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勉強好きな学生は変なのか

4月から本格的に研究室での活動が始まるはずだった。

「トマト中リコピンが及ぼす生活習慣病への効果」がテーマ。
第一志望の研究室に配属されて嬉しかった。

しかし、4月中は活動休止。

これから研究が進むのか不安だったため、自分でGoogle scalarを使って論文検索をして勉強していた。
その上で担当教員に質問のメールをしたところ返信された内容の一文が

「こんな早いうちから取り組んでくれる子は初めてだ」
どこかモヤモヤする。

同じテーマを取り組む友人や、他の研究室にいる友人もあまり卒研に乗り気でなく、自分だけ浮いた存在のように感じた。その友人たちも希望の配属先に決まったのに。

思えば入学時から私は日本の大学生にしては珍しい意欲的に勉強する人だった。その時も「心配しなくてもあなたはいい成績で単位とれるから」、「今回のテストは選択式しか出さないから」と言われ大学って高校の延長線なのか?と疑問に感じることがあった。


経済系の学部を目指して受験勉強している中、恩師が話してくれた
『大学に行けば自分の好きなことを学べるから今は我慢して受験に励みなさい』の一言。

この一言をきっかけに私は好きでもない経済学を4年間やりたくないと正直な想いに気づけ、理転して食科学を学べる大学を目指した。

4年間付き合う学問が変わり充実すると思った矢先、
”そんなに勉強に力を入れて大学生活送らなくていいよ~”の意味合いを含んだ教授たちのお言葉。
勉強したくても家庭の事情で大学に進学できない人もいる中で、現場の教員たちがそんな心持ちで学生に接している。


社会人学生は別として、勉強が好きで究めたい分野がある現役学生の存在は異端なのか。
大学の勉強は役に立たないというが、単に自分の知識として身になってないから役立てられていないのではないか。


高校古文の敬語表現や二重敬語の問題は実務で応用できるし、確率や統計学、生体免疫機能の知識があれば賢い消費活動やマーケティング力にもなる。

本当に好きで、趣味で学問に励む人は同級生での理解者が少なく基本的に孤独だ。


それなのに、大学や親など教育推進側の人も一緒になって変人扱いすると、余計に肩身がせまくなる。どんなにいい学歴でも事実上低レベルの人間が増産されるだけだ。

学問に自由を。

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