「陶芸をとおして辿り着いた ”はじまりの見えるものづくり”」
”本当に行きづらいような僻地の島に行こう”
ー移住された活動のきっかけ、地域の場所を選定するにあたって大事にしていたところをまずお伺いさせていただきたいです。
京都にある職業訓練校で僕は1年間ろくろを学び直して、その時の同級生のうちの1人が島おこしとか限界集落みたいなところに興味があり、そういったところの島おこしみたいなことがしたいんだ、と在学中に話してたんです。僕自身は卒業した後に、自分のギャラリーと工房と家が1つになってるようなところを作って、そこで活動したいなっていう想いがあったんですね。
僕は特に場所にはこだわりはなかったので、同級生がその活動をいっしょにしたら面白そうだということから、彼にくっついていったような感じが最初のきっかけです。職業訓練校の在学中に下見に行って、3つぐらいの場所を回ったんですね。その中の一つが今の手島っていうところで、その島の人たちの感触とか、島の風景とかがいいねっていうことになって、5年前にこちらに移住した感じですね。
そして一番のきっかけは、自分が陶芸家として生活していく上で、背水の陣というか、追い込むところまで自分を追い込んでやろうと、本当に行きづらいような僻地の島に行こうっていうような思いがあったことです。島は今でこそ1日4便手島から丸亀まで船があるんですけど、移住したての時は3便しかなくて、普通の会社員とかが通勤通学できないような島だったんですよね。
ー地域の皆様と一緒にやられている活動がWebで紹介されていました。地域の皆様とのかかわりで何か気をつけていること、コンセプトなどはありますか?
僕たち自身が「始まりの見えるものづくり」っていうことを一つ掲げて制作をしてまして。僕が島の素材を使って陶芸をするようになったきっかけとしては、この島に移住する前に陶芸活動をしてた埼玉の実家にいる時に遡ります。その時は取り寄せた土だったんですが、制作してる時にふと「この土って誰がどういうところで、どんな風に加工して僕の手元に届くんだろう」っていうような、ほんとふとした疑問みたいなのが湧いて。その時から素材の「ずっと前」が引っかかってるみたいな感じが、なんとなくあったんです。
島に移住した後も、元々使ってた土で制作していた時期もあったんですけど、なんかこれってちょっともったいないかなって思い始めて。誰が作ってるかわからないような土を取り寄せるんじゃなくて、自分が島を練り歩いて探し当てた土で、それに合った作り方をするっていうことをやってみようじゃないかと。
そんな興味からですね、最初は。こんなちっちゃい島でもこれだけ色彩豊かな表現ができるんだっていうところに、少しずつ少しずつはまっていって。で、今僕がお話ししたような思いとか経験みたいなところを、身の回りの人にもちょっとおすそ分けみたいなことをしていきたいなというふうに思っています。
なので何かイベントを起こす時も、ただ陶芸教室みたいな感じで、器ってもらうだけじゃなくて、「この土は…」とか「この釉薬はどういう素材でできてるんですよ」っていう風なところを知って欲しい。何て言うんですか、その器の素ですね。「土はこういう山肌から掘る」みたいなところに一緒に入ってもらって、その土を採取してもらって実際に使うとか。あと藤田君が参加してくれたイベントの時は、セイタカアワダチソウっていう雑草がサッカーコートぐらいあるような広い敷地に群生してるんですが、その草をみんなで刈ってもらって。で、それをこういう風に釉薬にしますっていうような説明ツアーを含めて、その後にその島の土で実際に「皆さん、じゃあ陶芸教室してください」っていう風に各々器を作ってもらって、彼らが採取したその草の釉薬をかけてプレゼントするっていうような形のイベントだったんですね。
なので基本的にそういう身の回りで私達の活動に参加していただく時は、必ず物の成り立ち、器の成り立ちっていうのをお伝えできるように心がけて関わっていただいてます。
”ひたすら回って、常にアンテナを張って探してるような感じです”
