しかった。
たまに所帯を持った上司が、奥さんの実家のある神奈川や埼玉に引っ越したなんて聞くと、「なんで好き好んで遠くに住むのかしら」と、生活のために都落ちした物好きのように考えた。
港区の一等地に住めるということが、グレードの高いマンションに住めるということが、その業界の仲間入りをした人間にもれなく与えられる勲章のようなもので、学生の頃から必死で勉強して、社会人になっても人より働いてきた血の滲むような努力に報いる褒章なのだ、と感じていたのかもしれない。
もういっそ開き直って、この街で、堂々と成金の顔をして暮らしていけたらいいのに。
クリスマス。虎ノ門のホテルのディナーで、彼氏にふと「住んでいるマンションが成金ばかりでしんどい」と話し始めてしまった。口をついてどんどんと批判が出てくる。
一通りの愚痴を聞き終わった彼氏は「それは成金を見下してるからでしょ」と反論し始めた。
「彼らにとっては居心地のいい街なんだから、闇雲に批判するんじゃないよ。第一、自分にとっての“好き嫌い“を、“良い悪い“と混同しているからしんどくなるんだ。“嫌い”なら“嫌い”でいいじゃん。“悪い“ものを受け入れなきゃ、と思う必要はないんじゃないか。」
彼氏は鋭かった。「嫌いなんでしょ。なんで嫌いな場所に住んでいるの。」
「そうか。私はこの街が嫌いなのか」と、その時初めて気が付いた。後日家に帰ると、さっさと賃貸の解約通告をした。
菓子折りを持って管理人さんに挨拶をしにいくと「日本語を話せる人がまた1人減ってしまいますね」と寂しそうな顔をされた。きっと住人に挨拶をしても返してもらえないことが増えているのかな、と心中を察した。
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私は世田谷区に引っ越した。
全く知名度のない、代々木上原と下北沢の間の、空白地帯のような住宅街。
聞いたこともない、見知らぬ場所で、初め不動産屋におすすめされた時は不安だった。
だが内見で訪れると、丘をぐんぐんと登った先に、一戸建てが並ぶ坂があり、穏やかな日差しが降り注いでいて、すぐに気に入った。南向きの部屋からは空が一面に見渡せた。
ここにします、と言って、他の部屋の内見はキャンセルして、2週間後に引っ越した。
4階建ての3階。部屋の広さも家賃も、実は港区とそんなに変わらない。
でも、空が広くて、空気がさっぱりしていて、ご飯が美味しい。住んでいる人は若い人からお年寄りまで様々。
平日は、家がオフィスから離れていることにかこつけて、リモートワークをするようになった。
朝、5時くらいになると鳥の鳴き声が聞こえる。そこからうとうとしても早起きができる。
家から徒歩5分のカフェが朝7時から開いているので、コーヒーを買って、少し読書をする。タスクを抱え込んでいると、そそくさとテイクアウトし、散歩がてら家に帰る。
1週間も通っていると店員さんに顔を覚えられて、「ああ、いつものですね、支払いはカードですよね」と言われて、なんだか気恥ずかしくなった。
そのうち、全く初対面だと思った店員さんに「いつも来てくださっている方ですよね!オーツ要りますか?」と話しかけられて、困惑した。どうやらレジ横の厨房からいつも見ていたらしい。いや、店員さんの間で話題に上っているんだろう、と思って赤面した。
それでも、ニコニコ話しかけてもらえると、朝から気分がさっぱりする。しかめっつらばかりの会社に行くのとは大違いだ。
春になると、カフェに行く途中の木々の葉がぐんぐんと生い茂ってきた。晴れの日には木漏れ日がきらきらと降り注ぎ、雨の日にはしっとりとした緑の香りが漂ってきて、近所なのに森の中にいるような気分になる。散歩の時間がさらに贅沢になった。
休日には、旅行をする代わりに、近所にふらふらと出歩くようになった。彼氏には「まるで猫ちゃんの一日じゃないか」とからかわれた。というのも、ものすごく早起きをして、高台で日の出を見たり、その後いつもの小道を散歩して、近所の人に挨拶したり。おやつどきに、徒歩圏内に無数にあるカフェから一つを選んでドーナツを買ったり。
家のポストを開けると、月に一回、近所のお酒屋さんの手書きのチラシが入っている。ピンクの紙に黒の一色刷りなので、少し読みにくいのだが、ちょっとおしゃれなエッセイなんかも書いてある。隅から隅まで読み込んで、この人がなぜこの場所でそのお店をやっているのかに思いを馳せる。刺激を受けて、私も何か創作をしてみよう、とやる気を出してみたりする。
一帯に慣れてくると、買い物や飲み食いを近所で済ませるようになった。
こだわりを持って小さなお店を経営するような人と雑談をすると、なんだか元気が出る。服装に気を遣わなくても、高いお会計をしなくても、仲間のように受け入れてもらえるのは心地がいい。
そういえば、たったの一度も「どこに住んでいるの?」と聞かれたことはない。
近所のピザ屋さんの、グリルされたマッシュルームを噛み締めながらふと気が付いた。
ああそうか、ここの人たちは、住んでいる場所で人を判断しないのか。
私は、自分が無意識に培ってきた、変な心の習慣を反省した。
私はこのまちに住んですっかり神経衰弱が治ってしまった。
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