一人称の言い方で振り回されるのに疲れた
私、僕、俺、あたし、うち、自分、ワイ、名前呼び(○○君・ちゃん)など
その場、その人に適した一人称を上手く使い分けて社会で生きていくスキルを身につけないといけない。
たとえ普段一人称で「俺」と言っている人でも目上の人の前に立つときは私、または僕と言う方が望ましいとされる。
普段自分が呼び慣れている一人称から
よそ行きの一人称に変わる瞬間がなんともむず痒く、
自分が発している言葉も自分のものでない感覚に陥る。
声のトーンも上ずったようになりがちで
何か違うものが自分の身体に乗り移って操られている気持ちになる。
そしてよそ行きの一人称タイムが終わった瞬間、
ドッと疲れが押し寄せてくると同時に
ホームに帰ってきたような安心感を実感できる。
一人称の呼び方は自分が自然体でいられる自分の表し方だから、
無理にシーン別に合わせた使い分けをすることを強制する必要はないのではないか。
義務教育の頃から「発表の時は”私”ですよ」と
教えられてきたけど違和感しかなかった。
英語なら全部、”I”で済むのに。
自分が自分らしくいられる目印的存在だから
会話の中で打ち消してしまうのはよくないと思う。
僕って呼び方かわいいよね、○○君が俺っていうとギャップある
名前呼びとかぶりっ子かよ、自分呼びって体育会系だね
など、一人称の種類によってなぜか勝手に大まかなイメージ像が作り出されている。
この一人称を使っているからこの人はかわいい系男子だ、ぶりっ子だと
結びつけるのは誤解を招くもとになるから、会話の内容や話題でイメージを掴んでほしい。
私も一人称は「自分」だけど全く体育会系じゃない。
あくまで「僕、私」は二人称側からみて
主語や目的語の場所を知るためのマーカーの役目であって話し手の人物像を作り上げるものではない。
一方、一人称側から見ると「僕、私」は
会話中で自分の存在を確認するためのマーカーという役割。
友達なら、恋人ならこんな呼び方するでしょと
二人称の呼び方にも疑問があるけどその話はまた後に。
一人称でこんなにバリュエーションある日本語だから
苦しんで使うよりも楽しみながら使っていきたい。
*素敵なイラストありがとうございます。
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