ーありがとうございます。そういった草を刈る場所ですとか、土を掘りに行く場所っていうのはどういう風に探されていますか。
えーとね、シャベルとピッケルを持って、もうひたすら回るって感じですね。
ーGoogleマップとかで地図を見てここが取れそうだとかって言うわけではなくて、みんなで歩いて探していくっていう感じなんですね。
そうですね。国土地理院などのデータで、そういう地層がどういう風に形成されてるか、みたいなマップはあるんですけど、なんせ島なのであまり情報がなくひたすら自分で採取しています。またどうしても採取しただけだと分からないので、採取したものを実際焼いてみています。焼いた結果こうなるみたいな経験則でしか分からない部分があるので、もうひたすら探し回っています。
あと、先ほどお伝えした釉薬に使えるような植物っていうのは、身の回りにあるもので、かつ最低でも軽トラック1杯分ぐらい同じ植物がないと釉薬ってなかなかできづらくて。燃やして灰にしちゃうんで、軽トラックいっぱいの植物でもバケツ1杯分ぐらいしか灰にはならなかったりして、その灰をさらに生成するので、どんどんどんどん減っちゃうんですね。なので何かそういう使えそうな素材っていうのを、身の回りに常にアンテナを張って探してるような感じです。
ートラックいっぱいとって、ようやくバケツいっぱいになる、大変な作業ですね。釉薬の保存の際に工夫とかってありますか。
基本的には分けて保存してます。ていうのも、もし色んなものをブレンドしてすごくいい色が出たとして、それをもう一回再現したいってなった時に、何と何の草がどういう配分でっていうのが分からない。いい感じになったとしても再現性がないので。再現性がないことを楽しむ部分もあるんですけど、基本的にはやっぱりいい色が出た時にもう一回作れるように分けています。なので、例えばセイタカアワダチソウとかヒマワリとかは分かるようにはしてます。
ーちなみにその中で一番お好みだった植物っていうのはありますか?
えーそうですね。思い入れが強いのはそら豆かセイタカアワダチソウですかね。っていうのも僕が住んでる島の唯一の名産で、カガワホンタカっていう人差し指ぐらいのすごくおっきな唐辛子があるんですけど、夏場になるとその畑が結構いっぱいあるんですが、その収穫が終わっちゃうと、残りの部分はもう抜かれてただ燃やされてるだけだったんですよ。最初移住したての時、あの燃やされてるカガワホンタカはもったいないなって思って、頂けませんか?みたいな感じで貰ってできたものとか。あとはカガワホンタカの裏作ではマメ科がいいっていうことらしく、そら豆を皆さんすごい量育てるんですけど、出荷はしないのにすごいたくさん育ててて、それもただ燃やされてるだけっていうのを見た時に、何かすごく農家の方が頑張って作っても作っただけで終わっちゃうのかと思って。なのでそれを頂いて、そら豆の釉薬を作ったりっていうような循環が出来始めたのが、島の名産であるカガワホンタカとそら豆でした。あとは島にたくさんある雑草のセイタカアワダチソウです。
”必ず循環して、何か一つでも手助けになるようなこと”
ーそら豆の捨てる部分を利用して循環させるなど、そういったものを見つけた時に、何かこう地域の方と交流するとか、工夫されていることってありますか。
そうですね、ほとんどおじいちゃんおばあちゃんなんで、もう抜く作業自体が大変なんですよ。なんで僕らが抜いておくみたいな、少しでもあちらの負担がないようにしたりとかして。そういった部分では協力というか、助けになるようなことをしているっていうのと、あと3年前にまだ30前半の農家の男の子が一人移住してきて、おじいちゃんがやめちゃったそら豆とかを彼が引き継いでやってるんですけど、その彼と今組んで、そら豆株主制度っていうのをやってたりして、そら豆の株を一つ丸ごとお客さんに買ってもらって、で、時期になったらそのそら豆1株分のそら豆と、そら豆の釉薬をかけた器っていうのをお送りしますっていうようなイベント企画を作ったりしています。負担にならず必ず循環していけるよう、僕がそういう活動をしていく中で何か一つでも手助けになるようなことはないかと心がけてると思います。
”どんなに難しいものでも自分だったらできるという思いと経験”
ー今こういう活動されていますけども、自分が嬉しかった時と大変だった時を教えていただいてよろしいでしょうか。
一番嬉しかったのは、身の回りの素材でこんな良い器ができるんだっていうことを理解した時。すごく優秀な土なんですか、良い土なんですか?とか、陶芸にとってすごくいい場所なんですか?って聞かれるんですけど、決して大していい土ではないですよ。っていうのも、掘ったらすぐ使えるような土っていうのは結構あったりして、そういうところが陶芸の産地になったりするんですけど。そういうのでは決してなくて、掘ってくだいたり、水簸(すいひ)って言って水に付けたりとか、いろんな加工をした上でやっと使えるようになるような土だったりします。もちろん原土っていってそのまま使う方法もあるんですけど、ある程度加工しないと使いづらいような土なので。そんな場所で自分たちで本当に手探りで素材を集めて、集めては焼いて集めて焼いてを繰り返して、こういうのができたんだっていうところが、陶芸の活動という意味ではすごく嬉しかったですね。
辛かった、大変だったっていうのは。陶芸関係では特にないです。
ーやってる上で最後楽しいにつながっていくというか、熱中されるみたいな感じですかね?
そうですね。はい、そうだと思います。
僕自身、埼玉でやっている時はバイトしながらやっていたりして、どこか後ろめたいというか、何かまだまだだなっていう思いがあったんですけど。こういう場で背水の陣で追い込んで、自分でもやらなきゃってなった時に、お金が全然稼げてなくて、島に来る前に貯金したものを切り崩しながらやってたんですけど、でもバイトしてないしなと思って。自分が好きなことで、自分が選んだところで、自分が好きな人と一緒になって、自分のやりたいことをやってることを考えたら全然幸せだなって思ったんです。
ーそういう風に自分の好きなことをやっていく上で、すごく大切にしていることがあったりしますか。
大切ですか。実は今住んでる島の家を、2年半かけて自分達だけでフルリフォームしたんですよ。その中で結構分からないことだらけで、それを納得いくまで調べたりとか、釘1本1本打っていくような途方もない作業も何ヶ月もずっとやり続けて、2年半かかって自分たちがある程度納得するような家ができたんですよ。
陶芸活動とはまた少し毛色が違うんですけどね。その時に何か得たというか、2年半作って、それから2年半経った今、あの家づくりで得た経験っていうのが、自分の本当に大事な糧になってますね。っていうのも、コツコツコツコツ何かをやれば必ず終わるっていうことが、ものすごく身にしみてわかって。
で、陶芸も先ほどお伝えしたように、すごくいろんな工程があって、スタートから見るとすごい長い、めちゃめちゃ長い道のりなんですけど、それを一歩一歩、一歩一歩、釘を1本1本打ってたみたいにやっていけば必ず終わるって思うようになったし、で、2年半やり切ってちゃんと家を完成させたっていう経験が、自分なら、自分達ならできるだろうなっていう風な、どんなに難しいものでも自分だったらできるっていう思いは大切にしてます。
”出づらい場所でも直接会いに”
ー我々大学生ということもありまして、これからどういった進路を選ぶのかなっていうところもあるかと思うんですけど、そういった中で、例えばムサビで学んで印象的だったとか、そういった学びからお仕事が来たみたいなことがあれば教えていただきたいです。
ムサビから学んでか、えー、そうですね。ちょっと待ってくださいね。そうですね、ええと、難しいな。ムサビから学んでか。そうですね。本当に不真面目な生徒だったんでね、もっともっと多分得られたものはいっぱいあったんでしょうけど、本当に不真面目な生徒で。そうですね。あまり得ることはできずに卒業しちゃった。はい、すいません。
ーこれから繋がっていくという時に、いいねで終わってしまうのか、その次の手を打つのかっていうところにちょっと差があるかと思うんですけども、なにか工夫とかがあれば教えていただきたいです。
そうですね。大切にしてるのは直接会いに行くことですかね。僕自身もすごく会いに行きづらいような場所に住んでいるので、逆に言うと出づらい。僕たち自身が外に出づらいような場所にいるのに、それを何か出不精にして会いに行かないっていうことはなるべくしたくないなと思ってて。僕のものの見方として、現地に行って作ってる人と出会って、その作ってる現場とか作ってる環境を見て、そういったものを知った上で物を買うっていう方が僕の中では一番理想的な売り買いの仕方です。で、それを目指して自分自身もギャラリーを作ったり、島に来て欲しくてそういうお店を作ったんですけど。なので何かそういったお話が出た時に、今だときっとSNS上でそういう話が進んだりっていうこともあると思うんですけど、そこで終わらせずに実際自分が会いに行って、その人がどういう活動をしてるかとか、どういう考えでやってるかっていうのを聞いた上で、もう一歩話を進める。実際現場に行った上で話を進めるっていうことは心がけています。
ーまちと人との関わりにどんなニーズがあるかとか、そういったことを聞けたらなと思うんですけども。
まちと人との関わりに発見はありますか?
そうですね。どんな発見があるかと。僕が住んでる島自体がもう限界を超えたような集落なんですけど、そこに僕らのような比較的若い陶芸家がいて、こういう僕たちみたいなスタイルで陶芸をしていると、地域に仕事を通して貢献できるっていうところですごく多く発見することがあって。っていうのも、戦時中に、この島が300人ぐらいに人口が膨れたことがあって、その時はすごく人もいて、家もあって、すごく綺麗な島だったんですけど、そこからどんどんどんどん減っていって、今17人なんですよ。そうなった時に、雑草とかでただただ荒地になっていくようなところがあったりして。この島にも竹林があって、竹がどんどんどんどんいろんなところを侵食してるんですけど、その竹を切って竹の灰を作ったりとか、そういったことで僕らが仕事をしていきながら、その地域の美化というか、地域の保存っていうのをできるっていうことが発見できたって思います。僕らは今若者が5人しかいないんですけど、5人だけの力じゃなくて、先ほどお伝えしたような藤田君が参加してくれた雑草抜きのイベントとか、そういった機会をたてて、陶芸のものづくりっていうものを軸に、島のこういった荒地となった場所に人を島外から呼んで一気に綺麗にするとか。参加していただいた方は、そういう地域貢献かつ器のものづくり、器の始まりとして素材がどういう風に作られてるのかっていうのを、陶芸を通して経験できるんだなっていうのがすごく大きな発見です。
”地域に出会う商店ふじたしょうてんとの協業について”
ーちなみにマグカップをコラボしようとしたきっかけとかありましたか。
えーっと、最初に初めて個展をした時にコーヒーを入れるイベントを藤田君にお願いしてて、その時に僕たちの器でコーヒーを入れていただくっていうようなことをしたんですけど、それが終わった後にお声がけいただいて、取り扱っていただくことになりましたね。
ーその中で何かこだわったポイントがあれば、ぜひ教えていただきたいです。
最初は丸みを帯びたマグカップだったんですけど、丸みを帯びたマグカップはなんか舌で感じるコーヒーの味のバランスがすごくいいらしいんですよ。いろんな味を平均的に味わうことができるらしくて。それに対してこういうストレートのマグカップだと酸味だったかな、コーヒーの酸味がすごく舌に伝わりやすいというか。やっぱり飲み口が違うと、舌のどこにコーヒーが当たるかっていうのが変わるみたいで。ストレートだと直に入ってきたり、丸いものだと1度この口元で一回たまって、そこから広がって舌に入ってくるので、そうした時に味が違うっていうことを教えていただいて作りました。
ーすごい勉強になります。そういった細かいところまで工夫されていらっしゃるんだなと、非常に勉強になります。非常に楽しいお時間をいただきまして、ありがとうございました。
こちらこそありがとうございました。
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